カテゴリー: hikari

時間の魚

また変な事を書くけれど

人生や物事の進化って螺旋状だ、って良く聞く
それは本当だと思う

時間軸で言うと
行って、静止して、戻ってくる。
それを繰り返して、形になる。

それを見て感動したり、使いこなしたり、他人が利用して、いわば、発展する。

そんなのの繰り返しだと思う。人間が文明を築けたのは。

だいたい文字を記したり、モノを生産したりするのは、止まったものを産むこと。
それは流れる時間に対して静止、つまり過去に向かっていく事だ。

にも関わらず人がそれを続けるのは、どうしてなのだろう?
それを拾い上げて、また時間に向かって投げつける。
人の時計は、常に伸び縮みしている。

例えば。
この世が全て、画像だとする。
そんなことはあり得ないが、だとすれば、画像編集しようと、何でも注視するやつもいるかもしれない。

そうすると気づくのだ。この世は全て動画で、静止画と思っているのは動画のうち、止まっているように見える一種でしかない。

なのに人は、いちいち静止画に価値を見いだす。
モノは動くものもあるが、静止した形に固定されて初めて生産される。

もしくは。人は動いているものを、静止しているモノほど理解できないのだ。

価値を見いだせるのは、時の流れに耐えるもの。
流れて行っても、イマに戻ってくるもの。遡れるサケのようなもの。

もしくは、モモタロウのようにずっと先から流れて来たもの。

ここで螺旋が登場する。

新しい何かを固定して実現させたいなら、時間のずっと向こうにアイデアを投げなければいけない。
それが戻って来て、形になった時に、つかまえる。そこで流すか、また投げる。
何回か繰り返せば、魚は大きくなるかもしれない。

みんな、時間と釣りをしてきた。

動物は本能でそれをするけど、
人間は知ってか知らずか、そうやってきたのだ。

と、思う。

ほたる

とても揺らいでる月を誰もつかまえられない
キャンバスなどそこにはないから
おもいだして 生き返らせなければ
どんなかみにも ふゆうたいにも

それはぼくのめが 走っていたから
何百キロも 夜通しで

目の前で 揺らぐ月
いなくなると わかるから
記憶の種だけ おいてこって

よくあること

阪神が負けて
悔しいからニュースを見なかった。

今朝、シャワーを浴びてる時に知った。

こんなこと、よくあっちゃいけない。
一度だってあっちゃいけない。

星が地面にきらめいている氷川橋の交差点の向こう
何度も何度も、ダークブルーのビルを見ていた。
そこで35年前に起こったこと。

その人が吹き込んだ記録は僕の日本語に対する意識を根本的に変えた。

ダークブルーのポリドールビルももうとっくになくなって
いまはアパートだ。

僕には気持ちの説明がつかないし
色々ふっきった今でも説明する権利もないと、この事ばかりは思う

ただ、ものごとはそれでもつづいていくんだろうなと
いまでは思う

また年めぐる

1年は365日。
約360日である。

ならばどうして、世の中に丸形のカレンダーはないのか。

ひと月は30度、季節は90度、さらに一日は1度である。
わかりやすいじゃないか。

勿論年に5度の誤差は無視する。
それぐらいの修正は、カンタンにできる筈だ。

せっかく一年が12ヶ月なのに、なんで時計と共有できないのか。
時計の針をもう一個増やして、月を表せばいい。

一年で一回りだから、地球と一体化した気分になれる。

どうです? エコが好きな人たち。

時は視るものだ

列車に急ぐとき、心でcountをする癖

走りながら、数えた方が焦らない、と思う癖

慌てる心を鎮める為にcountをする

それがたぶん理由。くだらない事を僕はしているわけだ

数えようが数えまいが、目的地には着くし、列車は列車でやっている

秒数に対してどれだけかの比率でかけまわっても、それはパルスとの約束でしかない

そこで視るものをつかみながらホームまでかけた方が楽しい

二度とは帰ってこない時間

数えてるうちに過ぎ去る

だけど目を閉じなければ、視た物が時間になる

無限の映像を見て、それらのいくつかに名前をつけて、生きている

時は視るものだ

座標

すわってないで
動くはこに
乗り込んだら
そこはもう
ちがう座標

空も飛べば
カーステも鳴らせば
売り子もくれば
かいこも舞う

全ては
型値をかえて
偶然の餌を
たべてゆく

運良くいくつかを
つかんだ人も
この光には
音程には
留まれない

フェリーで海を渡る。

6年数ヶ月ぶりの道だ。

志摩から伊勢へ、外宮から内宮へ。

幼い頃から恐らく何度も来ている伊勢、自覚して見るのは二度目、はっきりと見えたのは初めて、俺の年表はこんなもんか。

とある外国の老夫婦、感じの良い二人
石段の上では撮影できない事を知らず、カメラを構えようと。隣だったのでそれとなく知らせる。
日本の人だかりは内の約束事は知っていても、注意はしない国民性で、こういう時コミュニケートしないと変な誤解を生む。

この人達もカメラを降ろして、自分も正宮の前に立つ。
正面から見れないように降りている幕が、風で上がった。

a ma te ra su … ?

驚くあまり驚くこともできない。

女神達に囲まれて、甲賀へ走る黄色い車。

機械じゃなく目で観てもらえて、なんだかよかったな。

哲学のみち

京都に哲学の道というのがあって

昔は近くに住んでいたのだが

度々歩いたとはいえ、特にそこで閃いた事も、思想が深まったという事もない。

こんな事を書くと罰当たりと思われるかもしれないが、

要はこちらの問題であり、僕にとっての哲学の道は他にあったのだなと、思う事にした。

今振り返ると、自分がインスピレーションを貰う、点火が行われる道は、確かにある。

これは、道そのものの特性もあるが、多分にその人の「好み」、言葉を変えればその人自体の「特性」だと思う。

僕にとって京都が特別な場所である事は変わりはないが、21C以降の人生を顧みるに

それは目黒川、駒沢通り、旧山手通りである。

割と大きな通りであるにも関わらず、人通りは少ない。

今日もWalking On The Moonを口ずさみながら家に向かうと
とある交差点、ビル越しに見えた月の反対側、巨大な人影が歩いていた。

ん、これのこと…?

“Giant steps are what you take, walking on the moon”

月明かりで、自分の影が途方も無く大きく伸びて、大股で歩いていくのである。
under the moonではあるが。
じゃぁ、と思う。

もし
月を
歩いたら

夜を照らすのは地球

ならば –

-実際、影を大きくしたのは月ではなく、丁度いい角度に存在した街灯なんだろうけどね-

matt

懲りもせずひかりのこと

反射、吸収を忘れていた
マットとグロス
艶あり 艶けし

谷崎潤一郎は日本人はピカピカじゃないものが好きだ(った)と書いたが
今はどうだろう

人間においては反射しそうなものは
ガラスである眼
やや堅い爪
かつては黒く塗られた事もある歯
これらだろうか

きらり というやつだ
眼が輝くというが 同じガラス体なのにどうして 感情で
輝くだの 曇るだの
でもこれはほんとうだとすれば
どうやって??

眼の表面?涙の量?それとも瞳孔の?
多分原理はすぐわかるんだろうな わかる人には

「瞳はカメラ」だそうで
そんな曲誰か*歌ってたけど
ほんと、人間の作り出すものって、自分や自然界にあるものの
再構築なんだなぁ
—–

地下鉄改札を出てatreのエスカレーターを昇る間に
そうおもった

その後はまた別の事考えてたので
つづく

*藤井尚之とかトレヴァー・ホーンとか

invisible and everywhere

今日思ったこと

音って凄いよな

電車に乗って座ってると、聞くともなしに聞こえる会話があって
内容は残らないんだけど、声色や調子が妙に飛び込む人がいる。

それって…全然こちら宛に喋ってるわけじゃない。

電車に乗って立ってると、人が静かに、耳に詰め物をしてるのが眼について
だけど何にも聴こえない。

聴こえない、んですよ。漏れてくる、んじゃないんだよ。うるさい諸君。
(僕だったらほんと、ごめんなさい)

その道具は、いろんな人の脳に、音を送り込んでる。
外からは、何が送り込まれてるか、どういう反応を脳がしてるか、
わからない。

そんなエクスクルーシヴな栄養素と
放射して元気に舞う言霊が
僕らの周りに常にいる

そうだ、音楽やってたんだよな
レコードではこう、ホールではこうなんだよな
「生音っていいよな」
「このコンプがええねんな」

これも、ふと気付けばなんと狭い領域なんだろう。
脳機能の大多数は使用されてない、と聞く事あるが
そんな感じ。語られてたのは発展の枝のうちの、ほんの数本なんだろうな。

ひかりについて、ここしばらくなんとなく考えていたが
小さい頃、幼年科学まんがではよく「光とは」「音とは」って読んだものだが
音って、なんにもないし、全てになるし、
そして、なんで発せられて、なんで残るのか
…実体がないのに、どうして認識できてるのか
つくづく、すごいよな。

俺たち、なんの為に、音を出して聞きわけてるんだろう。
なんで、音の軌跡が残ったり再生されたり、するんだろう。

目に見えないものを最初に録音したのは、どういうことなんだろう??

Calendar

2025年1月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

Category