あけましておめでとうございます。
去年も今年も、世の中はとても暗く思えるけど
そのシナリオには乗らないよと。
皆さんにとって、素晴らしい一年になりますように。
あけましておめでとうございます。
去年も今年も、世の中はとても暗く思えるけど
そのシナリオには乗らないよと。
皆さんにとって、素晴らしい一年になりますように。
2015年
世の中は暗かったけど
ぼくの音楽活動としては忘れえぬ年でした
出会えた人々の輝きには驚くばかり
名前を挙げればきりがない
一緒にできて、俺でいいの? と思いつつも
とてつもなくいい時間を過ごせた人も
ほんの短い間だけど、ちょっとの瞬間で
まだまだこんなことができるだろうなとわかった人も
この遊びが一緒にしたいんだろうな、と
だったらやろうよ、となれた人も
一方で「もう、俺は観てるだけでいいですよ」と本気で思った人もいて
「え、なんでです?」と言ってくれたけど
それはほんとに、何も足りなくないと感じたからで
ミュージシャン、共演するばかりが能じゃない、とも思ったり
まぁ、縁があれば(というか、答えがみつかれば)ね
色々な、自分の外殻をひっぱって、割るか伸ばすかしてくれた人々のおかげで
久しぶりにコーラスもやったし、初めてアコースティックギターも弾いたし
人前ではメガネをかけないようにしていたのに逆に思いっきりかけてたし
ペダルボードなんて生まれて初めて使ってみた
おかげで少なくとも 意識の上では外殻が大きくなった
中身が埋まるかは これからだな
本職の低音に関しては
ろくに練習時間もとれなかったが 人前で学ぶことと
ああこうやってたんだ こうやりたかったんだと
思い出すことばかりで
自分の何割かも まだできていない
できてないことに気づけただけでも よしとするかな
一方
今年やり残したことも たくさんあって
Daveとも
Epizoとも
ヒロとも
一緒に演奏できなかったし
工藤さんとも一度しかできなかった
日の巡り合わせとはいえ己のブッキング能力の無さにはまいる
数年前からのアルバムセッションの話も実現せぬまま
待ち切れず長い散歩に出てしまった仲間もいる
自分の曲も
相変わらず 大量の作りかけのトランク
来年はどんな一年になるだろう
瞬発力がないのに 慣れてしまっているが
深い海から そろそろ顔を出すかな だれかさん
今年最後のライヴは赤い靴とDadaDのクリスマスパーティー、月見ル君想フにて。
昨年、赤い靴に呼んでもらって同じ場所で演奏して、その後、洵平どん&亜希子どんとはツアーやフェス、recなどでいろいろ時間を過ごせて、いくら感謝してもしきれません。
そしてシゲちゃんケイティも、全身で音楽してる&スーパー面白いピープルだった!
たぶん書いても書ききれないので、年が変わる前に、あんがとさん。
12.18 ohashiTrio & THE PRETAPORTERS に向けた最終リハーサル。
あと10日。
特別な音楽の夜になるでしょう。
冬の風は
ともすれば地球上、3度くらいはすぐに動かしてしまう。
温度と共に、角度。北風強し。
大事にしてたもの、なんだっけ、飛んでったよ、って具合。
人を我がものにするのっていやだな。
お前のものじゃないし。あいつ。
でも
さびしいんだろうな。
どうにも もやもやする夜が続き
それは今まで開かなかった扉が
かんたんにひらく合図だったりする
なにも心配は、いらないんだ。
そんな、ふぁるせっと。
…とは flexlife の曲の名前。
ええ曲なんですよ。
昨夜やった「テープ」を聴きながら、これを書いている。
1st setの最後、リエンヌの気が許すかぎりどんどん転調していって、
結局6回も上がってすごい高い声になってたんだな。
で、それだけ盛り上がるにはやっぱ訳があって、
曲の持つ力、なんだろな。
年に一回の飛び入りとはいえ
佐藤大ちゃんとリズム組むのはなんだかんだ10年以上になるし
アンケンどんはいつ一緒にやっても、なんとも安心する - これってコンロスならではのキャラなのだろうか?
大倉さんは当時メインだったウーリツァーやNordからアコギになってるけど
自分もアコギに近づいてるせいもあってか、すごくのめり込みやすい。
たぶん、昔以上に。
サウンドの景色としても、この曲は
Red Zepやクイーンの良さもあるけど、Joni Mitchell。やっぱええんよね。
でもこのメンバーで真面目なジョニ好きサウンドになるわけがなく、
魔性なジョニ。ジョニー・ウィンターの帽子かぶったジョニ。
なんのこっちゃ。
本日は横浜行きたかったけど、足止めくらい。
また、会おうね。また音だそうね。
サウンドチェック中のふたり
公式ギャラリー から拝借しました
おまけに、昔、手伝ってたころの写真
これは町田の「地中音波」だったかな
生を受けたこの世界に、昨今この情勢、警戒を抱いてはいるが
それでも自分自身はポジティブである。
やれることをやる、しかないのだ。
- 音楽を人と共有できればそれが一番だ -
- 鳴り止まないことが大切だ -
そういう人たちの意思もわかる。それが完全に解決策とも思わない。
(音楽そのものを否定する人がいる限り。そして、その気持ちも決してありえなくはない限り)
が、自分はやれることを、磨くのだ。
—
何しろ、僕自身、昔は音楽がすべてではなかった。
かなり小さな頃から音楽と共に生きてはいたが、
それでも自我に目覚めた頃から中学のある時期までは、
音楽以外のことの方が心を大半を占めていた。
自分が何かに没頭できるなら、無音でも、よかったのだ。
それがあるとき、FMから流れたポップスにスライドしたけれども
その頃は、まさか自分がライヴをしたり、ジャズをやったり、
自分が受け付けなかったロケンロールやフォークを
好きになるとも、これっぽっちも思ってもいなかった。
人は、変わるのだ。
—
だから、人には、いろいろな可能性がある。
—
音楽を、また様々な国の文化を好きになり、
日本のことばも好きであり続け、
楽器を続けている以上、これからも探り、少しでも自分がいい「 」になれるようにと思う。
—
折に触れて、人に言われたことが人生の楔にもなり、傷にもなりつつも
それを溶かし、乗り越えることが
できると思っている。
ひねくれた僕はたとえ音楽でも「分かち合いましょう」なんて言えないが
それでも、そこにいる人たちと、何かを感じることができると思っている。
よい「」であれば。
人の役割のひとつは、アンテナ - 触媒だから。