五月四日

May the force be with you…

スターウォーズ、未だに殆ど観てない… 嫌いってわけじゃないのだけど、今から追いつくのは気が遠くなります。

「力」ってなんなんでしょうね。
戦いってなんなのかな。戦わないための戦いって、坂本さんが言っていたのは本質をついていると思いますが。

5月4日といえば、毎年最初に浮かぶのはスーパードライバー。古井戸の曲。

このドラムがとにかく最高で。
山木秀夫さんですよね?

歌はとても不謹慎グだけど、かっこいいです。

ストリーミングされてないようなので、どうぞ中古レコ屋でお探しください…

五月三日

憲法記念日。

ひとつ記事をリンクします。

施行から74年、憲法記念日に「日本国憲法」を全文読んでみよう。| Business Insider

全百三条。アプリの使用時に同意させられる規約と比べても、けして冗長なものではありません。むしろ簡潔で読みやすいです。

さて、緊急事態宣言下で人があまり集まれない中
「ピンチをチャンスに」と、改憲を推進する人々が着々と歩を進めている。

GW 明けには国民投票法の採決に入るという。

あからさまだ。

私が見るに、今必要なのは、日本国憲法を変えることではない。もっともっと他に大事なことがある。

だが、「憲法を変えなければならないと信じている人たち」にとってみれば、今は千載一遇のチャンスなのです。
彼らは長年それを準備してきたし、私は長年、生活しながらそれを危惧してきた。

この溝は、決して埋まらない。

だが憲法は、こういう状況のためにある。特定の人々が巨大な力を持ったとき – その力が不当に使用されないために。

以下は、私の意見として繰り返します。
主権者であり、第十九条で思想の、第二十一条で言論と表現の自由を保障されている国民として。

今必要なのは
憲法を変えることではないし

その為に広告で
人々を誘導することでも
ないです

それをすれば広告は
その悪しき祖先である
プロパガンダに
退化してしまうし

音楽はやがて軍歌に
戻ってしまう

そんな世界は
いやだし

残したくない

あめがきこえる

なかなかの雨が降ったので、午後11時11分
こちらを先にリリース。

昼間にマークキングの話をあれだけ書きながら、まったく共通点のない曲です。

4.4 雨の日に作った、というかできた、双子のひとつ。
その後なかなか雨が降らないので、梅雨までお預けにしようかとも思いましたが。

今回はスペシャルゲストとして、「傘をさしながら iPhone で録った雨音」を加えました。


さて、今後はある形態を実行してみます。

僕はやりたいことが沢山あるので、ときどき Bandcamp を使って、
コアな形ができればラフでも曲を発表していきます。

こういう曲は100円以下に設定しますが、
もし「面白い、発展させて欲しい」と思ったら、ぜひご支援をお願いします。

いただいた収入がラインを超えたら、もっと時間と手をかけたり、
それをギャラにして、他のミュージシャンにお願いしたりアートワークを作ってもらったり、グレードアップの原資にします。

グレードアップした曲は基本、差し替えます。
凄くクオリティが上がれば価格は少し上げますが、
それまでに購入された方には、新しいバージョンも差し上げます。

という仕組みです。

僕には素晴らしいミュージシャンやビジュアルアーティストの知人がいますし、
コラボもしたいのですが、スポンサーもマネージャーもいません。
どんぶり勘定していくよりは、こういう形をとってみたいと思います。

メイとキング

昨夜の覚え書きがまとまらなかったのがとてもくやしいが
そういうときもある。5月になった。

今年は、ふと思いついた人の曲…
これまで、意識にはあったが特に演ったりカバーしたことのない曲に
オリジナルのかたわら、さっさと取り組むことにしている。

Stones, S.Dan, H&O, P.Simon, E.Brickell, J.Cliff, MAW, M.Allison, J.Joplin…

使い途のわからないシンセの音をランダムに慣らしながら、今朝なぜか気になった、この曲。

「王」から King の繋がりだろうか。相変わらずいいかげんな自分の連想だ。

The Chant Has Begun / Level 42

時代を感じるがいいビデオだ (Apple Music にある)。
Gizmodrome 来日で初めて観れた Mark King。僕が昔ベースを始めたころは、メロディックだし速いしめちゃめちゃ凄いけど、音が軽いなと思っていたが、最近、わかりやすくていい歌詞書く人だと改めて尊敬している。太くていい声だし。
声が太いからベースは細くていいのか(?)、かつての Sting や Aimee Mann と逆か。

昔、Meshell Ndegeocello にインタビューした時 (’02)、彼女は今、Mark King や Yes が好きだと言っていた。こんな天才アーティストが、自分にあるものじゃなくて、自分と違うものを、好きといえるって最高だな、と。ていうかそうだよな。

Esperanza は King と Queen について(たしかいくつか)歌にしているし、
なんにせよ彼らトップアーティストは、それぞれの王位にいると思う。

Mark King は名前もそうだから。だが彼の “The Chant Has Begun” は逆をいってて、いいメッセージだ。少しだけ抜粋し訳してみる。

Old men with their protocol
Lead us off to war
Sometimes we don’t even know
What we’re fighting for
Marching to the beat of their drum

Leaders we no longer trust
Told too many lies
The promises they made to us
Were never realized
Hear me now the chant has begun

老人たちは彼らの協定に従って
僕らを戦争に導く
誰を相手に戦っているのかすら
時々わからなくなる
彼らのドラムに行進させられて

もう信用に値しないリーダーたちは
あまりに多くの嘘をついた
彼らの約束はひとつも
実現したことはない
きいてくれ 「うた」がはじまった

これは1984年の歌だ。あの “1984” の。場所はイギリス。

そして今は、”2021.5.1″ だ。ここは日本。

パスファインダ

僕らは王になどなれないし

なる必要もない

だが、気づいたときはパスを出す必要がある

そう思う


つづ

誰かがそう書いていたんだよな。

はっきりは思い出せない。

ひとつだけパスをだせ、だったかな。


つづ

「人の嘘を補完し始めたら騙されてる証拠」

うまいこという。あのドラマはよくできてますね、「大豆田」。

Blinking News で書いた
If I could be somebody
To fill your made-up story
Then you make…

っていうのも、これと同じ意味です。

ちなみにこの人物名、オオカンダトモヒを捩ってる気がするのは見当違いだろうか?


まだつづ

王になどなれない。なれば世界に78億の国ができるだろう。

それもいい、のかもしれない。
少なくとも、誰もが自身の王であれ、というのは僕の一つの考えでもある。

自分に誇りを持て、だの、ホコリなどなくしてもよいから、最終的な落とし前はつけろ、みたいな。うまく説明できない。

だが、他人に対する王であるならば。
それは、たとえそんなものがあったとしても、ごくひととき、預かるものだろう。

そして。

May Day が来る前に一区切りつけたかったが、まとまらないのでここで終わる。

十六夜

満月ですが曲はまだ出しません
かわりによこくを

近日

ダイナみっき

あめがきこえる

これらは両方

自動記述曲

えらそーに書いてますが、
何も用意せず、即興で作った詩と楽曲です。

ジャケその他は
変えるかもしれないし
しばらくはこのままいくかもしれません。

さて
いつになるやら
たぶん GW 中に Bandcamp にて

タイムレスタイム

ニュースや SNS みてると、腹をえぐられるような悲しい気持ちになります。

緊急事態宣言は、IOC バッハ会長の来日前日までとし、オリンピック開催に影響のないように日程を組む – と、TV でも平然と流しています。正気か?

この、正気を失った報道が、平気に折り込まれているところが、末期的です。
慣れさせられてるか?

シュールが当たり前になったら、当たり前がシュールになっちゃうぞ。

やっと本性が表面に出てきたけど、オリンピックは世界人類のため?平和の祭典?
理念はそうだったかもしれない。実際は大部分が利益や権力と、それで得する人たちのイベント。
本音と建前、なんて何にでもあるし、綺麗事で物事が動くはずがない。それもそうだけど
やっていい状況と、いけない状況がある。

世界中でコロナ禍が続く中、一刻も早く、開催をやめるべきです。


なぜやめないか。この状況でも SNS の右肩に「聖火リレー」をピン留めする理由は何か。
そのために、湯水のように金を使ってメディアをコントロールする理由。

そんなの、僕だって簡単に想像できる。
仮定の質問に答えないのなら、なおさら仮定は自由、なのです。

次のイベント – 憲法改変が本当の目的でしょう。

そのために、多くのニュースや CM、キャンペーンの仕事をメディアに回して、
国民の「空気をつくる」流れを確実に推進するため。

オリンピックは、そのための「捨て駒」。成功したら儲けもの。
本当の意味で成功しなくても、強行できたという経験と、
メディアをアンダーコントロールできたという実績が残れば御の字。

それで国民が喜べば、お釣りが来る大儲け。

その勢いで、今年をそれを上回る広告を出して、民主憲法を「自発的」に変えさせる。


ぼくがその役割にいる人なら、そう考えたでしょう。ただしそんな事はやりたくないし、全身で思いとどまった筈。

やりたくないと思っていても「仕方がない」といってやる人がいて、あるいはやりたいからやる人がいるのでしょう。
本当に素晴らしいイベントだ、と思って推進する人、それに同意する人も、おそらくある程度はいるでしょう。

でも僕は、それは違うと思う。群れたくないし。
それに、群れて一枚板になる共同体では、やがて全員が滅びるか、過ちを冒してしまう。
違う道を誰かが見て、実践していかないと。
それが、社会のあわいを見ている音楽家や自営業者の宿命であり、使命です。

日本は立場社会であり、役割社会です。がんじがらめにみんな縛られている。
だけど、考えなきゃならない。生き残るためには、何が必要か? 軍備? 何を今さら。

「国民の空気」など「形成させた」ら、あかんのですよ。

しばしば「今の権力者は、数年のスパンでしか国や社会の将来を見ていない、だからこんなに短絡的だ」という説を目にするのですが、僕はそこには同意しかねるところがあります。少なくとも数十年単位で、やりたい事はじっくりと実行している。圧倒的な力と時間を持っているのだから。

香港や、ミャンマーで何が起きてきたか、何を失ってはならないか。
時間がないかもしれない、そう、常に焦らされる気持ち。

何が違うか。

時間。時間の捉え方。それかもしれない。

Sign of the Times.

Time.

時間。

whybecause

先日 mill の続きです

ここから

きっかり二杯分の豆をミルにうつしたい

嗚呼…

キレの良い豆袋(空になっても集めていた読書珈琲リチルさんの)に入れてみよう

なお、この日の豆はさくら珈琲豆店さんのものである…ご容赦を

!!

改めて、リチルさんの袋の優秀さに感動しつつ

この後も修行を積んだ僕は
ティアドロップ型の器からミルに直接
豆を溢さず入れることもできています

何事も挑戦だよ。

* こぼれ豆は責任をもって回収、抽出しております。途中で背景が白いのは紙を敷いた為。裏話

redrum

そろそろ次の活動を。

といっても当分は、オンラインで曲を出すぐらいなので、あまり実在感はないかもしれないが。

ドラム。

前々回の “Blinking News” では、ドラムパーツをバラバラに、ハイハット、キック、スネア、タム、ライド、クラッシュと一つずつ別のトラックに録っていって組み合わせた。のです。

なんでこんなめんどくさいことしたかといえば、キットを組み立てたりマルチマイキングするのが手間なのと、ロックのドラムを叩くのは相当うるさいので、せめて一個一個で分散しようかと。その分録音時間が6倍になったので、うるさい期間が長かったかもしれない。

“Loft & Found” や “あかりをつけたら” は小さい音で、キットで叩いてるので、違った感じになった。できればいいドラマーにお願いもしたいが、僕の気まぐれに巻き込むのも難しく(そしてドラムが好きだから)、当分は自分でこうやって作っていきます。

ちなみに “FLAT FIVE & talkin’ brother” の “つばめ” と “かたつむり” は、Blinking と同じやり方です。”Rio” も。

ビートなしの音楽も好きなのだけど、今作ってる “ダイナみっき” では、ドラムじゃないドラムをやろうと思っていて、床を踏んだり壁を叩いたり、コロナの鬱憤を晴らすトラックになりそうです。他人には迷惑をかけない時間帯にて。

mill

コーヒーを計量スプーンに入れてミルに入れる。ハンドルをひたすら回す。日課だ。

うちのミルは超小型で一杯分しか入らないが、とても精巧で挽き具合も小気味いい。

流石は燕三条の逸品。その鏡面仕上げもたまらない。

だが口が小さい。
いつも
スプーンから
ポロポロポロ


豆が溢れるのだ。

それとどう折り合いをつけるかが、毎度の悩みだった。


今年になって、さる豆屋さんから珈琲の手引きを送ってもらった。

目から
鱗が
落ち
た。

心得の一つ、重さを測る。
以来僕は、このミルをハカリに載せた状態を0gとし、正確な量を袋から流し込んで挽き、それを二回繰り返している。計量スプーンは使わない。

もう一つの心得と共にこれを実践し、格段に後味のいい珈琲を淹れることができるようになった。
方法は自分なりだが、根っこを知れるのはとてもありがたいことだ。

だが豆を流し込むのは容易ではない。
いつも袋から
ポロポロポ

ポロ
豆が溢れ
るのだ。

日によっては寧ろ前より多くなったこぼれ豆とどう付き合うかが、
切実な課題になりつつあった。


僕はいくつか好きな珈琲屋さんから豆を通販で買っている。

それぞれの豆の美味しさとは別に、パッケージにも個性があり、優劣付け難い。
が、豆の流し込みやすさとキレの良さという意味では、グラム量りを教えてくれた当の店のものがダントツであり、それは読書珈琲リチルさんの袋だ。
また、ここの豆袋はかっこいい。ひとつひとつに古い本の装丁を感じるのだ。
実際僕はここの袋を、用途がわからぬまま、空になっても集めている。

(絵が面白いから残している袋もある。どのお店かはご想像にお任せします)

今はリチルさんの豆も切れてしまい、また買うと思うのだけれど、

ふと、計量カップもハカリも使わない方法はないか、と考えてみた。

二杯分の重さを、器で量ってみる。それ以降は、毎回その器に入れればいいじゃないか。
計量スプーンと原理は同じだが、より精度も高まる。

そして
このティアドロップ型の器の、摺り切りがちょうど二杯分だった。

世界はよくできていた。

…さて…

ここからどうすればいいのだ。
まさか計量スプーンに移して入れるわけにはいかない。

どうなったかは、後日写真と共にお知らせしたいと思う。

こちら

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