上新粉ペーション

シンコペーションの再確認。

たまにはメトロノームを使う。

以前も記したように、僕にはkey=Eの音楽を避けていた時期が
結構あるのだが、

世の中にはやはり、EやEminのいい曲がいっぱいある。

4弦ベースにとっては、開放が使えるから願ったりの反面、
Lo-Dチューンにとってはめんどくさいことこの上ない。

で、Lo-Dに慣れると、レギュラーに直すのが頭の切り替え、ひと仕事だ。
5弦ベースもレギュラーだし。

演奏活動から離れると、こういうことをリセットできるので、
また新鮮な気持ちで接せる。

それに鍵盤やDAWを使えば、キーなどそもそもどうとでもなる。
だが。やはりEは大事なのだ。

前回記した Rikki Don’t…, それから
GやHやRや…いっぱいあるのだ。PHもNTYもGTBTも。

自分のもなんだかんだ、Eの曲があるけど、
しばらくは好きな曲に親しみながら、
そのうち出てくるアイデアをつかもうと嘯き、

実際は2年前からたまったメモスケッチが
睡魔を襲い続ける

そんなお盆周辺。

明日は盆の団子作りだ。

why

今の政権、ほんと頭いいなと思います。

優秀な人が揃っているんですよね。

資金も潤沢だし、いくらでも増税、中抜きし、手下に分配できる。

地上波もデジタルも、ネットもSNSも上層部を押さえている。

なんでもできます。

コロナだからって、へっちゃらです。改憲の「絶好の機会」と思っているし、そう発言もする。

安倍さんが危うければ、その下で無表情に政策をすすめた菅さんを立て、
菅さんが危うければ、もとの路線、さらに強行な高市さんを立てます。歯向かうメディアは「停波」するといい、不祥事で失脚した人です。

オリンピックの開会式人選では、ナチス描写のコントを過去に行った小林さんが干されましたが、
菅さんはそれを許せないと言ったものの、ナチスに学んで改憲をと言った麻生さんの身はずっと安泰でした。

高市さんもナチス系思想の支持者だと、国内外で何度も報道されていますが、なぜか次の首相候補です。

いじめ告白インタビューで小山田さんは干されましたが(ちゃんと聴いてきたとはいえないこの方について、僕が書けることはほぼないです。その上で、あの記事での発言内容は半端なく酷いと思う)、その影で、開会式当日になぜか、すぎやまさんの楽曲が使用されました。安倍さんの案件だったようです。南京虐殺を公然と否定し、国際的舞台にはフェアとはとても思えない人選が、なんで、するっと通ったのでしょう? リハーサルでは「仮の曲」と言われ、そのまま本番でも使われた、ようです。

ほんと、頭いいですね。

やりたい放題です。

なんでこの人たちのために、僕らの働いたお金は搾取されていくのでしょうか?

なんで、市税も保険税も消費税も、どんどん高くなるのに福祉は削られるのでしょう。

Bon Jovim と D. Fagen

あまりにも暑い。

朝から Bon Jovi の Wanted Dead Or Alive が頭で鳴っている。

まさかのボンジョヴィだ。

このアルペジオと進行、もしかして今の気分? と思ったのか
何かいいこと歌ってたんじゃないか? と気になったのか。

折角なので探し出して聴き直し、歌詞も見る。

ガットギターで少し確かめる。

いい曲だよなぁ…
…とまではならなかった。

僕の想像も及ばないようなでかいスケールで音楽活動した彼らだが、
この詞世界に関しては、僕には届かなかった。

いやそれは違って、アルペジオのレンジが高くて、ガットギターだと指が届かなかった。

そうじゃなくて。この詞はワイ(ル)ドすぎて、実感できなかった。

いつかわかるのだろうか?
リスナーのキャパで、音楽って伝わり方が違うんだな、と改めて思う。

それでも昔は、なんだかすごく大人な曲に聴こえたものだ。
意味を気にしなくても、耳を広げてくれた、というか。

そういうのって大事だ。すごく。


昼に近づき、どんどん暑くなる。

とうとうおかしくなったのか、ボンジョヴィをボサノヴァにしようと思い立つ。
当然、曲は Livin’ On A Prayer だ。

ボサノヴァと対極にあるような曲。だが世界中で愛聴されたということはジョビンと共通か。

ジョン・ボン・ジョヴィとトム・ジョビン。
ボン・ジョビンは灼熱の日本に何を語りかける?!…とばかりに、部屋流しで遊んだ午後だった。

感じたことといえば

  • この曲はボサノヴァには合わない。
  • Bメロの進行は、ことさらにボサから遠い気がする。
  • 歌い方次第でそれっぽくはなる。
  • でも、それっぽいカヴァーみたいなのは一発芸であり、今の僕の志向ではない。

マイナスばっかりやん!? なんてネガティブな人間なんだ。

しかし、そうは言っても何かがひっかかり、夜に再びやってみた。

何かわからないけど、何かがあるのかもしれない…と、思えなくもなかった。

だからそれでよしとした、八月八日だった。


実際のところ、Livin’ On A Prayer を Bon Jovim 的にやっていても
Rikki Don’t Lose The Number (Steely Dan) に切り替わってしまう、今年の気持ちだ。

ドナルド・フェイゲンって、あまりハイトーンに聴こえないのに、音符にするととても高い。だからとても難しい。ある意味得する声なのかもしれない。

最近よく聴いてる他の人の方が、遥かにハイレジスターに聴こえるのに、実は低かったりする。

どっちにしても、シンガーってすごいな。
じじいになるまでには、いい歌うたえるようになりたいわい。

まだ、そんなことを思ってる、あるおやじの夏でした。


Livin’ on…  って、Don’t Stop Believin’ (Journey) に似てるんよね。惹き付けどころが。

指数関数

ふと、指数関数というものを思う。

コロナ感染状況、でよく聞くようになった言葉だが、昔数学で習ったものだ。
あるいは、たった今学んでいる人もいるだろう。その人たちに比べて自分がどれだけわかっているかは、正直あまり自信がない。

だが、ふっと思う。

人の気持ちや、感情の伝播って、指数関数的なとこあるのかもな。

何か、弱みを見せた強者*に、よってたかって攻撃したり…ていうこともそのひとつ。
礼讃も。
人間ひとりの中にも、集団真理にも、それはあると思う。

エスカレート、ってやつ。いや、エスカレーターって直線だから、もっと別のか。

連鎖反応。制御できないもの。

ウィルスの増殖や、…も…

僕の中にも、指数関数的な動きをするところは少なからずあって、
それを音楽で使ってたことも、ステージングでそうなってたことも、あったかな。

気をつけなあかん、とも、大事にせなあかん、とも。

SNS とかって、集団の動きを網で獲るものですよね、とっくに、そういう部分は解析されてると思う。
そしていろんな AI が、制御不能な部分をみて、制御しようとしてる。

エキサイター、コンプレッサー。ダイナミック EQ。

そっか、炎上ってやつも、これか。
パワハラも、DVも、虐めも、ですよね。

たぶん、生贄も、ローマのコロッセオで繰り広げられた殺戮競技も、
革命や戦争でおこった…幾多の残虐行為も…こういうことなのかもな…

人間、学ばなきゃならんこと、多いと思う。

8月6日になった。


8月7日になった。

* ここがどうして『強者』なのか、読み返すとひっかかり、考えていた。

「相手は強いから何をしてもいい」(思い込みを含め)と、タガが外れることや、仮想敵のようなものに操られる、ということ(それも戦争のひとつ)の怖さ、を表していたのだが、

それ以前に、強くない者に対する攻撃、という、論外なことがあるし、
力を持つものは、不当なことをしても護られるべき、となればそれもおかしい。

こう考えると、『強者』ではなく『者』の方が正しい。

ただ、決して間違いを認めない強者、みたいな輩が多いのは、間違いを認めたら最後、集団で寄ってたかって晒される、と肌で感じている(恐れている)からかもしれないな、とも思っている。それが「保守」や「自由競争」の正体かもしれない。

「ミッドウェイ」

エンジニアの中島聡氏がこんなツイートをしている。

中島さんは、日本にどっぷりいるとなかなか見えないことを突いてくるので、貴重。
というより、これって、ごく当たり前の視点…

安倍政権が誕生したばかりのときに、ジャパン・ハンドラーとの関わりを完全に見切ったのはこの人のブログだ。
何年か経ってから問題になった、「日本の政策はアメリカの一部勢力が作成したレポートの完コピ」というやつだ。

ほんまに完コピだから。びびったで。

この方は3.11後、原発関連を主に、かなりまともな論点をくれていたが、
いろいろあったのか? 現在はたまにしかその話題は出ない。
とはいえ、もう既に言い尽くされたから、でもあろうし、
こういうことは特定の人に頼るのではなく、あとは自分たちで考えることだ、と僕は思っている。

職種、も、立場、もなく、これは民主主義国なら、当たり前のことで。
それができない国も多い中、それができるのにやらない国があって、
それってどこでした? ってならないように。

最近はメルマガと note 主体にされているようだ。

経済論的な部分その他、全て賛同するわけではないし、
テクノロジーに関して僕の中途半端な理系脳ではついていけないのだが、
多くについて、ごくまっとうな事を仰っている、と思う。

bleecker

八月になり、海を訪れる。

月初には海を観に行く。なにか心のカレンダーのようなものだ。

とはいえ、いつ観ても変わらない。初日の出は別として、いつもこの海は同じだ。
砂があり、海がある。人はいない。それだけ。

たまにサーフィンをしている人、釣竿を投げている人も見かける。ごくたまにだ。


7月は、オリジナル曲を作らなかった。6月に頑張り過ぎた。だが、それだけでもなかった。
何をするにしても、少し振り返ろうと思ったのだ。よって、数年前のアルバムの曲2つに取り組んだ。

実際は、数年前どころか、2000年代初頭に書いた曲だ。目黒区の端にいたあの頃は二度と帰ってこないが、あれはあれでとても貴重だったのだ。自分で落とし前は付けねばなるまい。


それと並行して、もう少し自分のルーツを掘り返したいと思った。そこで振り返ったのが、親子二代で強烈な輝きを残したシンガーソングライターだ。

彼らについては、まだ聴いている途中だ。特に、二代目については、彼の活躍期にどっぷり聴き込んだとは、とても言えないので、その理由含めて振り返り、いろいろ発見している。またの機会に記したい。


そして、彼らのさらにルーツを聴いている。

わかるんだけど、わからない。そんなものだろうか。

しちてん

東京はじめ首都圏のコロナ感染者状況、ひどいことになってますね。

予想は十二分にできたにも関わらず、一部の人が潤うためのオリンピックを強行しつつのこの状況は、絶望を七度通り越しても酷すぎる。

自分で書いててもひどい。まぁでも、そう思ってる人も少なくないんじゃないでしょうか。
絶望してるけどそれだけじゃ始まらないから、何度でも飛び立つ。気を取り直してリスタートする。
僕は、そやなぁ、ここんとこずっとそんな感じで過ごしてます。
変な願望を持つよりは、その方が正気でいられるんですよね。来る(べき? …べきとは言いたくない)、もっと大変な時に備えて。

ただ、だからって現状肯定しているわけではありません。
オリンピック強行もあかんし、五輪偏重の現在もやっぱり間違っています。

安全安心のオリンピックも、コロナに打ち勝った証としての五輪も、もう失笑ものだったけど無惨に失敗しているわけで、元から出まかせの嘘だったからって、責任を取らなくていいわけじゃない。即刻、この政権は権力の座から降りるべきでしょう。

TV 観戦でステイホームに貢献しているのだからいいだろう、むしろためになっている、という見方があります。

確かに、巣籠もりしている者、出勤通学、活動にしても行動が制限されまくっている者にとっては、番組も映画も音楽も、貴重なエンタメなのだと、僕も改めて感じています。
そのためにリスクと隣り合わせで収録を続行している役者や製作者、音楽の実演家も、大変だが、そういう意味では存在意義が再確認されるべきだと思う。

しかしオリンピックはそれとは遥かにレベルが違う。ハンデつきまくりの参加国の中でメダルを取っても、それを朝から晩まで嬉々と報道するのって、虚しくないですか? 何十歩か譲っても、フェアじゃない。

反対したのなら TV 観るなという狂言があるけれども、これもおかしい。その前に使徒不明の税金返せ。
それどころか、史上最も安上がりだからと招致したのに、今現在4兆円の費用で、それを国民に負担させるというわけで。
どこまで、悪夢を見させる?

とはいえ、これ以上本音を綴っても、呪詛が続くのもなんですが、

日本代表選手の活躍が政権与党への大きな力になる、実際に元閣僚がこう言っている。
これは、日本国民のひとりとして、聞き流せることではありません。

スポーツで日本代表になることって、時の権力のためなのか?

たぶん、スポーツに打ち込んでいる人たちは、そんなことよりもスポーツですよね。政治も何もない、スポーツの素晴らしさを信じて、人間の運動能力の素晴らしさを信じている。

僕だってそう思っていたい。

それを利用するのは、周りの大人。いつだって、大人が頭を使って、人を利用する。
そりゃまぁ、ジャズだって、アメリカの政府に常に利用されてきた。
ブルースだって、そうかもしれない。そうかもしれんよ。だが。

憲法を変えるための駒。それが今回の五輪。だからこそこんなに、弄ぶか。
それとも、選挙の前夜祭か何かのつもりなのだろうか?

状況がどう転ぶかはまだわからないけれども、
もうこれ以上、人々が間違った選択をしないように。

心していきましょう。

 

あらためて、そんな

しちてん。

質店に叩きうりか?
七転の後八起あるか?

そんな感じやね。

Beetles 2021

デカいイベントだからって、無条件に賛同しちゃいけないってこと。
とっくにそんな時代は終わってる、と思う。

いや、時代なんていっちゃいけないな、集合意識だし、僕はその流れにいないのだろうから。


朝、ゴミを出しにステーションに行くと
駅に急ぐ女の人が地面をみて、「すざっ」としたので

なんだろうなと帰りに地面をみると、小さなカブトムシだった。
ツノが非常に小さい。

今年はビートルによく出くわす。やはり近くに棲み家の樹があるのだろうか。

この子はどんくさそう(また誰かに踏まれそう)なので連れて帰り、水をやる。ツノがえらく汚れてるので(蜘蛛の巣か?)ぬぐってやる。

クワガタ派なのだが、ずんぐりしたカブトもなかなかかわいい。とはいえ飼う気はないので、
また林か樹に返しにいかんと。こういうとき、虫のショートステイ用の虫籠や小型水槽がない…手狭で捨てた…のが悔やまれる。

ふと、さる凄腕ピアニストの名の妙を思い浮かべる。
最後にお会いしたのは青森だったが、彼の演奏は至る所で耳にすることができる。電波に乗るってやはり凄いことですね。

思い出してみれば、僕が初めてベースを録音した曲は「カブトムシ」というタイトルだった。
借りた Aria Pro II の白いフレットレスベースを弾いた。M センパイありがとう。
当時始めつつあったバンドのメンバー周りの人が作曲したもので、その人はクロスオーバーからテクノからポップから、なんでも作れる人で、直接話したことはほとんどなかったのだけど、それからはハウスDJとして世界に名を馳せているようだ。
地元にいながら。それって理想の姿なんだよな。

とはいえ、作詞は誰だったか。センパイだったかもしれない。

カブトムシ 力が強い

最後の歌詞が結構泣けるのだ。

カブトムシ 力が尽きた

そうはさせじと、朝の小ツノカブトは、日暮れに林に返したのである。
出会ったおばあちゃんとの会話「最近はクワガタもカブトもいないでしょ」「結構いるんですよ、今年は」

クレヨンもなくても

知り合いの活躍はすばらしいもので

なんだか、別世界がさらにパラレルになって、もはやどの次元に自分らは生きてるの?
って感じもあるが、

やはり、知ってた人が活躍…かつやくとしか書けんなぁ、語彙が少なすぎるが…
してるのは、なんのかんのいいものである。

4th of July には

わっちは、「ライヴしてほしいけど」と言ってくれたし
それは、ほぼあり得ないことだけど、ふふ、まぁ、考えておくよ。

あゆみさんは、なんと! 新しい命を。ほんとこの人、すてきの申し子みたいな人ですね。

かほちゃんは、一昨日から映画公開されてて、僕は特番を観たぐらいだけど
やっぱこの人の声が、すべてなんだよなぁ。何ものをも貫く。

精華大の学内イベントを、叡山電鉄えっちら乗って観に行ったり、公園通りクラシックスで江戸ワンマン公演手伝わせてもらったのは遠い過去で、ついこないだ。もう日本中、超えて、たぶん世界が求める人です。

ひとそれぞれ、音楽の才能と、生きる才能に溢れてて、いろいろあるんだろうけど、存在が大事。だから、だと思う。

それから、ずっとお世話になってた方に久しぶりにご連絡いただき、
こちらの状況お伝えし、じんとくるご返事いただいたことも、大事な夏の日曜でした。

そしてその方にも言ってない最新状況としては、
こちらは腰痛、寝ても立ってもじたばた。

でも週末も休んでる場合じゃなかったし、明日からもじゃ。

ふっ、生きてやる。
砂嵐の中でも、視界は水色なのだよ。

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