カテゴリー: libre

upside down

メディアや SNS に距離を起き出すととことん置きたくなるもので
そこは、突き詰めないと気が済まない自分の性分も手伝ってくる。

ぐるっと回ると自分の尻尾が見えました、みたいなこともあるのだけど
やはり、当分ノーマルな暮らしや活動ができない今、いろいろなことを見直していきたい。

まず、先日から時折記しているように、昨今の web 広告や掲示には非常に警戒している。

cookie の扱いなどでヨーロッパあたりから厳格になった動きと呼応してか逆の作用でか、悪質さとモラルの無さがますます進行している気がする。

たとえば Covid-19 関連でも、note の記事を見たりすると漏れなく冒頭に、公的機関への誘導が出る。それ以外の情報を見たいから note に来ているのに。

個人の気持ちをわからないどころか、力技で、システム作っていく動き。今に限ったことじゃないのだろうけど、こんな時期に「消費税増税が必要」「攻撃能力が必要」と大真面目に、前向きに取り組んでいる人がいる。それが彼らの本心で、大切なことなのだろう。でもそれは大きく間違っていると思う。

イケてる情報を送受信するのにも、だんだん憧れがなくなって、それはやっぱり自分の棲む場所じゃないというか、所詮ガラじゃねぇ、っていうことに漸く気付いたりしてか、目が醒めたというか。

目が醒めすぎると、それはダメなんでしょうけどね。

ニュートラルはゼロであり何も生まない。カナリアの悲劇。
Canary In A Coalmine.

ある程度騙されたフリをしながら、いや騙されながら、生きてく。
それもいいのかもしれない。必要かも、高等手段かも。

でも、それ、ものっすごく、疲れるんだ。

騙すってクレジットカードみたいなもので、蓄積していく。

株の上下を競い合っても、所詮は動物実験でしょ。


おさるのジョージ (Curious George)…サントラ歌ってた Jack Johnson.
Upside Down, People Watching, The 3 R’s (ボブ・ドローのカバー)
どれもとてもすてきな曲たちだ。

僕は彼が流行りまくってたときにどうも距離を置いていて、後から凄さがわかったという。
(僕は流行りにはだいたい乗らない。というか乗れもしない)

彼のようなスタイルの音楽や歌が、実際できてる人も周りにいるから、実際できない自分も、いやというほどわかる。
まぁそれはそれ。おさるのジョージもジャックジョンソンも、すてきだ。

たぶん、実験動物じゃないお話。

upside down.

カメラオブスキュラ


Camera Obscura / stillbeat
moon x moon #15

online single – 2020.8.4
lyrics

暑くなるとレイドバックしたエイトビートをしたくなる。

ジャズや EDM する人はどう思うのだろうか。

梅雨のある朝に思いついた曲。

前作 Loft & Found と順番は逆になったけど、
こっちはわりとマジなテーマです。

光とか輝きとか自由ってなんだろなと、日頃思うのですが

光がすべてを救うとも思えないし、それで騙されてしまう人もいる。
閃光がすべてを奪い、人の影だけを残してしまったことも。8月。

僕自身を励まし、導いてくれたいくつかのことも含んでいます。

カメラオブスキュラはピンホールカメラ、レンズを使わないカメラの原型です。
工夫すれば、部屋のカーテンをいじって、壁に薄く戸外を映すこともできるとか。逆プラネタリウム、みたいなものですかね。

2月に吉祥寺で観た青年団の「東京ノート」、フェルメールとカメラオブスキュラの話が出てきて、それが頭にひっかかっていたのかもしれません。

混迷の地 – PNR

夏がもう来たか、すぐそこなのか、という様相だ。

COVID-19 に、意味不明の GOTOなんとかに、謎のオリンピック全面広告に、
ここは LAND OF CONFUSION だが
(Late ’80s にも色々な誰かが警告していたんだね)

多くの人が色々なアンテナを伸ばしてやっている。
それは僕でもなんとなくわかる。

ただ、情報に距離をおかなきゃという姿勢は変わらず、
というか、おそらくあの時に PNR (Point of no return) を超えたので、
ある意味、自分の忙しさでいっぱいになっている。

(これは、もしかすると、あの界隈の人もそうなのかもしれない。別の意味で)

割と、殺伐としたものと、その中で響くものが見える、という状態だ。
David Sylvian とRobert Flipp の Graceland Tour の映像がしっくり来たりする。

自分の感度という意味では若い頃に戻ったかのようで、幸せですらあり、
ピエール・バルーさんが David Sylvian を家に呼んだりしてた、とアツコさんに聞いた話が、今頃染みてきたりしているのだけど、

正直、周囲との共感度においては、あまり期待していない。
今それは、ある種の安全装置として働いている。感受性はそれ自体がレセプターとなるからだ。

まぁ、もうしばらく、やってみよう。

trusty

吐き気がする広告を消すために

会員登録させるって?

金にまかせて戦争に憧れさせる人も

その金に頼って運営してる人も

なんでこうなってしまうんだろう。

信用の基準ってなんなのだ? わからなくなる。

+-+-+-+-

筒井康隆に「この世で最も高価なものは、静寂です」で結ばれる話があった。
そのレコードを再生すると無音が味わえるというものだった、と思う。

-+-+

広告は生活や仕事に深く染み付いた
「大切な」ことであるし

だからこそ力が集まってくる

だがやってはいけないこともある

「経済的徴兵制」もその一つだが
子供や若者の意識に向けて、アニメやゲームで戦いに慣れさせていく

まぁこれは昔から、ヤマト、ガンダム、映画、長編ドラマ、戦隊モノ、時代劇、
なんだってそうかもしれない。ルパンやジブリも随所に銃や兵器が登場する。
それぞれメッセージはあるけれど。

実際僕も、子供の頃いっときはミリオタの入り口にいた。
ベレッタM84って拳銃がかっこよくて好きだった。モデルガンだが。

小学校のうちに興味は薄れ、
大人になって大幅に考えは変わったが、
男の子がそういうものに惹かれるのも、よっくわかる。

けど、もうええっちゅうねん。
銃や武器で人は守れないし、戦争で平和はこない。
テロへの戦いも矛盾しているし、
戦闘機いくら買ってもパイロットがいくら熟達しても、
兵器は壊し壊され、兵士は殺し殺されるためにある。
そして、街も人も、大人も子供も老人も、自然も全て。

戦争は子供の脳内だけで起こるのじゃない。
体力があり、疑いやしがらみを知らない若者や、
情報で扇動された大人が、
権力者達に煽られ、鼓舞され、忠誠を誓わされて起こるのだ。

+-+-+-+-

だから、情報を出す側、中継する側は、少なからず責任がある。

子供や若者や(あるいは中年、いや老人まで?)の
そういう「遊び」で済ませるにしたって
実際は遊びと、そうでない部分との境界はとても曖昧でとても難しい。

自己責任で済まないところもある。

まして、万人が利用する電車の吊り広告や
ごく一般的な web サービスのページに無差別に出すものじゃない。

-+-+-+-+

書き出すととても深い。

そもそも軍備や戦争を、良し、止むを得ない、必要悪、むしろ推進、
などとしている人々には、好ましい状況なのだろう。とても。

仕事を失っている多くの人に対して、潤沢な資金を持った者が札束で頬を叩ける状態になれば、ありえなかったことが簡単に起こってしまう。

(物理的な札束がなくとも、キャッシュレスでも仮想の頬は叩けるだろう)

女の子に釣られて戦争ゲームしていれば、
やがて遠隔操作でリアルにドローンや AI から戦闘できてしまう。
(「先頭、銭湯」と誤変換してくれたこの Mac はまだ平和な方だ)

これだけリモートが浸透し、5G が近いとなると
ここから数年が、ほんとに恐ろしくなる。

(加筆有)

たこ焼き

気がつけばこのサイトのカレンダーは、たこ焼きか、イモ虫みたいになっている。

「たこやきみたいやな」は、0対0が続く投手戦を解説した福本豊の名言であり、○に日付という番号が収まって連なるこの状況は当てはまらないのであるが、そこはよしとする。

しばらく食べていない、たこやき。何かの褒美としてたこやきを買い食いした思い出としては、東横線の祐天寺駅前で屋台を出してたおっちゃんの味が忘れられない。あれはスカパーの収録、ケミのキネマ倶楽部だったか。

本場のたこやきは随分食べていない。

芋虫といえば、それを食べるわけではないが、芋を連想させるし、食糧である野菜につくものでもあるので、やはり食に直結している。また、梔子につくオオスカシバの幼虫は、その容姿といい、葉を食べ尽くすスピードといい、破壊力満点だ。

またどうでもいいことを書いているが、SNS を控えようとしているので、日記としてはこうなる。
ニュースで流れない(どころか、今はニュースも SNS の引用ばかりじゃないか)、ライフラインに直結する情報を思えばやはり SNS は重要だが、こちらから発信する意義はあまりない、とふと気づいてしまった。

気づいても何もいえなくなる。気づいたから何もいえなくなる。つぐむ。

twitter はその名の通り、鳥のさえずりから来ている。鳥は本能で囀る。それが止むことは、なかなかないんだろう(でも、やはりあるのだろう)。うまく人間の本能を利用したサービスだと思う。

野球解説者が喋り続けること、人がたこやきを食べ続けること、芋虫が増え続けることも、そういった慣性の法則に由来しているのだろうか。

かんせい・関西の法則。失礼つかまつる、ここは閑静なり。


で、そんなことは本っ当にどうでもいいのだ。

下弦の月になったので、次回新月の配信予告

タイトル:未定
内容:複数候補にて未定

なれど、1候補として “Loft & Found” というのを作っています。

yoroshiku

空の鼠

灰色

時折その良さがわかる

グレーが流行ってるときは
世界的に暗い変革が起こってる、ぐらいの認識だったりもする

そして実際、そうなのだと思うが

今日、山沿いで見たグレーは、濃緑の森とも相まって
なかなか、おつなものだった。

覆い隠した太陽、様々な角度で切り込む空。
知らないグレーがいっぱいだ。

畑の草引きがはかどった。

14589

さて、少し状況が動いた。

適当な半デニムが見つかり、気づけば夏や。冬やったのにな。

* title は自動生成された番号です。マイナンバーってそんな感じやね。

ちいさなせかい

昨夜の日記のタイトル、なんで「一輪車の夢」だったか

よくわからなかったのだけど、たぶん昼間に読んだ古い雑誌で

昔の巨大な一輪走行車のカタログを見てたからだと思う。

もうひとつ。ベースフィドルを運ぶには、アメリカ在住の頃だが、
常にエンドピンを外して、ぐさっとタイヤを差して、コロコロ歩いていたのだ。

それが「一輪車」。

今は、何度か写真を上げてるように、二輪の専用の車をバリッと貼って
ゴロゴロ歩いている。サスペンションまで付いてて高性能な車だ。
もう三度か四度、タイヤを交換している。

もう、歩くの、疲れたよってことかな…


ずっと歩きや公共機関で、ベースを担いで、転がして、移動してきたが
昨今の状況から、僕は極力それを控えている。

たとえ JR やメトロの営業妨害と言われても、そこは僕だって。
普通の人より遥かに荷物が多く、身動きがトロく、距離だって取りにくいのだから。
なんなら、乗る方が妨害でさ。

そう、ただでさえ、オリンピックに備えて荷物の予約が必要になります、とか、そういう事情が重なっていたのだ。

そこへこの新型コロナだ。そろそろ運ぶのをやめたくもなる。

車を使えばいいだろうって、ほとんどのプロミュージシャンは車で移動するけども
そうもいかない。とはいえレンタカーもそう使ってられない。


いずれにせよ、今後演奏活動を展開するには、専用車が要る。
この、先の見えない展望で、車ですかい。

そうなると、色々な事を考えるのだ。将来、数年後、十数年後、去った後…

僕を知っている人ならお分かりの通り、僕は相当変わっている。
ミュージシャンとしても、一般人としても、
真摯であろうとすればするほど、はみ出しているのがわかる。

型にはまるのが嫌いなのだ。


発明家になれたらいいのにな、と昔は思っていたし
一方で軍隊に入りたいとも、イタリアの銃器メーカーに入りたいとさえ思ったこともある。

鬼ヶ島に就職して青鬼になりたいとも、ノートに書いたことがある。

今思えば。軍需産業がどれだけ世の中を牛耳り、人々を悲しませ続けているか。
でも、たとえば手元に銃を置いて眠りたい、なんて想像する人は、その先は見えてないのかもな。
自分がそうだった。子供の頃だけれども。モデルガンだけれど。

昔から、若いまま、色々な事情で戦争に行く人がいた。今も世界中でそうだろう。
彼らはある時はよかれと思い、ある時は任務として一生懸命やっているのだろう。香港の警察と同じだ。だけど想像した方がいい。

想像ができない間に、人々は使い捨てられる。今に始まった事じゃない、人類誕生からずっとそうだろう。

そんな想像さえ、できなくなるかもしれないからだ。


物も電波も電源も、軍需から発展したものは多い。たとえば腕時計もだ。

極限の状況で性能を上げざるを得なかったものも多いのだろう。その恩恵を受けた物や人も。

だがそれは大切なことを半分以上覆い隠している。

今も軍需に経済を見出したいとする人々は考え直した方がいい。本当に幾度も幾度も、考え直した方がいい。


音楽は平和か。音楽は凶暴か。
音楽は何かの道具ではないのか。

目を閉じたくもなるのだろうけれども、そこはみんな、常に考えた方がいい。
若い人だって。

気づいても何も言えなくなる事だってあり得るのだから。

音楽は忘我。the other side が見せられればそれでいいのかもしれない。
あとはそれぞれ、感じとるも、感じないも、自由であろうよ。

そうかもしれない。たぶんそれだけでもない。

僕の音楽や、僕の関わった音楽が、どう残っていくのか、わからないけれども
せめて残された時間、考えて実践していきたいな、と思う。

無意識をふくめて。もちろん。


Thank you for reading!

一輪車の夢

7.8

全くの無音環境で音をつくっていけないか、と、空想しているが
なかなかうまくはいかない。

が、新しい捉え方はできる気がしている。

視覚や、時間感覚も大事かな、と改めて思う。

家にスタジオがある…というのは音楽家の理想であり
昨今はこれを実現している人も増えているようだ。

それは近くもあり、とても遠いことでもある。
投資や、運だけでもないようだ。ほんと色々な要素がある。
気合いでダンボッチDIYする人もいるし。それすら阻む環境だってある。

かなり本格的なスタジオを身近に実現している音楽家に、いろんなところで接するので
彼らに祝福と、応援と、を思いつつ、
自分はやはり限られた環境で道を探っていこうと思う。

僕はおそらく多くの人と同様、基本的に音の出せない生活をしているが、

だがタイミングや、ちょっと工夫して外に出たりで、マイク録りができたりする。
そのための最小限のいい機材は揃えている。

また、去年や一昨年や、それこそ前世紀に録音したデータも残しているので
それらを組み合わせて曲を作っている。実際、音を出せたり出せなかったりが、かなりの勉強にもなっている。

ここ数ヶ月は、ツアーに備えて楽器の半分を倉庫に預けていた。
ようやく、5弦ベースとショルキー以外が帰ってきた。
とはいえ弾くことはできない。この巨大な生き物は。

裏面を眺めていると、よくできているなと思う。楽器を弾かずにコレクターになる人の気持ちもわからないでもない。

現在はいろいろな意味で、生演奏のハードルが高い。
せめて大事にしてやろうと思うが、これらは待ってくれるのだろうか。

物というのは人間とまた違った時間軸で、生きている。
だから、よほど気が長かったり、逆に寿命が早くきたり、寂しかったりおおらかだったりもする、と思う。

作った人はいろんなことを思っていたのだろうな。


海外から楽器や機材を頻繁に買う知人もいる。

よくやるよ、とも思うが、自分も必要に迫ればそうする。必要なペダルやボックスをギグに間に合わすために、国内で買うよりドイツやアメリカから買う方が早かったり、というパターンもあった。

昨年秋頃から、アコースティックダブルベースでの演奏活動は控えていきたいと思うようになった。
いろいろな意味でハードルが高すぎるのだ。オリンピックによる荷物や交通制限、テロの可能性だって考える。そうでなくても移動時の身体への負担は半端ない。

僕はたいしたアップライトプレーヤーではない。こんな事を書くと、誤解する人もいるかもしれないが、自分の腕前ぐらいは誰より自分がわかっている。世界のトッププレーヤーに、折に触れて接してきたし、それに合った自分の立ち位置は把握しているつもりなのだが、周りはなかなか、そんな自分をわかってくれない。

それでも、時には不相応な、物凄い人々からオファーが来るから、ベストを尽くそうと楽器を手に取る。

とはいえ公式なセッションでは、なかなか自分の納得のいく、自分のベースプレイを残すことができていない。自分の理想とのギャップがとても大きいという事でもあるが。これもやはり、なんとかしたいもんだ。

ライヴ演奏というのはまた別で、録音、ミックスなどでは伝わらないものも、よくも悪くも伝わってくれたりもする。また、生だと音以外の部分が評価されたり、台無しにしたりもする。これも、大切な要素だと思っている。

だから僕は、生演奏活動を重視し、体現している都会のミュージシャンを本当に尊敬する。
リモートライヴを積極的にやっている人も然りだ。
自分は残念ながら、そうはなれない。少しはやっているから、そう実感するのだ。

そんな中、仕事とは並行しつつ、
小さな町や縁のあった場所も含めて、電車や車で旅して、自分の音楽や演奏をやって行こう、とは思っていた。2月までは、だ。

僕はベースが基本ではあるものの、曲作りではガットギターばかり触っている(最近はサイレントギターだ)。
なので今後を考えて、弾き語りし易くアンプも要らない、横型のアコースティックベースギターを探していた。いいのがあったのだが。
無理して買おうと思ったが。すぐになくなった。

そもそも、現在は海外からの楽器購入もほぼ無理だ。閉ざされた世界。
元もとれなかっただろうから、買わなかったのは正解だ、とも思っている。


閉ざされた世界ではいろいろな事が閉ざされていく一方、音楽をより大切に感じたり、もする。


そんなこんなが、枯れては再生し、明日になっていく。だろう。
地味だがよい折り返し、本日これにて。

豪雨の中の方々、くれぐれも御用心ください。命を大切に。

折り返しの織姫

今年も折り返した。

7.1 がそうなんだろうけど、7.7 ってことにする。

2年前か3年前か、river silver [side a] を出した。
river silver = 銀河
なのでそうした。7.7がゾロ目ってだけじゃなくて、後からいいこじつけがみつかったわけだ。

何を隠そう、そのアルバムは今絶賛廃盤中だ。[side b]  合わせて、合計16曲。
中には我ながら、「めいさく」もいくつかある。
grace behind the wordみつかったぞホタル や。
[side b] には double time runes がある。

CD やアナログと違って小回りのきく配信リリースとはいえ、はっきり書くが、ぜんっぜん採算に合わないのだ。儲かるどころの話じゃないって話。

こんなんじゃ、ゲストミュージシャンやイラストレーターに頼むなんて無理の無理。ちゃんとギャラ払いたいからね。レーベルオーナーとして。いや、人として。

配信ってなんなんだろう、とは常に思う。Apple はじめ、彼らのやりかたって、かなり疑問も感じてる。「1984」じゃない、って IBM を打ち砕くイメージで登場した Mac、実はビッグブラザーでしょ?
と、僕は Mac に向かって入力してる。その先は巨大サーバー。ビッグブラザーじゃん。

いろんな人巻き込んで、お金かけて、宣伝して、しまくって、広がって、元が取れる。
それは一つの有効なやり方だろう。資本主義。まだ王道なのかもしれない。この世の会員。

それができるのは、まず才能のある人だと思う。それは素晴らしいことだ。
音楽の才能。マーケティングの才能。人間としての魅力。言うまでもないので言わない。みんなわかってますよね。

なら、僕みたいに少なくとも、自分の得意なこと、より、自分のやりたいこと、を優先する人(≒偏屈な人)にとってはどうすればよいのだろう。

むずいね、無理だね、あきらめな、絶望だね、そんなことないね、どうでもいいね、最高だな、やばいな、ほなほんでええやんけ。いやいや、無意味なことなんてこの世にないやろ。

まぁそんな感じだ。あらゆる葛藤を360度 x 3600回超えて、僕も誰かも、こうやってオンラインリリースをしてる。「いいね」ごときでカウントできないっしょ。

それに比べたらアーティストイメージなんて関係ないし、ほんと、どうでもいいのだ。それに、やがて、人は灰になるし、チリになる。肺が使えなくもなる。

サーバーにデータすら残らない。何万字になっても数KB。解像度が高くても最適化すれば誤消去。諸行無常。

さて、全く重要じゃない前置きは終わり。

ともあれ、river silver は僕の(ほぼ)代表作でもある。Voice of Marble と別の意味で、問題大アリのかけがえの少ない作品集だ。

これは、改めてリリースしたい。できれば一年単位でなく、死後だって残したいものだ。

…間に合わなかった。いや、生きてるが。7.7 に。

数曲、リメイクしたいと思ったんだけど、この状況じゃなー。

だが、必ず、今年中には再リリースしたい、と思っています。


なんでこんな前振りが必要だったんだろう。

7.7 ということでこれは外せなかったのだ。あの前夜は赤い靴のライヴを 7th floor でしていて、仲間も沢山いた。

その同じ時、西日本では集中豪雨だった。

同じような状況だ。思い出さずにはいられない。

どうかご無事で、九州の方々。


同じような状況 ー もっと悪くなってないだろうか。香港、東京。アメリカ。目で確かめることも、容易ではない。そうなるとメディアを介したものしか、「社会」として認識できない。

これはもともとそうだったか。「社会」は最初教科書で、次に新聞やテレビで、それからもずっとそうで、町内会や自治会や、業界や、が入ってくるとしても、SNS やスマホで、でまたメディアになってしまう。

そうなると、リアルとメディアの関係は、永遠に。


折り返し。

また今年も何か、無茶なことをしよう、と思ってはじめた

moon x moon

完全に自己満足が発端なのだけど、ギリ続いている。

あと11曲の予定。

僕は昔から、曲の断片は溜めてきたから、作りかけ含めると1,000曲ぐらいのアイデアはあるのだけど、いかんせん歌詞が書けないのと、歌の才能が全くないので、ほとんど断念してきた。

もともと日本語の歌詞など興味はなく、インストか洋楽しか聴けなかった。
RC の「シングル・マン」を聴いてからだ。詞ってすごい、と思ったのは。

それからも随分経って、ようやく言葉が何処かを通って出るようになってきた。
才能がないなりに、少しは自分の声が出るようにもなってきた。

そんな遠回りをせずに、提供したり、共作したり、フィーチャリングボーカル使えばいいじゃん、って人は思うでしょう。

そんな単純じゃない。

フィーチャリングボーカルなんて、やっていいのは大沢伸一までだと僕は思ってるし。

自分も最高のシンガーとバンドをやったし、ものすごく素晴らしいボーカリストとも、たいがい共演した、それを経ての実感だ。

「うたうひとは、自分の世界を、うたいたい」。その方が輝く。

それに、僕は人を「使う」という感覚に、馴染めない。
プロデューサーっていうのが苦手なのだ。

ある意味対等でありつつ、意思を尊重して何かを見出すってのは、本当に難しいことだ。でもここからしか、長く聴けるマジックは生まれない、と思ってる。これは滅多にないこと。

それでも、僕のヘンテコな歌詞を歌ってくれたり、イメージをわかってくれる人なら、機会があれば共演したいものです。またそれが、人を介して、または独力で、きちんと仕事になるのならば、よいと思う。時間的なことを含めて。

やっぱりアイデアがある以上、人にお願いするにしても、自分である程度わかった上で、と思います。
しかし、わからない部分こそが、重要だったりもする。

難しい。ですよ。

難しいから、ガタガタ言わずに、やるんだ。


moon x moon は、リリース日以外にルールを決めていない、シングルリリースプロジェクトです。

昔から曲のアイデアはあるので、そこに、漸く詞がついたものを形にしたり、ということだったり。
とはいえ、ときには20年も前にアイデアが訪れたものを一度も人に聴かせずに、「新しく」出す、なんて馬鹿な奴も、そんなにいないと思います。そんな要領悪い人、いるの? ていうか詐欺? 案外いっぱいいる?

この24曲 25曲 の中から、残っていく曲も、発展させるのも、1年後にあっさり消し去ってしまうものも、ありそうです。

まぁそれでも、振り返ってみます。どれも、作った時は夢中でやってるから。
最高だと信じて、ね。


僕のリスナーは、少ないです。稀少な金属(レイア・メタル)です、あなたは。

が、はまるとハマるらしく、熱心に聴いてくれたり、するようです。
本当ありがとう!

僕は特にターゲットを決めたりしていないし、そもそも作品に表面的な一貫性はほとんどないので、もっと意外なとこから聴いてくれたりもするのかな、とは思ってます。

自分でもいいな、と思うのと、割と人気が一致するのが
Atto Iu Ma Ni

この曲、構成もうちょっと伸ばしたかったり、最後に歌やソロを加えたかったり、もします。
まずはライヴで育っていく曲、と思ったんだけど、この状況だからね…
後悔としては、タイトルは本来は “a tto iu ma ni” でした。こうできなかったのは、業者の Cap & Low(大文字小文字ルール)制限。”A Tto Iu Ma Ni” だとバランスが悪い。全部小文字にできるハックがあると、だいぶ後に知る。
「くつがえる ときのいわ」というのは「さざれ石」のことです。恐らく。

自分ではとても思い入れがあって、気に入ってたけどリリース後に聴き返せなくなってしまった曲もあって、その中で割と人気があるのが
わらい x きみ

です。これ、曲や詞としてはほんと大切なんだな。ボーカルでかすぎるね。
ジャケットは、京都在住の素晴らしい SSW、隆太くんによるものです。

自分では最高に気に入っていて、リリース後のトラブルもあり殆ど告知もしていないけど、いつの間にかよく聴いてもらえてるのが
Yesterday Morning

最近ようやく、リアルタイム歌詞も表示されるようになったので、きいて、よんでみてください。反省としてはコーラスがデカすぎるのですが、アウトロなんかはとてもご満悦です。
これはライヴでの再現はハナから求めていなくて、アコースティックで全く別物として成立します。だから楽しみでもある。

カーステで聴くとすごくよくて、割と人からも好意見もらえてるのが
Different Town

やっぱ8弦ベースがいいんですよね。
ジャケは、尾道で買ったミニカー。

地味だけど安定して聴かれてるのが
Waltz for July

です。本来は今月にリ・リリースするべきだった曲。待ちきれず1月に出してごめんなさい。やっぱインストゥルメンタルはいいんでしょうね。
ジャケットは、90年代の京都のさる風景です。

それから、よく聴いてもらえて、いいコメントももらえたのが
あかりをつけたら

これは死ぬ前には出さなきゃ(リリース=解放しなきゃ)、と思ってた曲。2バージョンあるけど、こちらがオリジナルアレンジ。とはいえ、ボーカルや、ドラムのマイキングに、今ならもっとこうしたい、というのはありますが。
自分の形はできたので。やや解放できてきた。だろうか。
至って健康ですよ。ただこの時世何があっても、との心境なのです。ジャケは近江大津のお宿です。

ほぼスルーされてる曲もいっぱいありまして、んなもん書くなよってことだけど
So It’ll Be

はもったいないですね。やっぱAメロのレンジが低すぎたのでしょう。歌詞含めて冒険心富んでるのになぁ。
Lou Reed も、磁石の武者、クシャナ殿下も、涙ぐんでる。
この「ペンシルドラム」の味も、捨てがたいのです。これはものすごく簡単なドラムセットで、マイクの前に立ててるポップガードっていう黒い金魚すくいみたいな物体の、ストッキング部分と縁の部分を、鉛筆で叩いたものなのだ。ASMR を先取りしてた。ジャケットは、エフェクトボードの光です。

それから、リリース後にものすごく再生されたと思ったら、いつのまにかその記録がなくなってしまっているのが
rivet

なんだったんだろう? いろんな意味で、重要な作品。好き嫌いはあるでしょうけれど。
タイトルが、右中央に浮かび上がっているのがおわかりでしょうか。

もう一つ、ほぼ完全にスルーされているのが
Black & White River

メロウなのが裏目に出たのか。あと、ジャケットが棺桶みたいで伝わらなかったのか。伝わったからなのかな?
愛しの目黒川。こないだ久しぶりに歩いたら、大橋ジャンクションはツタが絡んでて甲子園のよう。ポリドールの面影もなく。ただ、あの夜無数に星があった氷川橋の路面はそのままでした。

完全に太陽系外なのが
neptune

ま、そういう歌詞、もとい、詩なんだけどね。
中央からや権威から離れて、人間が作った歴史からも、っていう。
この曲のジャケットは4パターンあって、一番、おっと思うのを選んだのですが、
他のは美しすぎた。最後まで迷って、寂しげだけど何か言いたそうなこれにした。
でも全て気に入ってて、それらはまた公開するかもしれません。

そして、とても反応がよいのが
あめがおおきくゆらいだサイン

これは、ほんとになんのことかさっぱりわからないんだけど
なにか、いいんです。

さいごに
よこくの太陽 <feat. 神谷>

洵平くんやってくれましたね。当初かなり聴いてもらえました。
まぁ客観的に、よいのかというと…わからない 笑
以降、順当に、聴かれなくなっていますが。
それからこのジャケは、吉祥寺シアターという所の壁の一部を基にしています。

さて、そんなこんなもありつつ、これからも進むのだ。

七夕に彦星と織姫は会えるのか。

最もポップな、Z-A の運命やいかに。


<おことわり>
* 適宜、この投稿は増改築しています。ものすごく雑に書き始めたけれども、重要なことをたくさん含んでいるので。
* 数え直すと、なんと10月は2回も満月来るんですね。1曲増えたぜ…

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