まっすぐの視野を持てないなら
少し斜めに傾けよう
地軸は傾いてる
時間は常に動いてる
すべてのかんせつは
まわりながらそれをかんじとる
まっすぐの視野を持てないなら
少し斜めに傾けよう
地軸は傾いてる
時間は常に動いてる
すべてのかんせつは
まわりながらそれをかんじとる
子供の頃の教則本を引っ張り出すと、真面目にやってなかった証か、シールが貼ってあって、
それはライオンの顔であって、周囲に字が書いてあって、それは「アフリカンサファリ」という。
昔訪れた、大分県の動物園だ。車窓からこちらを覗くライオン。あれは怖いものだった。
そして別府温泉。血の池地獄。忘れえぬ旅。
旅演奏家になって何度か九州に行くことができたが、
大分はまだ、そして宮崎、佐賀は知人に薦められつつも未踏である…
少し思い出す九州。
最近は福岡の楽器屋さんにお世話になったりしている。
そして、福岡の超人からふと連絡をもらう。
https://www.youtube.com/watch?v=xqbdfH2lVCw&feature=youtu.be
この人の真似はとうてい出来ない。
生き方、やり方、進め方。
真逆だけど、こういう人には励まされる。
Synchronicity ってなんだろう
思わぬところから、久しぶりにこの言葉。
僕もこれについてはライフワーク的に考えているのだけど
共鳴
意味ある偶然
虫のしらせ
同時多発
どれもいいけど、自分にとってはなんだろな。
誰かが羽をひろげる。こんな世も。
そして羽音を。聴けるかもしれない。
その場で考えた音を録っていく。
あるいは、考えもしない音を、瞬間的に録っていく。
そういうこともよくしてきた。または、そんな音を後から聴き返し、覚え込ませることも。
最近は違うことをやっている。考え、書き、録り、聴き、また考えて書く。
これがとても建設的だったり、無駄だったり、理にかなっていたり、面白くなかったりする。
書いて形にすると、それ自体が一人歩きする。間違いや変えたいところが出ると、そっちに気を取られて弾くのを忘れたりする。
それは本末転倒でもある。ちょうど、試験前に勉強よりも部屋の整理に夢中になるように。
全部無駄、というわけではないのだけどね。
ガイドトラックとは面白いものだ。ガイドにもなるし、全くガイドにならなかったりもする。
そう、面白くないものに面白さをみつければ、たいがいのことはなんとかなる。
ある意味、それで幸せに生きていける。
だがふと我にかえったとき、それがいいのかどうかは別の話。
ガイドは光か、それとも影か。
山に登り、地下に潜る。
ほぼ 一年半ぶり か。
要は「鍾乳洞」に行ったわけである。
コウモリが舞う洞窟は、冷んやりしている。
かつて洞窟が「発見」されたとき、微かな光に浮かび上がった石たちのかたちは
掘削者たちに多くのインスピレーションを与えただろう。
やや業務連絡っぽいのですが
Q1 2022 も終わりました
この間 なにも発表しなかった というのはちょっとすごいことで
何のために、左右独立でめくれるカレンダーを買ったのやら。
ただし今年に関しては
徹底的にスローに行こうと決めており
今までずっとほっぽっていた事に向き合っています。
漸く、自分の中ではギアがひとつ繋がった感覚があり
今年後半には、何かの形にしていけるのではないか、と思っています。
そんなんで Q2 2022 itte miyou
久しぶりに…というか
たまには朝一にベースを弾いてみる。
いつもと同じフレットレスの Key=C だが
これはいくらでも広がりがある。
もう一つの楽器とのデュオもいいなと
アイデアメモ。そっちがもっと上達すればな。
手抜きしまくってもベースはそれなりに聴こえ、
もう一つは他のあらゆるパートと同じく、たまに面白いぐらい。
それがメインとセカンダリーっていうこと。
だけど人生においては、どちらも自分だ。
少しだけ何かをつかみかけてる、と、意味なく嬉しくもなった一日。
やはり、いらないものを整理する、というのは、いい効果がありますね。
前夜から、朝一にかけて。
Sunday Night to Monday Morning.
小惑星はどのあたりをどう通過したのだろう。
災害は言わずもがな、なにがあるかはわからない。日々を大事に。
これまで多く引っ越しをし、基本的に狭い部屋ばかりに暮らしてきた僕は、
極力モノを置かない派である。
常に自分自身が小惑星だった、としておこう。彗星…ぽくはない。
そもそも楽器がでかいので、他を圧縮する。本も極力ためず服も僅かだ。
一時の迷いで異様に溜まった Type-2 のカセットテープや DAT は未だに整理できないが、
デジタルで済むものはさっさと手放してしまう。
楽譜もそうで、仕事の楽譜はデータで届くし、自分で作る楽譜もたいがいはデータだ。
それでも長年印刷した譜が書架でカオスになっていたが、思い切ってほとんど処分した。
もし必要になったらどのみちデータを直して印刷してメモして、覚えることになる。
今は違う軌道で、カオスの奥をよみとりたい。それって小惑星の仕種か?
とはいうもののデジタルどころかはるか昔、子供の頃に持っていた楽譜はちょっと意味が違う。
質感とか温もりとかそんな甘い感慨ではなく、まずもって鉛筆で書かれた日付に驚愕する。
何も書かれてないのはサボったか永遠に後回しにしたか。余裕でやったということはあり得ない。
それが何十年も経って、永遠の後回しパスが、繋がる。また鉛筆で日付を書く。
水平思考、ダジャレ好きの弊害というか、僕はすぐに視点が移ろい、物事が長く続かない。
何年に一回の彗星飛来みたく、何層にも日付を書き残すことはあっても、
これって何度目のラストトライ? と、冷めてくことばかりだ。
中心核は氷より冷たい。
いい加減そんなこともしてられないし、
幸か不幸か、割って入る案件も当分ないわけだし、
ここでつなげないとな、パスを。
それでもつながんなかったら、カークウッドの空隙に。
寝際にコメを焚き、冷水を張った土鍋の持ち手で指を軽く火傷。保熱力に恐れ入る。
彗星の中心はきっと熱い。
今宵これにて。
書架を大幅に整理。
古いテープは、あの頃どこまで再生してどこで止めたのか。
今再生を開始したのは、ちょうどその位置。
当たり前のことなんだけど、これって嬉しい。
パラパラページをめくれる本であっても、同じようなことが起こると
結構うれしい。たまたまじゃなくって、そのページから再開したのには理由がある。
これで一気に、記憶がまとまることってあるんだな。
基本、あまりテレビは観ない。
ずっと在宅ワークなのに? いや、だからこそ。
ドラマもほとんど観ないが、菅田将暉の「ミステリと言う勿れ」初回は面白いと思った。
音楽が、誰でも知ってるようなクラシックだけど、響きがいいんだよな。画も、タイポグラフィも。
トパーズが「捜し始める」意味っていうこと、知らなかった。
全く知らなかったってことだ。この言葉も、石も。
だけど、エンジ色は、確かに好きだ。グリーンやブルーと同じぐらい。
これを書いてる頃はもうほぼ満月。
ラピスラズリの夜空と流れる雲のバンパイア感。
消灯しよ。
古くから持っていた楽譜を、再び見ている。楽譜といっても教則本だ。
子供の頃、どれだけ練習していたか、目を瞑っていたかったけれども再び見る。
自分はこれまで、いくつかの事に打ち込み、そのうち半分ぐらいが上達し、ほかはそうでもなく、
いくつかは仕事にもなった。
何事も「トップでなければ意味がない」という強迫観念のようなものを持つ一方、
「優劣や競争に意味はない」という真逆の考えも持っている。
つまり完全な矛盾でバランスをとってきた。
これで得したこともあるし、損したこともある。
つきつめれば損得にも何の意味もない。
が、物事を何度も見返し、感覚の電流を都度発生させて、テープヘッドのように繰り返し感じ取り、表していくことは大切だと思う。反復は何事にもあてはまる。魚の尾びれが動き続けるように。
目をそらし、埃をかぶってきた教則本と楽器を出し、1ページずつたどっていく。
昔どれぐらい自分はやってきたのだろう。
耳を貫く音色と、呼び起こされる感覚とともに、
その練習の甘さに愕然とする。同じ弱点を、そっくりそのまま残している。
これだけしかやっていなければ、そりゃ途中でやめるわけだ。
だが。
こういうことの面倒を見れるのは自分でしかないし、再びやり直すことにする。
生で披露できるとは思えないが、運が良ければこれから、何かしら形にしていけるだろう。
日没は早い。昨日の午前七時頃、海辺であれほど多くの人を射抜いた太陽が、二度目の夕陽となり沈んでいった。
その前一瞬、この部屋には素敵な夕陽がさす。昔から西日の部屋で過ごすことが多かった。それもあってか、少し落ち着くのだ。