11月生まれの音楽仲間がなぜか多いのです。
ご無沙汰の人も、遠くにいる人も
またよい一年を、重ねられますように。
Hiromi Tsuchiya (vo)

Old Tree, Blues, and Summertime
Madoki Yamasaki (vo, gt)
Kaze ni sasowarete
Maïa Barouh (vo)
アフロ、福ちゃん、種さん、はせさん、はるかちゃん、文吾どん、十夢くん
…数えきれません…
ちょっとなんというか
控えめなウェブログが続いたのですが
それぞれに意味があって
というか、ひとつの控えめなメモにはもうひとつの深い何かがくっついていたことに
ようやく気づいている11月。
月はやっぱり、ふたつあるんだろうか?
この「月」に、一がふたつ、あるように。
ちょっとまてよ
いちがふたつ?
そう、これは誰にたいする文でもなく、
君だけにたいするものなんだ。
夏以来、数年ぶり、そして初めての音楽仲間
国籍、嗜好、活動ポリシー不明
ある意味完全なアウェー
ある意味なんでもない日常
そんなシゴト
直前に貰った曲の
ハーモニーパートまで譜面にしてくれたロビン
それってそういうことだよな
その場まで通路で
歌詞とハモりをたしかめるふたり
人通り ひとどおり 人通り
つまりそういうこと
よっぽど 我ら変人に見えるだろうな
だが 彼にとっては なんでもないことなんだな
両方がわかるから 不思議な気分だ
そうやって、今日も過ごしました。
リハーサルの合間
さるエンジニアさんが
「遠征先のホテルでラーメンを食べようとしたその瞬間、箸がないことに気づいた」
その試練の顛末を知らせてくれた。
これはわかる。すごくよくわかる。
僕はその昔、学校の水道と照りつける初秋の日光とで焼きそばUFOを温めて食ったことがあるが
サバイバルはいつだって人間の基本だ。
彼は「コメント用のペンと引き出しの鉛筆を巧みに使って、ラーメンを食した」そうである。
インクや黒鉛がラウメンに染み出さなかったことを願うしかない。
また、ある言葉の巨匠さんは、「私は、歯ブラシを使って食べたよ」との驚くべき証言をくれた。
歯ブラシか…歯ブラシが二本、備わっていたのか…?
いや、もしおいらがその境遇なら、間違いなくその歯ブラシを使っただろう。
そして、「モノを食べながら、同時に歯を磨く」…という超現実を叶える時間の剃刀に、
slip, slidin’ awayという、ポール・サイモンばりの詩情をうかべたに、ちがいない。
まず、間違いない。おわり。
おんがくって
ききてがあってはじめて
せいりつするように
ひとって
ふれあったひとがいてはじめて
そのひとのなかでいきつづける
いまでもそこに
いるかのように
てんしゃ
かもしれない
こころやそんざい
すべて
あるいはいちぶ
ほんなら
おんがくってのも
おもいでなんやな
あるいは
ひとみたいに
おなじように
9月が過ぎると急に何かが変わった気になっている
毎年 11月までのこの期間には何があるのだろう
これまで冷静に考えたこともなかった
ハロフィンや秋祭りや冬支度や
なにやら もろもろ せわしい
季節が 透明な夜に 向かってる
あたたかい はずの 透明な夜
参加音源がいくつか出たり
冬に一仕事あったり
一服ではあるが
また腕を磨かねばならぬ
これを機に
自分の中の予想外に対峙できるよう
ギターでも上手くなりないな、と
おもうこの頃です。
白い花も咲くにまかせて
十五夜の酒盛りが来ないなと思ってたら
今年の満月は9.28らしい
バカバカしさにまみれた国の管理人たちの振る舞いと取り繕い
辛い気持ちや無力な気持ちに耐えながら秋を過ごす
不思議な事に 夏にどれだけ他力本願でも
秋になるとちゃんと自分は働き出す
やるわけないだろうと思っていたこともちゃんとやり出す
結果が出るかどうかはしらんけど
自分の中では結果は出ている
おそらく上々
年を経て頭脳が阿呆になってきたことは
ある意味よかったと思う
あまり色々な事に頭が働くなくなったがために
敏感で執着心の強い自分に邪魔されることも
減った…というか…忘れてしまった
それが結果に出てるかはしらんけど
多分出てないんだろうが
ほんとうに自分にとって大事なところを
一生を終えるまでにつかめればそれでいい
それが残せればもっといい
ってなわけだ
はろー
あした
何度か書いていることではあるが
「自由」
この言葉は魔法だ
それ故にとてもおそろしい
世の中には多くの人がいて
多くの境遇がある
それぞれに「自由」の意味は異なる
たとえば
強者は強者であり続けるため、自由に力を行使できる事を望む
弱者は束縛から逃れるため、自由を求める
それらを実現するため、やる事は全く逆なのだが
同じ「自由」をピボットにすると、みんな逆を向いていることにすら気づかない
おそらく、それぞれの自由は逆回転をするプロペラのように並んでバランスをとっている
羽根が触れないかぎり
普段 これらは交わっていないようだが
もちろん いつまでも交わらないわけではない
片方の自由を守るためには、片方の「規制」が必要になる
さもないと片方の自由は蹂躙される
ところがそこには何ともいえない、心地悪さがある
「規制」だと…?
目を背けたくなる、打ち壊したくなる
それは、自由の敵だろ!?
「規制緩和」という言葉は、こうやって承認されていく
「上」にいるものの自由と、そうでないものの自由は、意味が違う
よって、権力者が「自由」を看板にするとき、
ステートメントを出すとき、
一度、真逆の回転で翻訳しないといけない
『従来の枠内では報道の自由など基本的な制約が多いため』新しい国営放送の創設を検討
実際に半年以上前に流れたニュース
ここには、すべてが表れている
だが、これでも難解ならば、こう推論するしかない
タイプするのもおぞましいが、こう考えている人々がいませんか?
『我々には、戦争をする自由がある』
…
自由という言葉は、魔法であり、偉大であり、それ故にとても恐ろしい。
たぶん「自由」に変わることばが必要なんじゃないか、
そんな気がしてる。
或は、自由をちゃんと動かすための
言葉が要るのかな
「規制」以外の。
こんな夜にはBuffalo Springfieldしかない
DylanもFleet FoxiesもAnita O’Dayも素晴らしい
Live AidのHoward JonesもいいしArt Landeもすんごい
だけどBaffaloに落ち着いてしまう
落ち着きたくないから
どうしてChris Squireが逝ってしまうんだ?
年だから? 人だから?
しょうがないわな。わかっとるわな。
あの人は絶対に死なない気がしていたのに。
4001でスラップやってるのは、全然彼の真似じゃないけど、
彼がかっこよかったからなのだ。
—–
どうして長岡秀星さんが逝ってしまうんだ?
迷宮の安堵ローラと話してるの?
ドバイかどこかではあなたの画のような街が天空に聳えてるよ
日本はわけわからんけど
LAでお会いしたかったな、っていっても運任せのタイ料理任せの知人任せだけど。
—–
どうしてOrnetteが逝ってしまったんだ?
頭の中で踊りまくった中学生のあの日から
神戸の震災の日、そのアルバムをBGMにビデオデッキが空を飛んだと知人から聞いたあの日から
Tone DialingをNewburry Musicで買ったあの日から
ずっと音楽は笑っていたのに。