アーカイブ: 2019年4月

石橋とグラスのブリッジ

このニュース
全自動折り畳み機「ランドロイド」が「エアリズム」を畳めず、事業を畳んだ
出資先が Go を出さなかったからだという
まぁわからんでもないが

こうして完璧を求めて日本の大手やベンチャーが躊躇し倒れる一方で
GAFA(…っていうんよね)は
少なくとも Apple はバグだらけのシステムやハードウェアをスタンダードにしてる

上海行った時に思ったけど
あちらは1年毎に3回行っただけで街の様子が激変している
シェア自転車にEVに…

僕はどちらかというと今、時代に逆行して
デジタルを片目にアナログ&アコースティックに生きているけど
(だから僕は最新の Mac を買うのを躊躇する)
社会がメビウスの輪のようにねじまがっていくのはわかる
オーウェルや松本や筒井や、かつての SF が現実になっていくのも。

時代。
特定集団が決める時代、喧伝される時代。それに乗る時代。
どんな時代にせよ、それはもう昭和のようなアイコニックなものではない。

透き通った、硝子のような、向こうが幾重にも見えているものだ。
硬い壁を透過できるのは、意志と術を持った者だ。
それは、誰も、だ。

そう思うし、そうしたい。

石橋を叩いて渡るのか、叩いて壊すのか。
そんな石橋は、もうグラスのブリッジに変わっている。

ひかりはファイバーの中を直進しかできないのか、
振動し、浸透し、止まったまま動くことができるものなのか。

空想の中ではなんだか気持ちいいけど
身体が安らぎを求めている中、空想だけで生きて行くことは無理だろうな。

眠ろう。また朝が来る。

硝子と風の考察

一昨日のBABI CHANで話したこと
あれからも考え続けるのです。

(くもり)硝子の向うは風の街
とは松本隆さん
果たして40年近く経った今もそうなんでしょうか
僕らはもう一度 問いかける必要があるかもしれません
…と言っ(てしまっ)たわけなのですが

ビル街の硝子を一歩出ると
吹き飛ばされそうな身体が
確かに今も風の街なんだと
知らせてくれた今日
そこへこの動画です。

水やそれを湛えた生命体とは違って
硝子を湛えた都市の構造体は
風で揺らぐことはありません。

結果として、それ以外の空間に
風が迂回し、集中することになります。

これって冬のNYCでも感じたことなんですが
大丈夫なんですかね?
都市文明。いつまで。

いつかタルマーリーの渡邉さんに聞いたことですが、
気候変動含めて、です。

地球はやはり水の星ですから
魚に対する海や湖のように
人間も硝子を常に近くに欲しがっている
というのが私の直感です。

こわれもの / Fragile なのに。

そういえばこの(Yes の1971年アルバムの)ジャケットも示唆的じゃないか。

昨日、例の 世良 Mick 市民会館 ビレッジホール に入る前に
風車が本棚みたいに並んで
風が可視化されてる姿にしばし見入ってしまったのです(アスナル金山というところらしい)
祭りの提灯にも見えるし
あれはなんだかわからないけど、なんだかいいな。

ray solo mini @ BABI CHAN CAFE 追憶

「千種」駅から歩いてしばらく。
「メルヘンハウス」という会社? 書店? にみとれてしばらく。
(昨年店を閉めてしまったようだ…)


ここは本日の舞台ではありません

住宅街の中にそのカフェはある。
BABI CHAN CAFE


ここが舞台です

無理やり、というかノリでイベントをやらせてもらったのだが
やってよかった。ほんと。


準備中の「大橋亭トリオ」師匠と店内

ベース&詩+うたの僕が一人でライヴをやるというのは
それ自体が無茶ぶりであり、そんなもんを観にわざわざ集まってきてくれた人々
そしてお店のお二人、スタッフ、さらに手助けしてくださったリチルのマダムには
いくら感謝しても足りません。

いろいろなことをさっ引いても、なかなか面白い試みができたと思う。

僕は音楽もしたいけど、おしゃべりもしたい。
人との会話では成り立たない話も、壇上という一方通行だから、逆に成り立つものもある。と思っている。

この日の模様は、抜粋して Vimeo にアップしてあります。
気が向いたら観てね。

Thunderbirds Are Go

4.6 より開幕、ohashiTrio HALL TOUR 2019 〜THUNDERBIRD〜

すでに横浜公演をご覧になった方はご存知と思いますが、見処が…たくさんすぎる。

あっ というまか

あっ とおもうか

めいめいに、楽しんでくださいね。

バンドが操る、膨大すぎる楽器群は明かせない? ので、これは僕の basic rigs。

この他に、シンセベース役の KX5 & future impact、ダブルベース、コーラスマイク、そして…

そんなことよりもステージ右前方が。

Live report (BARKS)

げんご U

新元号と私の名の響きが似ていることから、好意のコメントをくださった方々に感謝しつつ、以下は僕の感想です。

零の性格を知らない人は読まない方がよいかもとお断りし、つつ、です。


元号自体にはあまり興味はない。これからも西暦を使うだろう。

というより事前のマスコミ報道を漏れ聞きしている限り、元号なるものを使って何かを操ろうとしているような空気に近づきたくもなく、
ちょうどそれを発表するとかいう時間11:30付近は、電波関係を止め、楽器を転がしてスタジオまでひらすら歩いていた。

スマホをポケットでおとなしくさせ、商店街のTVを見ない。ただ、荷物を持って歩くと言う行為に「戻る」。
どんなひどい元号になっても、気を確かに保とうとする。そんなこと考えなきゃいけないなんてな。

スタジオに着くと、周囲の仲間が妙な反応で、こんな名前の元号だとネタにするので、
は? れいわ? 零和元年? 流石にこの漢字はないが、命令の令に昭和や平和の和だという。

戦争と平和 - 十七条憲法 - みたいな印象。
律令という言葉があるが、日本的といえばそうだな。中央集権と和。
大和朝廷の成り立ち。

いくらでも解釈は可能だろうが、上からの命令や指令で統制して和が保てるのか、というと古くさい。

日本が愚かな戦争をして、愚かな敗北を喫したこと(それをギリギリまで民に知らせなかったこと)
敗戦後に割り当てられた世界の下請け工場としての地位を使って、高度成長だ経済大国だと頑張ったが、その役割を終えて衰退してきたこと
3.11を東京の祭りで覆い隠そうとしていること
決定的なイノベーションを起こせないこと

そんな理由でもあると思うので、
ここに原点回帰してもいかんだろ、みたいな感想も免れない。

令って音楽につながるかなぁ。律令なら、律の方が音律、旋律にも通じるから、よかったのかもしれない。
まぁ、なんとでもいえる。

しかしこの響きに「れい」が入っていて、すごく気恥ずかしかったりするのは
自分に関係がなくとも、しゅっとしとこうか、みたいなところなのか。
この感覚は、ポジティブに捉えておこう。

でもたとえば昭和の時代に「しょう」さんや「あきら」さんが
どう思ってたか、と考えると、どうなのか。

別になんてこたないんだな。

それから、ニュースの騒ぎはこれからも見たくない。
なんにせよ、集団フィーバーみたいなものは、僕は好きではないのだ。

万葉集の元になった漢詩の意味がとても興味深いが、読み間違えもあるようで鵜呑みにできぬ。

誠にミュージシャンらしくない性格で、厄介の極み失礼つかまつる。


平和が続きますように。あたらしいこと、ふるいことに自由に目を向け、考え、個を大切にすることで周りも明るく、また暗きものにも小さな輝きがあること、光がないところにも音が溢れていることの素晴らしさを感じられるときでありますように。

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