アーカイブ: 2023年6月

exhaled

いい週末だった。

外出と部屋での行い、共にバランスが取れるようになってきた。
もちろんコロナで全く外に出なかった昨年までとの違いもあるのだが

2023年、半年経っても、ようやく、である。
これから先も、わからない。

先日、図書館で沢山借りた本も、今日返却である。
ホーキングやブラックホール関連、難しくて読破できなかった。

これも昨年、読書を完全にストップしてしまっていたので、
いわば呼吸の「吸」というところか。

ひびきと構造

しばらく Bill Evans ばかり聴いていた。

ピアノ弾きではないので、彼の音楽の大半を理解していないという思いはある。が、その上で。

エヴァンスのアルバムを最初に聴いたのは Toots Thielemans のハーモニカをフィーチャーした Affinity (1978-79) だった。ベースは Marc Johnson、ドラムは Eliot Zigmund。空気に包み込まれる素敵なアルバムだ。
Paul Simon の “I Do It For Your Love” のカバーから始まっている、ということには、だいぶ後に気づいた。

それから遡って Waltz for Debby や Explorations … (1961)
ベースとの絡みは衝撃的に面白かったが、ビル自身のプレイはタッチも含めて控えめに感じた。
Scott LaFaro の脇役、みたいに思えていたのだ。

1958, Miles Davis バンド参加直後の “Love for Sale” を聴いてから考えが変わった。
イントロからテーマ、バッキング、そしてソロの鋭さ。こんなにとんがってたのか、みたく。

この時の b & dr はフィリー・ジョーとポール・チェンバース。グルーヴしまくってる。

最近、アレンジャーのエンドウさんから教えてもらったビデオで、”Some Other Time” (バーンスタインの曲)を意識して聴き出した。このイントロは…そうか、マイルスの “Flamenco Sketch” と同じだ。改めて Kind of Blue を聴き、ビルの 2nd に遡ると、いろいろ面白い発見があった。

Everybody Digs Bill Evans (1958) は、前述のマイルスバンド加入後、彼が一度解雇されてからのレコードだ。理由は薬物中毒とされているが、当時はキャノンボール・アダレイから音楽面でも「何かが足りない、レッド・ガーランドが恋しい」とダメ出しされていたらしい。

ところが数ヶ月後のこのアルバム、ジャケットに並ぶのは、ジャズメンがエヴァンスを誉めそやすリコメン文。ジョージ・シアリング、アーマッド・ジャマル(!)、もちろんマイルスも。そして一番長い文を寄せているのがキャノンボールなのだ。彼がビルへの評価を覆したのか、自分の中の「ピアニストの基準」を切り変えたのか、とびきりの社交辞令を発揮したのか。

このアルバムはフィリージョーとサム・ジョーンズとのトリオという、グルーヴの塊のような面々だが、ピアノソロ曲の美しさが際立つ。”Peace Piece”。そして「ボーナストラック」扱いの “Some Other Time”。これらが数ヶ月後、再参加したマイルスの Kind of Blue セッションでモードジャズとして結実する… という流れなのだが。

改めて “Flamenco Sketch” のコード(モード)チェンジを聴いていると、”So What” との対になっているようでもある。So What のイントロは Flamenco Sketch と同じく揺蕩いながらゆったり進む。左手(ベース)と右手(コードワーク、ホーン)との掛け合い、という意味でもこの二つは似ている。ベースの動き具合で、こんなに別の曲になる。

ベースという視点で、動の So What、静の Flamenco Sketch といえるかもしれない。

ところが、よく聴くと、というかこの曲を弾いてみるとわかるが、単なる「静」どころじゃない…チェンバースは裏でいろいろ手を回している。ネックの後ろで…

さらに、エンドウさんの指摘によると、Flamenco はラヴェルのボレロと似ている。確かに。
ボレロ = スネアというイメージに惑わされて気づかなかったが、リズムもかけあいも、メロディの動きも、基本構造は同じじゃないか。

フランスの印象派からモードジャズへの流れは定説だが、「ひびき」以外をあまり意識してなかったために、驚くことばかり。

たぶんこんなこと、ある程度音楽やっていれば、常識中の常識なのだろう。

我は何年、何をやってきたんだ。
いつまで経っても、幸せな能天気である。

電磁波から見た自然界

図書館で大量に借りた本の一つ。

著者の宮嶋望さんには一度だけ、新幹線で偶然隣り合わせたことがある。
今から15年前のこと。

僕の楽器が座席のリクライニングを不可能にしているので、お詫びを兼ねて話しかけたところ、なぜか意気投合し、初対面の僕に随分いろいろなお話をしてくださった。

低周波と意思伝達の話、高速移動と頭の回転の話、電位とハチマキや兜の話…

それっきりお会いできていないが、この方の主催する共働学舎新得農場のチーズは近隣でも入手できることがわかり、時折購入している。

氏の考えはとても深く、独創的かつ論理的で、自然と科学、人や生物への慈しみが滲む。殊に自然界の電磁波の流れと水や生態系との関わりについての考察と実践は驚異的で、それだけで映画ができそう。

この本は2011.11.20に発刊されたもので、今も(今だからこそ)響いていると思う。

いつかまたお会いしたい。十勝に行ってみたいなぁ。

* ご近況は この記事 が詳しそうです

ボトルネック

何かが詰まっている。

何か色々やってる気がしているのだが何もやってない感がある。

一瞬で数週間が経っている。

なにが? と探ってみるがわかりはしない。
何がボトルネックなのか。

そんなもんはいくらでもある。わかってできれば苦労はしない。

ボトルネックは弦の上だと滑らかにきしみ
吹くとちょっと和む

カビが生えてりゃ吹くのもこわいが

多くの生命体って究極的には「管」だから

自分自身は常にボトルネックだ。

会話も呟きも叫びも歌もすべて
ボトルネックから来てるってわけだ。

焦ったってしょうがない。

nigiyakana tento

冷たい雨と夏の陽射しが交互に。
満月まで来てしまった。空は賑やかだ。

静かなサイレン

遠いはずのFMチューナー

おそろしくポピュラーな選曲

吹き荒れるクリアーな笑い声

強くなったんだな、もとから強かったんだなと

余計な詮索。

通行止めで降ろされる高速、つながらない道からは迂回路が数珠繋ぎ。

数珠から漏れてパンを買う。店構えに惹かれたから。

簡単な切り返しをしそこねて、またタイヤとホイールを痛める。
それよかフロントの角、結構擦りまくってる。気にならなくなってる自分はアメリカ人並みか?

そこもかしこも宿場町、周りにいる人はみんな宿場町で活動してるんだな、と思うと
どうやらそれぐらい日本全国に「宿場町」がたくさんあったようだ。

というか、人が寝泊まりするとこ、すべて「宿場町」ちゃうん?

そんな風情がぜんぶアスファルトや同じ図面のSAで取って代わられるのは
やっぱおかしいなと思いつつ、それでもネズミ色の道を追う。何を追ってる?

山の上のSAでは束の間十四日月が見れる。背中だもんな。西行。

そう空はにぎやか。空想も賑やか。地面も…そうだねやっぱ。

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