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世界最高峰が語ること

ネパールの地震…

高校時代の数学の先生は、毎年ネパールに旅してて、授業の後半にはかの地の話をしてくれた。
数学は苦手だったけど、彼は好きだった。
去年同窓会で会ったときも、相変わらずだった。

よく行くおいしいネパールカレー屋さんは今日も賑わっていたけど、
そして店員さんのご家族は大丈夫、とのことだったけど、
心が痛いし、生きてる限り、何が起こっても不思議じゃないと、また思うのです。

地球からしたらほんの薄皮の上に暮らしてるのが人類、動物類、植物類なわけで
いくらビルを建てようがモニュメントを建てようが、それはかりそめ。

とはいえ苦しさや辛さは、あきらめようとあきらめずとも否応なしに降って来るわけで
この世に天災が存在する上に、人災みたいな馬鹿なことはやめようよと思う。

そんな時がいつ起こるかわからない中で、常に恐怖して生きるのは辛い
生きてる瞬間を大切にしよう、とも思う。
みんなそれでいいとも思う。防災の訓練の為の訓練の為の準備とかをしている人を見ると、
やっぱそれは違うと思う。

だけど、どんな風に生きようと、去ろうと、後世に被害を残すようなことはしちゃいけない。

戦争や放射能汚染は、人災ですよね。

自分の何世代も後、もしかしたら人類が滅んだ後まで悲しみを残すようなテクノロジーなんて
推進してよいわけはないだろう、と思うのです。

ふゆのはじまりととしのおわり

あかいつきのよる。
Red Red Red / 赤い靴ワンマンは、Special-Tと、次元になりたくて秋から着てるVarde77の上下で。

二人の編成がユニークだけあって、ステージの並びも初体験。
ドラムの背後からベースを弾くというのは、やってる事が全部見えるから、実はとても合わせやすかったりして。
(見えてなくても合わせやすいですよ)

いいフィールとハーモニーと空気を大切にした、とびきりのグループに参加できてうれしい。

コロナの代わりに呑んだBlue Moonが懐かしく美味しくて、しばらく買い求め続けました。

akaitsuki derder77

David Matthews Tokyo Trioで、とあるクリスマスショートコンサート。

一般公演ではないけれど、観ている方々と、吹き抜けの会場の響きに力をもらいました。
生きる力とそれを結ぶ音の力というか。
聴き取りにくいモニターでもばっちり聴いてくれる波多江さんのドラム、
ハートの大きさがそのまま出て来るデイヴのピアノ。
あやとりのように、三人の一体感も増してきました。

来年、ぜひ色々なところでやりたいですね。Trioも、All Starsも。

帰路、送ってくださった藤井さんの言葉。
『日本人は、外国人が街に来たときに大抵「あなたはここへ何をしに来たの?」と聞く。外国では「あなたはここで、これから何をやりたいの?」と聞かれる。この差は小さいようで、大きい』

このごろ、気に入って読んでいたのが「倍音」という、中村明一さんの本。

左脳=管理、右脳=感性、みたいな分類って、日本人には真逆 — えっ?
しょっぱなから既成概念をひっくり返し、中盤で一般ネタで引き込み、後半で魔界にどっぷり。
本としてもいい構成だと思う。さすが内田樹さん推薦、というか文の流れも似てるなぁ。

内容的には、「日本文化は素晴らしい」という勇気づけになれど、ぼく側としてはそのまま受け入れられない部分もあるので、咀嚼が要る。
はたして骨盤は、立てるのがよいのか、寝かすのがよいのか…「密息」はアレクサンダー・テクニークとは正反対にも思えるし。
はたして西洋人の音楽や楽器は日本の古典に比べて「高次の整数倍音」や「非整数倍音」が希薄なのか…ゴスペルクワイアでものすごい声と音の渦を感じ、ソプラノ歌手がホールやスタジオをいとも簡単に震わせてしまう場に居合わせた自分には、そうは思えなかったり。
ただ外来語と同じで、鎖国の反動としての急速な西洋音楽の吸収、戦後の一層の欧米化が、日本の音楽、言語、文化に大きなバイアスをかけたのは事実だろうし、
日本人が本来の力を発揮出来ていないような部分も感じるし。

渡米前後に感じた「向こうで上手い人って、日本でバンドやってる人より音量小さいのに、すごく大きく聴こえるな」というのは、たぶん我々の多くが「倍音」の使い方を「忘れてるから」、だと思ってたり。

「間」と「数える」こと、自分が発する音と会場の響き、共演者との倍音も含めたアンサンブル、というのは、これからすぐにでも、また永く追求し続けられる大きな大きな課題だな、と思い、嬉しくなっているところです。

夏に続いて横浜〜関西のミニツアー、安室裕之グループ(っていう名でよいのか?)。
新谷くんのドラム、前回にも増してタイト。引っ張ってくれるしすごい!  互いに2度目だとバッチリ合ってくるね。
ヒロのギターは謙遜と裏腹に炸裂。喋りの饒舌もますます磨きがかかっている…
利香ちゃんは要所要所で、盛り上げてくれたし。
森本さんのドラム、超自然体で…僕の知らない事、忘れてる時間、教えてくれる。まだまだ自分は押して伸ばすべきツボがあるなと。

前回よりファンキー&エレクトリックな要素を増やしたのも、楽しかったなぁ。
地球上でまだ4〜5回の “astronotes” が意外なほど毎回うけてます。

bluesettejam94

tetsu
夜通し運転でたどり着いた、哲学の道。

たぶん、もちょっと追記します。写真も。

エノラゲイ

エノラゲイの乗組員の証言: ww2時代の日本人は、今日の日本人と違って”nice people”ではなかった、だから日本を”subdue”するために出来る限りのことをした。
Last Hiroshima bomber: “I’d do it again”:


「nice peopleではなかった」というのは、なぜだろう? 或はどうして「nice peopleではない」と信じたのだろう?
どちらもプロパガンダがないと成立しない。
“subdue”は「征服/鎮圧/抑制」えらい振れ幅のある言葉だ。

October なのに

なんで november を急ぐのか…? と昨日もいじられた。
単に好きだからとしか言いようが無い。生まれた月だし。
でも10月も毎年楽しくて、今年は特に面白い事が沢山起きている気がする。

バーンスタインのせい? 不思議な月のせい?

West Side Story の音楽って、やっぱとんでもなくかっこいいな、というところから。

青山見本帖、という、行くという発想すらなかった所に足を運び、
勝井三雄さんの書籍、谷口江里也さんの詩を観て来た。

aoyamamihon

ゆらぎとゆらぎ
手袋をはめて、美しい、巨大な本をめくる。緊張しながら。
縦長のページを、右上からゆらいでいく詩。
反対頁には、天からゆったり降りる英訳詩。

触発される所は一字一句覚えようとするのだけど、北島マヤじゃあるまいし、無理だ。
手袋してるからメモも取れない。

後でパンフレットをいただくと、同じ詩が掲載されていたのだけど。

隣に置いてあった、「空間構想事始」を読み出すと、とまらない、
だがリハがあるので、さわりしか読めずにお暇する。

ページの紙質もさることながら、表紙、裏表紙がとんでもなく美しかった。
さすが、見本帖…

青山劇場の前を通ると、ミュージカルに行列。いい雰囲気。

onthetown

ジャニーズ関係らしい、これも音楽はバーンスタイン。
生オケじゃないだろうな、と思いつつ、こんな賑わう劇場、なんで閉鎖するの?と改めて疑問。

kodomonoshiro

apartment cafe では…なんで今? いしんでんしん?

王子ホールに備えたリハではこれまで体験したこともないような完全生音、生声アンサンブル。
結構激しい曲もあるのに。(いや、内心、こっちの方がやりやすいと思ってる)

これも、特製キットを超ミニダイナミクスで叩いてくれる、沼くんのおかげ。
ハルくんにチェロを触らせてもらう、弦楽器はベースとヴァイオリンしか触った事ないから凄く不思議。

日が変わって、映像録音。ひさしぶり。
スタジオが移転して、すごいことになってる。エレベーターのボタンがわからない。気づいて吹きそうになった。

mrkamiya

赤い靴」のお二人との出会い。というか、念願の半分再会。
そしてもう一人、ギターのしいやくんとは15年も昔、数日間同じシェアハウスにいた…
びっくりしすぎる。

京都。
東西線への乗り換えに、いまだに迷う。四条で降りるんかいな、次かいな。

すてきな、そんでもって超うまい、グラノーラ専門店 COCOLO KYOTO
旧友が開いた店。

cocoloasaibowl

Candy ははじめて。出番までベースをピアノの蓋に立てかけて、大丈夫?と思ったけど、うまく収まってた。
家ではそういうことに全く抵抗ないけど、楽器 x 楽器ってこわい。

candystan

ほどよくゆるくて心地よい、ドラマーの棟くん。
勢いあって、土台の強さを感じるピアノの麻美ちゃん。
音色がきれいで頼りになる姉御、サックスの利香ちゃん。

置きアンプの出力が異様にデカくて、目盛り1/10でもハウるのでかなりカットしたけど
録音したらいい音してたからよし。まぁ生をやってれば、何も怖いものなし。
ようやく、自前の増幅装置もいい感じに落ち着いてきたし。

そして、november。

Adbaloo でやってた曲。2001年の秋に急に思いついて、一度何かのフェスでやってしばらく忘れて、
2002の秋に急に録音して、友人のイベントに間に合わせてアルバムにした。
結構反応もよくて、ライヴでもよくやった。
november – black & white

だけどもう随分長いこと忘れてた。

ジャズでやってもいいかな、と思いだした。
というか、もともとジャズだった。
やると、結構面白い。あまりにもすぐに終わるので、次回は構成少し変えてみよう。

愛車は、だいぶくたびれてしまった。また車検、ホイール交換かな。

thewheel

なつのおわり

今年の夏はわかりやすく終わったな。

いきなり気温が数 dB 下がってる。
秋の方が夏より好きなんだけど、こうもあっさり終わると名残惜しい。

白楽と草津 mini tour。
共に小さく感じのいい Jazz Bar で、マスターも気さくな人でした。

白楽はエレクトリックに専念。Lakland と Fbass を持ってった。
スイッチャーも使わず、ケーブル抜き差しで持ち替え。
アンプは懐かしい GK のコンボ。ボストンに行ったばかりの頃、転がしてたなぁ…
アコースティック、Ibanez との相性など当時どうにも好きになれなかった GK が、今回は使いやすかった。
楽器のおかげか、自分の懐も大きくなったか。

新谷さんとは初めて。スリップビートなど遊び心一杯の音のパズルが、
僕のゆるいベースと相まって面白いバランスだったんじゃないかと思います。
安室ヒロくんは ES335 一本で、歪みも交えていい感じで弾きまくってくれました。

Hancock や Metheny、S.Swallow の曲を中心に、オリジナル1+1。
数年前に作ったフレットレスアフロチューンの “You Fly” を、初めてトリオでやりました。
ジャムで楽しい曲なので、またやろうと思います。

しばらくアコースティックの機会が続いたのだけど、
エレキはやはり楽しいし、自分のステージアウトプットとして一番大切かもしれない。

草津はアコースティック。ドラムレスデュオ〜カルテット構成で
リズムの力点っていう面でもいろいろ振り返ることあり。
Johnny Winter に捧げたハットは合っていたかな…?

利香さん、麻美さんの人気もあってか、お店が始まって以来の大入り記録!になってしまい、
ステージまで通るのが大変で、途中から観に来た旧友も一度は入店を断られたとか…

ここには PJB の Briefcase が置いてあって、ベーシストには貴重かも。
今年オープンしたばかりの新しい店だけに、
機材も、店の雰囲気も、オーディオも、(呑めなかったけど)酒もすてきです。
翌日にはドラムキットも入ってる。でもしまう場所あるのかなぁ?

次は京都でもやりたく、計画中です。


830q

…それから夏の心残りとしては
やはりLost Memory Theaterを観れなかった…神戸まで観に行くか?

うゅちんでなぎしふ

うだるような暑さを逃れ一路北へ。

というと避暑みたいだが、目指すは素敵な青森・南郷の野外ステージ。

途中で雄大な岩手の景色を撮ろうとしたら

なにこの電柱

オレのiPhone、やっぱおかしいか?


だいぶ後で知ったのだけど、これは

「電子シャッター特有の現象」みたいですね。

super run

久しぶりに吉祥寺へ。

八戸で行われる、南郷ジャズフェスに向け、
guest voのGeilaさんを迎えてリハーサル。

いい感じです。

Daveさん、リハの進め方も面白い。いきなり始まる。
ちんたら考える暇も与えずカウント、とにかく早い。

でも、確認必要なところはしっかりと時間をとってくれる。
これが本来のリハかな、とも思う。

そして…終わるときはさっさと終わるのだ。

井の頭公園では男の子がフリスビー。

inostroll

ここにいると気分はムーンシャドウとユニコーン。

硝子のなんとかかよ。

replace

オーバーホールに出していた楽器を引き取る。
開いたボディに緩んだペグに、鷹の仕業のような多くの爪痕。
アトリエハシモトさん凄い。ほぼ完全に治っている。

昔LAのWestwoodで、あまりの低視力に身の危険を感じて買ったクリップオン丸眼鏡グラサン、
れんず屋とやらでレンズオーダー。
近視はともかく、乱視が進んでいる。15年前はスマホも無く、ノートパソコンもまともに使わなかった。

日本橋と丸の内と三ノ輪と大井町と自由が丘と東池袋と神保町と代官山と世田谷。

歩いて、色々な人に会って、自分をリプレイす。
その間自分の中で変わらなかったのは、凄い人がいっぱい居るという思いと、
Alexandre Andrés、Booker Littleの音楽は時を経てこそ素晴らしいということ。

明日からは全く新しい日々が待っている。

もじのふるさと

シリアをミサイル攻撃するのが良いなんて思っているのは
ごく一部の人間だと思うのだがな。

普通に生きていれば、これまでどれだけの戦争が
でたらめな理由で起こされて来たかぐらい、わかるだろう、というのが
僕の実感だ。

ごく一部の人間がメディアを操作して
怪しい「正義」と「最優先事項」を作り上げ
多くの人を殺戮し、大儲けをする、或は権益を得る。

そんな世の中は、もう沢山だ。
と、思わないのか?

これに対して疑問も呈することのできないメディアなら、
僕らのインターフェイスとしてふさわしくない。

フェニキア文字が生まれた地、シリア。

ことばの故郷に火をかけて、よく平気でいられるな。

London Calling

ドレのロンドン巡礼 天才画家が描いた世紀末 / 谷口 江里也

読むのに10日かかった。すごく勉強になる本。

「都市」や「経済」や「文化」ってなんなのか、今ぼくらが見直した方がいいことが詰まっている。

ギュスターヴ・ドレが1872に出した版画集 “London: A Pilgrimage” に、谷口江里也さんが2010年代ならではの文章を加えたもの(オリジナルはジャーナリストのブランチャード・ジェロルドによる文章)。

何でもこの本は当時、一般には売れたものの、評論家の物議を醸したらしい。それは、写真よりも緻密なこの版画集がロンドンの「光」だけでなく「影」をもくっきりと描き出していたから。

ということはつまり、当時の「御用メディア」の枠組みを超えていたということ。

人々が眠りについたロンドンの街に、明日のためにまた大量の物資が運び込まれる。すでにそうして回っている以上、誰もそれについては考えない。考えようもない。なにしろ市場が開くまでに決められた量を運び入れなければならないのだ。近代において大都市は、こうして眠らない街になった。 (第十八章 市場 p.238)

人も動物も、眠った方がいいよね。地球だって半分は常に眠ってる。
だが眠らない巨大な街は600万もの人々を飲み込み、増殖を続けた。

散財と社交に明け暮れる王侯貴族と、労働者、花売り娘、ホームレスが隣り合わせの「元祖・超格差社会」。
後のビートルズやダイアナ、キャサリンフィーバーの源流ともいえる、レガッタやダービーへの熱狂。トップハットは昨日の貴族から今日のホームレスまで、階級の空を超えて行く。

ある価値観で一刀両断しているわけではないし、すらすらとは読めないけれど、それだけに深い。

最後の画「ニュージーランダー」とその意味には、戦慄を憶える。

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