あれから11年。
忘れてはいないよ、情報への接し方は変わったけれども。
情報は今でも、人を翻弄しっぱなしだけど。
あれから11年。
忘れてはいないよ、情報への接し方は変わったけれども。
情報は今でも、人を翻弄しっぱなしだけど。
早咲き桜だろうか?
町の街路樹にひとつふたつ、ピンクをまとう樹
なにやらふわふわと動く気配、虫だろうか
いや
鶯色をした丸いもの
二羽の鳥だった
うぐいす色といえば、鶯だろうか。
マジか。ウグイスかよ。
こんなアスファルトの道に。
やがて、とてもかわいく小声でさえずり、ふわふわと飛んでいった。
声も飛び方も頼りなさそうで、子どものうぐいすなんかなぁ…
後からメジロだと知りました。
Cocolo Kyoto でのライヴは、本当なら今頃10回ぐらいは開催して、お客さんも定着して…の予定だったのですが
すべては before 2020。京にも江戸にも足を運ばない日々が続く。
それでも、いろんなことが、確実に変わっていくようです。自分も少しは、いい感じに枯れてきたのだろうか?
しつこいが whole oats。オーツ麦はおいしい。
グラノーラを自分でも焼くようになって、その感想は増している。皆さんもぜひ、オーブンで焼いてみましょう。
友人がやってる京都のグラノーラ屋さんもよろしく…
今は銀座にも店を出してるみたいです。
Dancing in the Street,
な気分。
Dancing in your head,
な気分とはいえないが。
Julie London って、いいシンガーだなぁ、
とつくづく。
というか
Barney Kessel すごい。
というか
Ray Leatherwood、改めて
すばらしいベーシスト。
“Julie is Her Name” は
曲の並びに疑問はあるけど
(1と2ほぼ一緒やん…)
全編それでもすばらしい、というわけだ。
一昨日の続き。
“Whole Oats” という H&O のアルバムに愛着を感じるのは
最近はホームメイドグラノーラがちょっとしたブームだからでもあるが
このアルバムは確かに完成度は次作ほど高くない
ジャケットを見ても、後のスーパースターのデビュー盤とはとても思えない。
歌詞も素朴だ。I’m Sorry とか Thanks for… とかは、もう少し何かなかったのかとも思ってしまう。
だがなんとも味わいがある。夢現つ。
Fall in Philadelphia
フィリー育ちの Daryl が見たフィリー
この秋もまだここで過ごすのか…
実話に基づいたという、かなりネガな描写をハッピーなサウンドに乗せてる
ストリングスのかわりにビブラフォンっていうのが、また。
それと、やっぱ曲に力あるようで、
別録のアコースティック盤や
Daryl’s House での Diane Birch とのライヴも最高なんだよな。
猫が…
いない。
もともといない。
想像の猫を描くようになるともうおしまいというが
猫は茶トラがいいな。
ガラケーになる
スマホアプリって
ないんだろうか?
Daryl Hall & John Oates を最近ふたたびよく聴いていて
ノーチェックだった 1st “Whole Oats”
これめっちゃいいじゃないですか。
2nd “Abandoned Luncheonette” はアナログ含めずっと聴いてるのだけど
そちらは大名盤、1st は模索中、みたいな定説(?)に、影響されすぎてたかな。
プロデュースも 2nd と同じ Arif Mardin だし。一続きっぽい部分もありますね。
James Taylor も、1st が一番好きかな…いまのところ。
声はずっと変わらないし、音は売れてからの安定感もいいけど、
UK チームの音像が、素敵なんだよな。Paul が弾いてるいないに関わらず。
…と、あまり心の休まる間のない日々を、かきわけて泳いでいる。
名声 = reputation は、途中から一人歩きする。あるいは「風評」なるもの。
レビューとか、付加価値とか、ブランディングとか、キュレーターとか。
こういうのが大事だったり、実際いろいろなことを選り分け、操舵してるのは、こういうことだったり。
それもわかるんだけど、やっぱりそれだけじゃない。
なんか違うところで、大事なことがいっぱいあると思うって。
たぶん、ひとりひとりの。大事にいきましょう。