フライングパン

餅を焼くのにみんなはどうしているのだろうか?

うちでは
魚焼き〜匂いがつく
ガスコンロに網乗せ〜真ん中しか焼けない
電子レンジ〜使ってない
オーブン〜貴重な道具を餅の事故には遭わせられない

というので、暫定的に「フライパン」にしたのだが
これが圧倒的に簡単で、いい具合に柔らかくなるのでビビっている。

なんだったのだ他の方法は。


地道に初歩練習、音域の解読、音源のアーティキュレーションの解読
今の今まで、使ったことのない機能。10年以上前から知ってたのに。
触るとめっちゃ簡単だったが、キースイッチよりもパッチチェンジの方が役立つ時って、
どすればいいんだろうか? 今の音源にパッチチェンジってそもそもあるの?

昔の練習用データを掘り起こし、バックアップの整理。
NAS の容量も足りないので、要らない録音ファイルもがんがん消していく。

昔は、難しいエチュードやトランスクライブを弾くときに、まず DAW で「写譜」して
それから楽器で練習することもあったのだが、それって DAW にはまると
データ作りに時間を割いてしまって、肝心の楽器に触る時間がなくなったりする。
それで阿呆らしくなって、放棄したデータも山ほどあるが、うまく使えばやはり役立つ。
詰めすぎないこと。生を主に、テクノロジーは従に、というのがここ数年の基本姿勢。

今年は少し段階を進めて、テクノロジーも見直す。

データと楽器と、身体的には真逆だが、両方ないと、です。
ただ、データは消せるけど身体は消せない。
一方、身体が消えてもデータは残ってくれる。残ってしまう、かもしれない。

過去の常識の通用しない「人生」。これからどう過ごすにも、答えはないのです。
「モノ」を残す気のない自分。
子供の頃はものづくりにも憧れた、と薄く思う。


Flying Pan とは初期のエレキギターの愛称。リッケンバッカーが作ったラップスティールだ。

もうこれ以上楽器はいらない、役目を終えれば減らすだけだろうと思う自分が、
昔のリッケンには憧れる。
チューリップ型のグリーンのギターや、フライングパン。かわいいもんな。


今年の目標は一つ。

早寝
早起き

これ基本っしょ。

反復記号

古くから持っていた楽譜を、再び見ている。楽譜といっても教則本だ。

子供の頃、どれだけ練習していたか、目を瞑っていたかったけれども再び見る。

自分はこれまで、いくつかの事に打ち込み、そのうち半分ぐらいが上達し、ほかはそうでもなく、
いくつかは仕事にもなった。

何事も「トップでなければ意味がない」という強迫観念のようなものを持つ一方、
「優劣や競争に意味はない」という真逆の考えも持っている。
つまり完全な矛盾でバランスをとってきた。

これで得したこともあるし、損したこともある。
つきつめれば損得にも何の意味もない。

が、物事を何度も見返し、感覚の電流を都度発生させて、テープヘッドのように繰り返し感じ取り、表していくことは大切だと思う。反復は何事にもあてはまる。魚の尾びれが動き続けるように。

目をそらし、埃をかぶってきた教則本と楽器を出し、1ページずつたどっていく。
昔どれぐらい自分はやってきたのだろう。
耳を貫く音色と、呼び起こされる感覚とともに、
その練習の甘さに愕然とする。同じ弱点を、そっくりそのまま残している。
これだけしかやっていなければ、そりゃ途中でやめるわけだ。

だが。

こういうことの面倒を見れるのは自分でしかないし、再びやり直すことにする。
生で披露できるとは思えないが、運が良ければこれから、何かしら形にしていけるだろう。


日没は早い。昨日の午前七時頃、海辺であれほど多くの人を射抜いた太陽が、二度目の夕陽となり沈んでいった。

その前一瞬、この部屋には素敵な夕陽がさす。昔から西日の部屋で過ごすことが多かった。それもあってか、少し落ち着くのだ。

謹賀新年

除夜の鐘と美しい星空

有明の月からの初日の出

見事でした。

今年はとてもスローに
走ろうと思います。

世の中のあらゆることが気がかりですが
それゆえなおさら、じっくりいこかな。

皆様にとって、よい一音、一言、一光の
巣舞う年でありますよう。

丑年を振り返る

今年を振り返る。

都会に出たのは一度だけ。たまに街に行ったが、基本ずっと部屋と運転席にいた。

皮肉にも、遠征の消滅により仮住まいに住む必要がなくなり、
自宅に戻れたのは幸いだったが、運動不足解消のために導入した「ぶら下がり棒」が
家の壁を破壊してしまい、約3時間で断念したのは本年最大の失敗の一つ。


壁の穴をごまかすために、貼っている絵葉書


家と音楽

ここ数年、知人の音楽家たちは口を揃えて「家に音楽室を作る」「防音室を入れる」「新築する」という話をしており、素晴らしいと思う反面、自分は真逆の、「楽器不可物件」に仮住まいせねばならない状況に、軽い絶望を感じていた。

無論「楽器可物件」だったり「アビテックスレンタル」だったりを探したものの、いくら探しても僕の地域では見つからなかった。アビテックスに至っては、コロナでレンタルサービス自体が停止になり、八方塞がりの状態だった。これも演奏活動を辞めざるを得なかった理由だ。

プロの音楽家なら、音を出せる環境など当たり前だろう? と思うかもしれない。
だが、そんなものは易々とは手に入らない。人生は幾重ものラッキーで成り立っている。

それを乗り越えて無理な投資と行動をしてこそ、人生だと思うかもしれない。それはある意味正しい。

が、それは違う。ある意味で。

ずっと東京へ通っていたが、2021年は一度も行かなかった。IT や新幹線で、距離がほとんどハンデでない状態が続いていた(対人のつきあいが減るのは仕方ないとしても)。それがあと数年続けばよかったのだが。

ネットの急速な発展で、リモートワークやコミュニケーションは急拡大した。おかげで、副業は維持することができた。
だが、LINE や FB はじめネットのつながりにどうしても違和感を覚える僕には、本業ではあまり役に立たなかったかも。

そんなわけで、世の中の水準以上に、ソーシャルディスタンスを実践した一年だった。

幸い、自宅は防音性能はともかく、立地上、楽器を弾いてもあまり迷惑はかからない。
練習や録音は、可能だ。というわけで、これまで以上に、アイデアの実践を行なえた。

新しいアイデアと、これまでやり残したアイデアの、と言った方がいい。
僕は形になっていないアイデアが溜まりに溜まっている。

そのうち30〜40を、ここ数年で漸く形にできている、という状態だ。
何も新しさはないのかもしれないが、これらの面倒は本人にしかできない。

楽曲提供すればいいから、その時のためにとっておこう…という発想は今のところない。

もしそんな機会があれば、それはそのときに新たに作ればいいし、その方がいいと思う。
もしかしたら手持ちがフィットするかもしれないし、それはその時だ。


リモートコラボ

これまでも数曲は、自分名義でも他の人の作品でも、リモート制作を行なってきた。
スタジオと違ってリモートは時間が取れるし、考え直すこともできる。ある意味、音楽を作っていくにはいい形だと思う。

リアルタイムでのリモートというのは(技術的に可能とはいえ)自分には少し苦手なのだが、
時間差というのもよいものだと思っている。音楽とは、時間をリピートする行為だから。
織り重ねる、と言った方がいいのかな。

ここ最近の自分の作品では、コラボを行なっていない。
これは単純に、やるならば相応のお礼をしたいということと、自分だけでやれる事を伸ばしたい、ということだ。


とはいえ、自分で全部をやっていると、とても勉強になると同時に、限界も嫌というほど思い知る。
それにあまり慣れてしまうと、感覚がわからなくなってしまうので、またいずれ、コラボをやろうと思う。

餅は餅屋、である。餅屋に頼めるならそれに越したことはないのである。


さぁそんなところで、年越しの諸々に入るので
つづきはまたいつか、年明け後にでも。

ゆくとし くるとし

「ひかりのなかま」

アルバムの中で、もっともドリーミーかもしれません。

他のも夢ですが、少し違う種類の夢です。


この曲は、たしか LA でモチーフが閃き、
昨年の moon x moon 7月リリースでは “Z-A” として形にしたものです。
その時も「ひかりのなかま」というタイトルを考えていたけど、Z-A (あるいは Z et A, ゼータ)には「最後から始まりへ」という意味を込めていた。でも深すぎて翔ばなかった。

アレンジを大きく変え、ガットギターのパズルと、ブラシで叩いたライドシンバルとスネアで、ミニマルにしています。打ち込みは全廃して、ゆるく、もっと波長を高く。

サイレントギターで弾いたトラックのいくつかだけ残し生まれ変わって
「ひかりのなかま」になりました。

いいねは言い値か

音楽は一旦置いて

今年を振り返り、危惧していた通りでしたが
オリンピック前後からの流れはひどいですね。

(ひどくないと感じる方もおられるでしょうが、ここは私の意見です)

秋から、戦闘機や大型管制機が空にいる頻度が大幅に上がった。
さほど高くない空を。

録音をしているとマイクにジェット音が入るので、すぐわかる。
というか、録音にならない。ここは防音室ではないからだ。

鹿児島、沖縄の状況にせよ、爆上がりの軍事予算にせよ、
「台湾有事」がある前提でどんどん話が進んでいるようだが、

台湾にもし「有事」があったら、軍備などで収められると、思っているのだろうか?

火をつけるだけだろう。

iPhone や Mac のチップは台湾企業 TSMC が作っている。
(そこから熊本に工場を、という計画もあるようだが)

ここ2年でも、コロナに加え、アジア各地の工場における災害などで、多くの品物が製造において大きな被害を被っている。

自然災害、感染症でこれだけ大変なのだ。戦争など起こったらどうなる?
これだけデジタル化した世界でも、いやデジタル化したからこそ、
世界はさまざまな意味で麻痺してしまう。

もちろん、人の命、街や自然を破壊するという事が、とてつもない問題だが、
それも想像から追い出してしまう「勇ましい人」が日本にも諸国にも多そうなので
あえて他の話をしている…

近年は画面上で朝から晩まで “SDGs” の言葉が踊る。
持続可能な環境を。ならば軍備とはなんだ。

人々が作り出した街を、都市を、自然を、農場を、破壊し汚染する。
人々を殺戮し、無数の人生を葬り、絶望と、憎しみの連鎖を産む。

破壊し合う兵器を受注する企業は、それでも金儲けができるのだろう。
あるいは、不良在庫を一掃できるいい機会なのか。

米国はずっと以前から、発展しすぎた軍需産業のためにも、戦争をやめられない。
完全に「戦勝」したのは、政治的にも文化的にも飲み込むことができた対日本だけで、
他は全部失敗か、不完全燃焼している。それでも日本は、兵器を(装備品と言い換え)、いつも言い値で買ってくれる。

戦争が、軍事的行動がいかに人類にとって無意味で、馬鹿げた選択かを
世界中の人が考え直さねばならない。

残念ながら、馬鹿げた選択だと思っていない人が一定数以上いることも知っている。
だが、だからこそだ。

この「いいね」ボタンでカウントされてしまうデジタルな世の中、
僕らは畢竟、ひとつの票でしかないのなら。よけいに。

「アカレンガイロノクルマ」

この詞は、以前作った第二弾詩集 flat five の最後に掲載したものです。

曲と詩は別々に作ったもので、詩の原型は2002年に外苑前で書き、2005年に新宿御苑のあたりで加え、それからだいぶ経って完成させました。

-原型-

サビシソウナアカレンガイロノクルマガ
エスジガタノカベニモタレテイタ
アマエルヨウニ

2002.6.8

曲は2005年に作ったもので、当時コラボしていた Saravah のスーパーアーティスト、Maïa に歌ってもらおうか、と思っていたものです。
いくつかアイデアを渡してこれが一番気に入ってくれたのですが、その時は他の曲を形にしました。今はヨーロッパで活躍してる彼女、元気かなぁ(言うまでもなく元気だろうな)。

自分でやるには敷居が高くて寝かせておいたのですが、そこはイメージで。
2018年の暮れ、flat five 連動音源として作って限定公開し、それを踏まえてまた、ゼロから作り直しました。

Yes の「危機 / Close to the Edge」や、チェブラーシカの「空色の列車」の影響を強く受けています。

途中に入れたピチカートは、ギターと、子供用のバイオリンで。日野原幼紀「つむじ風の朝」へのオマージュです。
ドラムは Bill Bruford … になりたかった僕がシンバルとスネアだけを叩いた、ということで。

ベースは途中、フルスロットルかけてます。

sake to me

9月からずっと酒をやめている。

ストレス解消が一個減ってる気もするが、翌日も朝から調子いいし。

まともな思考も不思議な想像もできるし、運転もできるし、こうなるとそれまでなんで酒飲んでたんだろう? ぐらいの感覚だ。

以前のように宿泊も打ち上げもなく、飲み会もない。となると酒は個人の嗜好になるけど、
たぶん、時間が惜しいんだろうな。呑んでるとその時間は永遠に思えるのに、その後がものすごく縮んでしまう。

シラフだってこの4ヶ月近くはあっという間だった。アルバムという形でこの間、作品を4つ形にできた。
でもたぶん、これからまだまだ浮かんでくる。それらをどうしたらいいのか。

今はちょっと、わからない。まだまだできる感と、もう完全に切り離した感が両方。

フリーフォール。あとはどこにいく。

だけど、ここからじゃないと、たぶん見つからない。
ここから人生あと一回分頑張って、ようやく何かが形になるかな。

自分が誰かは、まだ誰にもわからない。

「絵の具」

アルバム Lapis Lazuli の曲解説
今日はこちらを。前曲とは真逆のナンバーです。


この曲はピアノで作りました。
といっても、鍵盤を触ればわかるように、モチーフはめっちゃ簡単。

キーボードをちゃんと弾ける人からすれば、恥ずかしくて弾かれへんかもしれません。
僕の曲はそういうのが多く、ガットギターで弾いても同じくらい簡単です。

メロディはどこから出てきたかわかりません。

歌詞もこれまた、どういうことかわかりませんがたぶん
「よかん」「ときめき」とかいってるので
期待するような何かがあったのでしょう。
24時間ずっとふらふらだと、さすがにやばい気がします。

何しろこの詞を書いたのは20年前、2001.8.9。
暑さにやられてたのかもしれません。911の前の月ですね…

あえて後から解釈すれば
– 絵を描きたくなる気持ちの不思議 –
といったところでしょうか。


この曲は一度だけ、ライヴでやった事があります。
ギターと8弦ベースのデュオで、それはそれで味があったか。


今回、さすがにそろそろ完成させようと古い曲のファイルを探したら、そんなものはなくて、
一からやる羽目になりました。
といっても、ガットギターも簡単なので、曲の骨格はすぐにできてしまった。

ここからさてどうしようかと、久々にダブルベースを手に取って、全編で弓弾きをやってみたのでした。

アルコは苦手で習ったこともなく、セッションでは極力お断りしています。
が、自分の作品では苦手も何もない。イメージを表せるかだけが大事。

弓を、筆のつもりで。


曲が形になり、ポコポコした太鼓も合うなと思い、
これまた器用には操れないジャンベを、この曲的に叩きました。

Saravah のレコードのイメージがどこかしらにあるので、Art Ensemble of Chicago の気分でやっています。

あるいは、マイア・バルーに歌ってもらった “Kaze” の、田中慶一による「サバール」パーカッションも頭にあったかもしれません。
けいいちが生きていたら、どんなの叩いただろう。


もうひとつ。
小さなベルを、数カ所で叩きました。

チベットの仏具からきた楽器で、ティンシャというようです。


20年越しに曲を形にして、改めて、気に入っています。

これがポップだという人はほとんどいないでしょう。だけど僕の内面では、割と、ノリノリなのです。


Bandcamp には曲紹介と歌詞欄の両方があるので
そちらにもこういうことを書きたいものの、
歌詞の前に曲紹介が来ると、うるさいですよね。
順番が逆だといいのに。

「ラピスラズリ1」

アルバムを作ろうと思った最初の曲、原題「いかさま団ラピスラズリ」。

の裏話

[壱]
夏の終わりの Charlie Watts の訃報に、僕がどれほど動かされてたか、その頃の日記を読めばお分かりでしょう。
誰に頼まれたわけでもないのに、追悼インタビューを翻訳していたぐらいです。

あのビートやフィルが出したいと、近所迷惑にならないようにブラシでスネアドラムを叩きながら、あの感じを曲にと没頭してました。ドラマーではないけどジャズとロック両方をやってきた自分には、そこは自信がある。

でも、コードや歌詞考えて、ミックスして…とやっているとなんか違う。

今回はアルバム何曲かでスネアやシンバルをブラシで叩いているけど、それがいかんのか、この曲はやっぱスティックだよなぁ…と、ある日、意を決して叩く。気持ちいい。でも聴きかえすと違う。

挙句、スネアのトラックを全部ミュートしました。そしたらベースやギターのグルーヴがもっと出た。ある意味「mute beat」。

思い入れがありすぎるって怖い。ってことかな。

[弍]
お聴きの通り、割とたくさんギターが入っていますが、ぜんぶガットギターです。

曲作りのときにキーボードで弾いたフレーズがあって、エレピだと気持ちいいなと思いながら
これもぜんぶ、ガットで弾きました。アホです。

つづきはまたいつか。

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