リュックを手に入れた。
瑞典のものを、なぜか西班牙から取り寄せた。
日本じゃどこも品切れだった。
たぶん、持ってる人は少ない。
使うのが楽しみだな。
—
THULE, made in Vietnum.
MBPの出し入れが、想像以上に便利。
背負った感覚もとてもいい。
財布の出し入れは、やはり面倒だ。
前のは引退させてしまったので、がんばって使おう。
リュックを手に入れた。
瑞典のものを、なぜか西班牙から取り寄せた。
日本じゃどこも品切れだった。
たぶん、持ってる人は少ない。
使うのが楽しみだな。
—
THULE, made in Vietnum.
MBPの出し入れが、想像以上に便利。
背負った感覚もとてもいい。
財布の出し入れは、やはり面倒だ。
前のは引退させてしまったので、がんばって使おう。
久しぶりの箱。身近な気がするけど、出演するのは何年ぶりだろう?
変わらず、すてきな空間だ。
ぐるっと、かこんで、間近で観てもらえること。床が鳴っていること。
別世界でもあり、昔から知ってるような世界でもある。
古典だけじゃない、異郷の音楽。
爽やかなだけじゃない、時に不穏な野太い音。
しばらくぶりの面々 … 時の流れって早い。それぞれの道を力強く舞い、奏でている。
機会をくれたあさくん、
みなさんに感謝。
各々の音色。タイム。音符、空気感。構築、計画、調和、予想外。
光、客観、遠近感。
音楽のマジックって、なんだろう?
すごいよね。
ありがとう、そんでもって saravah!
亮くん洵くんとギターの話をしながら北上。
ダンエレクトロ、バディ・ガイの水玉ストラト、リッケンの’60sエレクトロ。
福島テルサホールはほどよい大きさ、天井高く2階席もいい眺め。
というか、2階席から観てみたい。
今日から、ファズをもっと強くしてみる。
舞台裏ではなぜかマントラの話で盛り上がっているのだけど
それは表にはいうまい。
開演。あっというまの2時間半。
すごい反応。やっててもじんときます。
翌朝都内リハーサルにて日帰りしたのだけど、タクシーのおじさん曰く
「311の後、すぐ雪が降って、あの時は昔ながらの反射式ストーブがすごく役に立った、あれでカップラーメンも作れたし、暖も取れるし、電気も要らないし…」
- 昨夜も揺れたでしょ、大丈夫でした?
「熊本の方であんなに揺れて大変でしょ、こちらでもちっとぐらい揺り戻しがないと、地面のバランスがとれねぇや」
…生きるちからを思いました。
—
こまちとはやぶさのどちらに乗ればよいのかしばし迷い、
結局駅員さんに言われたままにこまちにのって仙台へ。
座席が2と2なのだけど、ベース載せて帰るには心配だなぁ、
昔八戸に行った時は、どうしたんだっけ?
地下鉄で旭ヶ丘、森を隣にしたホールへ。
テルサより少し大柄か。響きがすごい。
ステージ上は、ホントどの会場も音が違うので、いつも試行錯誤だったりする。
そんなこんなで…楽団は確信めいたものをつかんでる。
ところが形が固まってくると、新しいことを試したくなったり。
それはご覧になっての、お楽しみなんですが。
…精進しますね…笑
とても得るもの多く、思うところ多く
忘れ得ぬ、合計二日間でした。
結局翌朝は、ギリギリに飛び起きて、
焦りながらベース転がし、はやぶさで江戸に向かったわけで。
Charは今回のツアー、毎回ライヴ録音 して販売してるんだってね。
ちょっと聴いたけどかっこいい。
去年、池上本門寺で観たときも最高だったな。
Black Shoesから気絶するほど…に繋ぐ、というのも意表を突かれたし
Shining You, Shining Dayをイントロだけやってやめちまったのも…愛嬌というか
聴きたかったというか。
ああいう人の年季というか、どんどんふわっと、懐が深くなっていく所って
憧れます。
さ〜うちはまた明日から旅楽団再開。
三重唱はどうなるのであろうか。
ぼくは元気に暮らして居るけれど…
熊本のこと、大分のこと、中央構造線のこと…
一言で表せない辛い気持ちと不安がとまらない。
ぼくにとって直接の知り合いは flexlife の一行だから、彼らのことを最初に思うけれども
きっとこれから会うだろう、たくさんの人々が辛い思いをしている。
ネット普及前にしか会っていない、そんな知人もきっといる。
今年もこれから、訪熊を二度予定しているし、そこで会える人に
音を届けられるだろうか、何か手助けできることはあるのか、
足手まといになってしまうのか。
何が解決で何が支援なのか。自粛ってなんだろう。コミュニティって、避難って、なんだろう。
このタイミングで激甚災害の指定もまだせずにTPP審議を優先していることは、国に頼りなさんな、と公言しているようなものだし、呆れを通り越して苦沙味すら出てこない。
被災している人にとっては、一刻が何年にも思えるのではないですか?
川内原発については、再稼働の条件であった「事故時の高速道路や新幹線による住民避難、近隣県での受け入れ」が震災によって既に不可能になっているのだから、まず、直接受けている揺れや採算上の思惑に関わらず、現時点でとっくに稼働条件失格だと思うのですよ。
川内に何かあってからでは全く遅い。制御できない。そのことはわかっている筈でしょう。もちろん、何もないことを願うばかりだけれども。
Police の Synchronicity II に
“Packed like lemmings into shiny metal boxes.
Contestants in a suicidal race.”
というリリックがあって
これは東京の地下鉄ラッシュで犇めき合う人々と同じような例えなのだろうけど
レミング的に破滅競争をするような、そんなところが
日本のシステムにはあるような気がしてしょうがない。
Sting が当時、日本を題材にしたかどうかなんて知らないし
こんなことは日本だけでなく万国共通、歴史上も何度も繰り返された失敗だとは思うのだけれど
– あるいは負の Synchronicity か –
危機のときに、指導層が対策を誤るのは非常に危険です。誰にとって? みんなにとって。
保身や面子で人を切り捨てる人、たくさんいます。
軽くなりたいんでしょうね、「蜘蛛の糸」のように。
芥川はどう思って書いたのだろう。新自由主義の人はどう思ってビジネス本を書いているのだろう。
ところが悲しいかな、それはおそらく人間のサガでもある。
どんなエリートだって間違いは起こす。保身はする。
だから、互いに平衡にバックアップしていかなければならない。
「グッドストライプス(いい感じの平行線)」でもいい。
くっついて盲目になってちゃ、危険は増すばかり。
灯台下暗し、の陰が大きくなるばかり。
たとえば、音の世界でもバランス転送ってあるでしょう。マイクに挿さってるあれ。XLRってやつ。螺旋に組んだケーブルに逆位相で信号を流し、それをミックスする事でノイズをキャンセルする。
生命を繋ぐDNAだって、このケーブルと同じように、螺旋構造をしている。
こういうのって、意識の、また無意識の知恵だと思います。
右、とか、左、とか言ってる人達も、本当ならば、互いにバックアップしなければいけない。幸せに人生を送りたいのは、きっと同じなのだから。
数年前に観たNHK特番「原爆投下 活かされなかった極秘情報」。B29がファットマンを積んで長崎に向かっていたとき、陸軍情報部がその動きを事前に知りながらも御前会議ではまるで違う議題に終始、九州の迎撃隊に出撃命令すら出されなかった、ということが明らかにされた。老いてそれを知った紫電改の元パイロットは、落胆しきった表情で言う。「これが日本の姿ですかね … こんなことを許していたらまた起きるんじゃないですか?」
どうなんですか?
せめて、これからはそんなことを起こさないでほしい。
そう思うのは、おかしなことなのか。
眠れたのが不思議だ。
熊本、大分の皆さん、どうかご無事で。
新神戸駅を降りたのも三宮を歩いたのも6年ぶり。
住む筈だった街。いい空気。
お洒落すぎる一角にあさひホール。
最後列も近く幅広い扇型のような客席。不思議な開放感。
演奏中、ずっとお客さんの姿が見えていたし、客電が点きっぱなしかと思ったくらい。
このメンバーで関西初。ステージ、またゼロからやり始めたような気がしたのはなんでかな。
公演が終わり楽屋に戻った時、熊本の地震を知る。
震度7ってありえない。まず、flexlifeの皆が心配。
翌日無事と分かったけれども想像を超えるストレスを抱えているはず。
どうすることもできない、だけど、彼らのしなやかさから学ぶことが、また、多いです。なんだそれ逆じゃないか。
翌朝、海岸を走る。海と山と、風と街。
1.17から21年。公園の時計は、ずっと5:46を指していた。
—
東海道新幹線は穏やかな陽の下で皆を運ぶ。
快晴の三日間。当たり前のことなのかそうではないのか。
食べ物の話は神戸で「年一度」を終えたからか、否、単に言いそびれた。
記しておくと、浜松は第一通りにはとてもおいしい卵飯屋さんがあって、映像作家の知人が働いていたから二度ほど行った。
また行こうと思っていたら、いつの間にか閉店…好きな店って、なんでこうも移ろいが激しいのだろう。
駅から離れたUホール。かなり年季が入っていて、アクトシティが有名なこの街ではレアな会場だろうな。だけど演奏中はとてもやりやすかった。
なんだか、音楽が、ますます大事になってくるな、と思う。
終わった後、なにか、5本目にしてファイナル感。
とんでもない、まだ1/3だ。
久々に 江里也さんの本 を読んだ。
スペインのイビサ島での一筋縄ではいかない人々と
彼ら彼女らに飼われ、世話され、
あるいはたまたま隣り合わせただけのネコたちの物語、27編。
のんきなスローライフ、という調子で始まるのだけど
途中からジャブ、じんわり染みてきて。
独立国の傀儡国王ネコ - 国民のやる気のなさに3〜4週間であえなく国崩壊 -
あたりでぐいぐい引き込まれ
画家たち
音楽家たち
亡命家
ヒッピーアーティスト
警察官僚
それぞれの振り切り具合と人間味、猫味に
今現在の状況とこれからの人生をずっしり考えつつ読んだり
終盤の「いつか日本にエステバンを連れて行こう」
というところで、涙出そうになってしまった。
リュックを買い換えられないのだろう。
もうかれこれ9年、このバックはどう見ても薄汚れてクタクタで
近頃は果たしてこんなに頑張る必要があるのか? という段階にきている。
だがいくら店頭やネットでバックパックを探しても、自分に合うものが見つからない。
リュックは行動の基本なので、機能に妥協はできないのだ。
我輩機能とは即ち
MBP 15″が入る
折畳傘が入る
ごく小さな道具類が独立ポケットに入る
メガネケース大のものが2〜3本ポケットに入る
鉛筆、筆ペンがすぐに取り出せる
買っちまったモノが入る
そして一番大事なのが
財布が背中内側に格納でき、すぐに取り出せる
ことだ。
最近のバックパックはラップトップが横からジッパーで取り出せるなど
便利にはなっているが、何を考えているのか貴重品類の収納が全然あかん。
背中から降ろしてフラップやロールトップを上げて巾着袋を解いて中のメッシュジッパーに…
など、駅構内やレジで、おっちょこちょいのおいらがやってられるわけがない。
リュックの正面(背後)にポケットが、しかも縦型ジッパーでついてるものもあるが
そんなん、あぶなくて財布を入れられますかいな。
後ろからチーと開ければしまいやし、締め忘れたらコロンコロン落っこちるで。
その点、このずっと使ってるダッサいリュックは、よーく出来てる。
この自分でも、十分すぎるほどに使いこなせている。
( …いやすまない、本当にダサいのはこんなにお前をダッサくしたオレだ…罪悪感に耐えかねて追記する)
かっこよすぎるリュックもいかん。
TUMIとかDieselとかCote et Cielとか、たっかいけど美しいなと思うのだが
だいたいリュックなんて外で常に持ち歩いているんだから汚れまくるし
水ぶっかけて洗えるぐらいでないと使い続けられない。
本革製なんてもってのほかだ。
そんなんで、5,000円ぐらいの掘り出し物をアーケードで探したりもするのだが
これはこれで、最初からクタっとしてたり機能が2〜3個足りないとか
衝動買いするまでには至らないからと
後から探してもメーカーの手がかりもなかったりで
結局見つからない。
ほんま、やになるで。
「出る杭でも打たれない」絵本作家五味太郎に聞く1~(佐藤智子)
ふと読んだインタビュー。五味さんの思いつくままに話が進んでいくので、見出し以外にも解釈の余地は色々あると思い、メモ。
『「勝った」「負けた」っていうようなことは、疑似的な遊びの世界だよね。 』
このあたり鋭いと思う。
A 綱引きなんていうのは、あれは冗談なんだよ。一緒になんて。でも、心合わせてって、引くっきゃねえよ。勝とうってやっているやつだから。そうでしょ?
Q そうですね。
A みんなのために頑張っているわけじゃないのよ。だから、頑張っていないやつも参加する形になっているわけ。「綱があります。引っ張って競技するんですよ」って。
Q はい。
A ね? 「やる人?」って、「あんま、やる気ねえな」って(笑)、まず本音であると思う。でも、しようがない。で、やる。でも、「相手は敵なんだ」って思う。でもさあ、「近所でよく会うやつだなあ」と思う、「あの人、敵じゃないし」って。でも、一応始まって、こっちが紅組、こっち白組。「白組と紅組と戦うことにしようよ」って一生懸命言うわけ。そうすると、割とその気になる。で、引っ張ってみると、結構その気になるもんで、ズルズルやると、ちょっとムカッと来るから、懸命に引っ張ったりするわけ。それで、「勝った」「負けた」っていうようなことは、疑似的な遊びの世界だよね。
Q うーん。
A 終わった後には、ノーサイド。で、「商店街のおやじと本気で闘ったから、もうあそこにはぜったいに買いに行かないぞ」なんて話じゃないよっていうわけ。ここでは疑似の話をしているわけ。疑似競争。ところがそればっかりやっているわけよ。
Q 疑似なことを。
A そう。
Q 「〇〇(なんとか)しましょう、〇〇(なんとか)しましょう」みたいな形で。
A そう、それを設定しているのが教育のシステムっていうことなんだよ。
Q そしたら、自分のオリジナルというか、やりたかったことややるべきことがわからなくなる。
Aそう、全然わからないやつがずっといて、能力は、唯一「付き合う」っていう能力がつくわけ。賢いやつは、どうやって付き合ったら自分がまあまあ楽なのか、生きていけるのか。
なんだかハッとするのは、こうやって、擬似的な戦いを生まれた時からいつもやっている(或いはやらされている)のが僕らだということ。
これが、いつも擬似であればいいだろ、と思うが、擬似の裏側には現実の犠牲だってある。
並行して、擬似と現実の垣根も、壊れて来ている。
或いは、本当に戦争指導してきた人々も、昔っからこれぐらいの気持ちなのかもしれないな、とも感じてしまう。
「敵国」とも戦ってるふりから始まり、やる気のない人をうまく動かし何百万人も犠牲を出して、当人たちは痛くも痒くもない。
そもそも、自分たちのやっていることがわかっていない。世襲だから、慣習だから、なんとなく - そんな Universal Soldier*。
恐ろしくなる。吐き気がする。だが。
「敵味方」という概念は、どんな平和主義者からも、たぶんなかなか消えるものではないのだろう。生まれたときから深く染み付いているのだから。
しかしその一方で昔から、人々にとっては「敵」も「味方」も所詮フェイクで、それと(意識的あるいは無意識的に)付き合ってきたというのなら。
その切り替えにこそ、「危険な時期」を乗り切るヒントがあるのかもしれない、とも思うのだけれども。
* Universal Soldier – by Donovan
関内。
音確かめの合間、窓から界隈を見て
「碁盤の目だねぇ」とつぶやくNくん。
確かに。埋立地っぽいね。
開国の時の関門の内側でっか。そんで西洋調なわけか。
かんさいとかんとーとかんけーない…とかって誰かZ級ラップしないかな。
いや失礼。
このあたりの空間に出るのは、自分はKAAT以来。BankARTも懐かしい。
音が舞台に3D座標付きで返ってくるKAATや、
ショートエコープレックスの文芸座とは違って、ホールらしい響き。
いい緊張感。そして、ユル感。
ファイナルじゃないよ、まだ三度目、そして五分の一…
—
今回はコーラスが多くてほぼ全曲、しかも重要な節続き。
ところが第三の男、ならぬ第三声、っていうのは
割と気楽なものでもあるんだな。
人前で声を発するたびに、虚無感を併発し続けてきた自分が
近頃は楽しんでやっとります。
団長とメンバー、お客さんに感謝しなくては!