アーカイブ: 2013年9月

1961/1/23 North Carolina

飛行中のB52からノースカロライナのゴールズボロに落下した水素爆弾が、小さなダイナモスイッチのおかげで奇跡的に爆発を免れていたというレポート

この記録は機密指定されていたという。

今年で52年か。

パブコメ期限終了を合図にTV、新聞で報道されたこの国の秘密保全法の案には

行政機関の長は、指定の際には有効期間(上限5年で更新可能)を定めるものとする。有効期間満了前においても、アの要件を欠くに至ったときは速やかに指定を解除するものとする。

いう項目があった。

ぱっと読むと、すぐに解除しますよ、長くても5年ですよ、という印象だったが、

この「更新可能」というのは本当はどういう意味なのだろうか。
5年ごとに更新できるという意味ならば、全く違ってくるわけだ。

今回のはちょうど、いいヒントになるニュース、というわけだ。

A big change in town

びっくらこいた

逆向きに流れてくる歌詞を読み取るのはけっこー大変だが

ピアノロールを読み取る「やつ」はいかにも簡単に弾き熟している

—–

でも

こっちのほうがいいな

風呂でもハット

ブルースブラザーズを久しぶりに観た。

やっぱ、これやな。ダックダンとウィリーらのグルーヴ最高。

観客のノリも最高。

しかしアメリカ人、銃撃ち過ぎや。

折り重なるトランプ

『風立ちぬ』続き。

睡眠には、寝る前に体験したことを意識下で整理し、咀嚼する効果があるという。
つまり、「睡眠学習」にはある程度効果がある…
「眠らない」ことは、人にも、街にも、また機械システムなどにとってもよくはない。

そんなわけで、一晩寝ると、昨日より違った捉え方ができるようにはなってきた。
というか、ディテールに散りばめられたメッセージを、追体験できる。
映画の後味がなんともすっきりしなかっただけに、「なんで?」という思いが
これからも追体験を誘発していくのだろうか。
これは、この映画が毒にも薬にもならないものではない、という証明かもしれない。

まず、我が道をいくということ。
この時代、肉を食えという仲間に対して、サバ好きを通し、サバの骨のカーブを翼の断面のヒントにする。
美しいと評した独逸ユンカース製航空機を完全になぞらず、独自の発展型を見いだす。
(ちなみに、描かれた独逸製爆撃機は、ルパンの「アルバトロス」やコナンの「ギガント」に酷似していた。根っこが同じなのだろう)

思想調査で特高に逮捕されかかったとき
「身に覚えがない」
「今まで何人も特高に捕まった、みんな身に覚えのないことでだ」
というやりとり

そして最後の
「国を滅ぼしたのだからな」
「一機も帰ってきませんでした」

それら、みんな、とても穏やかに綴られている。

その穏やかさが、優しすぎるのか、諦めを感じるのか、大きすぎるのか
それとも単に、抑揚のないあの声が違うのか。

僕はやっぱり、なんで?と思った、(宮崎作品にときどき配される)とびきり抑揚の無い声。
サツキとメイの父や、雫の父やシータと同じ、あの声 — 声優が違っても。
コナンやアスベルやルパンやハウルや、マルコのような、強い声じゃいけなかったのだろうか。

穏やかで寡黙な人を表す「静かな強さ」の表現だとしても、それじゃどうなのだ、と思ってしまうのは
たぶん映画に、2013年の現在の切迫感を重ねているからなのだろうな。

たぶん、夢は悪夢でもあり、限られた10年は折り重なったトランプであり、
光は影を、影は光を土とともに補わなければいけないのだろうな、
そんなふうに感じる。

よくわからなくなったが、胸が苦しいかわりに、少しだけ胸があつい、
酔っぱらったしそろそろ寝るか、そんな
911
であった。

夢の野原と列車から観る野山との

『風立ちぬ』を観た。
胸が苦しくなる映画だった。

「菜穂子」は限りなく美しく
恋と結婚のシーンも感動的だったが

根本的に何かが間違っている

という胸のつかえ

その結論を最後の「夢」に委ねた結末は
これはスルーしてはいけないと思った。

たとえ、全てをやり尽くした監督が、流したとしても。

「ただ、いい飛行機を作りたいんです」

「我々は武器商人じゃない」

って

じゃ、武器商人はこういうだろう
「我々は政治家でも、軍人でもない」

ちがう
それぞれ、持ちつ、持たれつ
やってたんだ

人間の技術は人間を幸せにするのかな。

「国を滅ぼしてしまった」イタリア、ドイツ、日本のそれぞれの
美学を描いている、とも取れる

そうかもしれない、今もドイツから学ぶ面は多い
それどころか、色々な分野で、独逸流を神格化するような空気さえ感じている

もちろん、イタリアからもだ

だが

いかん、やっぱ、胸が苦しい。

落としどころが無いので、加筆予定

* 追記

音楽は文句なく素晴らしい。冒頭の空気感から最後の「ひこうき雲」の林さんと細野さんのリズムセクションまで

だが音楽のレベル(ボリューム)に対して台詞が小さくて、正直、「耳が困った」

1は2より大きい

とっくに読了している暉峻 淑子『豊かさの条件』から備忘録メモ。

タイトルは好きじゃないが、中身はテーマも視点も多岐に渡り、すごくインスパイアしてくれた。

引用の引用だが
「管理されてばかりでそだつと、何か都合がわるいことがおこったら、それは管理しているものの責任であって自分の責任でないとかんがえる人間になってしまいます。」
(松田道雄『自由を子どもに』)
p.70

日本なら、さしずめ教育効果があがっていないとばかりに、浮かぬ顔をした先生が、いつも正答しそうな子に、「ハイ、××さん」と正解を言わせ、「ハイ、その通り」と満足するところだろう。
—ベルリンの小学校でのユニークな「1について」という授業風景との対比
p.74

「持てば持つほどあなた自身はなくなる」
ー時間と行動の制約の代替作用としてモノを買おうとすることについて
p.121

憎しみをあおるための、やらせ事件もいくつも仕組まれた。
ーユーゴスラビアの内戦について
p.140

ピンハネされないように知恵比べである。知恵があればケンカしないですむ。
ー難民への援助が、国や組織を通すと、本当に困っている人のところには満足に届かないことについて
p.150

他にも、山ほどあるが。

レポート通りに生きないために

いいなりになるのはやめよう

すべて、昨年夏のナイ・レポートのいいなりになって喜ぶヘッド
恥ずかしい

シナリオ通り
ああはなりたくない

昔、やのまことさんから聴いたことに
自分の中にアフリカを持つというのがある

リズムをinternalizeするということ

火が、マッチから棕櫚や松に移るとき
何が起こるだろう

移したとしても、中で燃えている

そう、自己責任

かもしれない

それでも

自分が燃えるために
内を灯そう

きいたもの かいたもの
色がかわってくるように

おうどうとほこり

世界は王国だけじゃない

王様がいる世界なんてお伽噺だけのこと
…でもないけれども

少なくともこの国には王様はいない
いや、随分長いこと、日本に「王」は居なかった気がするのだが
額田王とか、そういう

ちがうか
しかしなんで、日本語を話すぼくらでもこれほど「王」という言葉が身近なのだ

世界は王を求めているのだろうか?

宮崎駿の「風立ちぬ」はまだ観ていないけれども
彼の作品は大人になって、いろいろな見方が出来ると判ってから
好きになった

子供の頃は「カリオストロの城」ぐらいしかピンと来なかった
「風の谷のナウシカ」は惹かれたけれども意味が分からなかった
他は、画がかわいすぎたのか、ヒットしすぎてたのか、敬遠した

今では、原画スタッフで関わった「空飛ぶゆうれい船」から
「未来少年コナン」からルパンの「死の翼アルバトロス」にしても
「ハウルの動く城」にしてもとても深いものだとわかるけれども(遅いか)

しかし中でも一番強烈なのが漫画版の「ナウシカ」で
この後半部の展開は現在露わになりつつある実世界の枠組みに
恐ろしいほどに迫っていると思う

そこでは幾人かの「王」が登場する

森の人の王、エフタルの王、トルメキアの王、土鬼の王
そして蟲の王

無垢を意味する巨神兵の「オーマ」も(「オーム」との類音だけでなしに)
王を想起させる

まぁ、なんで宮崎作品では重要な配役がことごとく王子や王女ばかりなのかと
そういう疑問もあるのだ
民衆の殆どは、王家ではないのに… なんして、これで支持を集めてるの? ってやつだ

おれらって、届かない権力者に憧れて、結局支持するの?
みたいな

ともあれ
彼ら、彼女らは「誇り高い」とされる

「誇り高き」「気高き」という形容詞が、たとえ争う敵同士であっても共振させ
結びつけるという鍵にはなっているようだ

ふぅん

たぶん
それには同意なので
無理矢理理由の一つを掘り出せば

おれらって、自分の王であるべきなんだよな
現実の身分に関わらず
…ってことなんかな

与えられた生を最大限に全うする
それって多分、自分に対する王道なんだろうな
と思う

社会的には「誇り」って何かという大きなトラップがあって
だったら軍事力を増強すればいいのか、だったら周りをサゲればいいのか
カネ撒いて嘘をついて目隠しイベント呼べばいいのかとなりがちだけれども

ボロボロの中でも誇りを持つ
時にはボロをさらけ出すことが
実は誇りなんじゃないかなと

そんなこと思う
2013のあきである

なりはじょうじょう

…堅いというか当たり前というか
世を憂うことばかり書いてはいるが

楽器の鳴りは上々である。

FもWも、LもRもいい音してる。

あきはいいなぁ。

Fbassに関していえば、やっぱボルトオンでありながらスルーネックみたいなボディが
ものすごくこの響きに影響してるのだろう。

カナディアンメイプルとアルダーの一体感がたまらない。これ、ほんとによくできた楽器だと思う。
アルダーのオイルフィニッシュなんて他にない。

Wに関しては、カラダで鳴るのだなとほんとに思うこのごろ。

むかしは、イメージの王国に身体の一部が最短距離で連れて行ってくれること、
それを一番に考えてグルーヴを作っていたけれども、

いまは、それを身体で再投影することが大事なんだなと思っている。

そう、世界は王国だけじゃないんだ、とも。

要らないバナーナ

ふとCartoon Networkで「裸の王様」を観た。
いつのバージョンかわからないが、「おさるのジョージ」みたいなテイストの画とテンポで、
偽仕立ての二人組が冒頭からかなりワル、すっ飛ばしていた。

劇中、見えない生地や服を「…言葉に表せないほど…すばらしい」と誉め称えて作り笑いをする宮廷や街の人々は、
新幹線に乗っては「今こそ原発推進に舵を切れ」という雑誌の大見出しに「…そう…かもなあ」と内心うなづきかけている極東のスーツメンたちにとても似ている気がした。

強迫観念、同調意識、上昇志向。そして自主規制。
雑誌は、たとえ購読させなくても、見出しやポスターだけでも「チラ見」効果を出してしまう。
だからこそ、大元は莫大なカネをかけて、駅の柱や廊下にもポスターを貼り出している。
それが、ある程度のカネ(そして経費)をかけて移動している人々を集中的に狙っている事。
とても判りやすい。そしてとても狡猾だと思う。

それはそうと、Cartoonに戻ると
裸であることを少女に暴露された後も、人間の裸は美しいものだと開き直り、歩いて行く大臣と王。
迷惑をかけた元仕立て屋へのフォローも忘れない。
なかなかやるなと思った。

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