「相互監視と台本」シリーズはあと数回続ける予定だが。
皿の大きさ、というのは、目玉焼きに合わせて皿の大きさは決まっているのだろうか?
という今日の切実な疑問。
下弦の月になってしまった。
次の新月の配信は、もちろん予告していた通り
「るいをよもう」です。
去年の夏頃からライヴでやりたかったのだけど、シンプルだけに難しくて
結局まだ一度も人前で演っていません。
どんな感じになるやら。
ジャケットのイメージその壱を。どこやねんここ。
「相互監視と台本」シリーズはあと数回続ける予定だが。
皿の大きさ、というのは、目玉焼きに合わせて皿の大きさは決まっているのだろうか?
という今日の切実な疑問。
下弦の月になってしまった。
次の新月の配信は、もちろん予告していた通り
「るいをよもう」です。
去年の夏頃からライヴでやりたかったのだけど、シンプルだけに難しくて
結局まだ一度も人前で演っていません。
どんな感じになるやら。
ジャケットのイメージその壱を。どこやねんここ。
Gary Peacock が亡くなった。
この気持ちはとても書き表すことができないので、
僕の人生を決定付けたアルバムを。
Gary Peacock, Art Lande & Eliot Zigmund / Shift In The Wind
最初に聴いたのは彼のペンによる Last First。
知人からのダビングカセットを聴いたとき、
時間が止まり永遠になった。
その後アルバムを手に入れ、ずっと聴き続けた。
冒頭の So Green は Art Lande の曲とされ、
コード進行などは Last First と類似形だ。
どちらがどちらに影響を与えたのかわからないが、
共に僕の中では、Gary の代名詞のような
何ものにも替えがたい、音楽。
まるいみらい / Ray Kondo
moon x moon series #17
2020.9.2
9月の満月は唐突に。
今年の中秋の名月は10月頭のようです。
この曲は2日前に思いついて一気に作りました。とてもシンプルなスローアコースティック。
弓弾きを重ね、編成は
vocal
gut guitar
double bass (piz / arco / body tap)
これだけです。
夏がセミのように短く鳴き、秋は確かにやってきた。
ジャケットについて
自分の姿は、昨年の11月4日、横浜若葉町 WHARF
あなんじゅぱす の幻灯演奏会「夜の江ノ電」での演奏風景です。
当日の幻灯投影の合間に撮ってくださった田中流さんの写真を、使わせていただきました。
たまたまなのですが、田村隆一さんの「満月」という詩を演奏しているところです。
右側の沢山ある丸い光は、路上で何かを撮ろうとしたとき、焦点合わずに写っていたもの。
場所は上海、大橋トリオのアジアツアーの打ち上げ後か。2017年、何故かこれも11月4日でした。
全体にかかっているのは、砂浜。これは昨年の8月21日で、なんで海に行ったんだろう。
石ころや足跡が何か語っているようで、何かに使いたいと思っていました。
先日から読み直して(27年ぶりに)いる本 “Musicians in Tune” 「素顔のミュージシャン」であるが
大変なボリュームがあるので少しずつしか進めない。
とてもいいことが沢山記されている。ミュージシャンを志す人ばかりではなく
続けている人、途中でやめた人、リスナーとして楽しむ人、初心に帰りたい人
いろんな人に、それぞれの刺激があると思う。やはりお薦めです。
先日書いた Genesis の “Land of Confusion” についても、Mike Rutherford の作詞観がしっかりインタビューされてあった。
やはり、昔読んだときはいろいろ、理解を超えていた事が多い。当時は歌詞についても理解が浅はかだったが、無論人生としても経験が殆どなく、ただ「(音楽による)ピーク体験って、すげぇな、なんとなく、わかる気がする」みたいなところだった。
やはり Keith Richards の名セリフが随所に光っている。Anthony Kiedis もいい事いっぱい言ってるね。
実際に社会的、政治的影響力も持っていたロックスター達が、どう権力や社会的影響を捉えていたか。という参考にもなる。
僕自身の曲であるが、今朝起きたら曲が浮かんでいたので、しかと捉えることができた。
満月のうただ。九月の。
歌詞も一気に書き上げて、楽器と唄全部録音してしまった。人生最速。
ミックス、マスターがどこまでできるかわからないが、これを「るいをよもう」のかわりに9/2にリリースしたい、と思っている。
ジャケットをどうするかという問題はあるが。
まぁなんとかなるっしょ。
ダイアリーであるからして、近頃は割と欠かさずタイプしている。
が、けして暇こいているわけではない。人とは会わないが毎日忙しく、落ち着ける時間は貴重だ。
フリートウッド・マックをしばらく聴いたところで – といっても、初期の最重要人物ピーター・グリーンを飛ばしているから、モグリといえばモグリなのだが – 改めてジェニー・ボイドの「素顔のミュージシャン」を読み進める。
いやぁ…
これはきくわ。グサグサくる。素晴らしい、と共に、何度も死刑宣告されてる気になる。
彼ら、彼女らがどうしてミュージシャンに「なったか」、あの曲を「創作できたか」が、いろいろな過程を含め、レコードを聴くだけではわからないレベルで、綴られる。それって、凄いことなんだが、
すべては – 将来が見えていた – ということのかたまり、なので。
間違いなく、素晴らしいんだけどね。
やっぱり、今の自分が読むにはきついものがある。「将来」なんて概念、あまりないもんな。
やり残しはいかん、と必死なだけで。どんな自分でありたい、というイメトレは、小さい頃から散々してきたし、ある程度は実現したようだけれども、今、それだけじゃ根本的なところは叶わない、ということを思い知っているわけで。
近道なんてもともと存在しない。何度も後戻りし、納得したところでしか進めない。
子役俳優からドラムに転向したフィル・コリンズ。幼い頃から町の社会で「画家」扱いされていながら、敢えてソングライターになるためにギターを取ったジョニ・ミッチェル。祖父も叔父も偉大な映画音楽・劇伴作家であり、いくらピアノが上手くても当然としか扱われなかったランディ・ニューマン。テキサスではフットボールに馴染めず吹奏楽、ドラムに道を見出し、やがて叩きながら歌う術を見出したドン・ヘンリー。ドロップアウトしドラムのカタログを見ながらひたすらドラマーになる事を信じ、習うのではなく、バンドマンとして叩き続けたミック・フリートウッド。
道は違えど確かな裏付けを重ねてきた先達の話が、幾多の「いい話」と共に、己にスパイクで蹴りを入れる。
たぶん、人生舐めてたんだと思う。自分は。今頃気づいたか。
コロナ禍を差っ引いても、やっぱなめてたな。
とても歯が立たない、幻想の未来。
だが。
ほっといても、きてしまうんだよ。それは。
まだこないものは、やがてくる。誰にも等しく、来てしまうのだ。
そう思うと、いくら串刺しにされても、どんぶらこ、どんぶらこ、
時間の海を流れていく、漂流の吾輩である。
ガラパゴスや neptune だって、アトランティス、のこされ島だって、その先は開けてると思うからな。
一体どういうことなんだか、わからないけど、
根拠のない時間軸を、不思議な自信と共に流れていく、午前2時14分。
flexlife の YouTube ライヴを観る。リアルタイム見逃してしまったから後からでも観れるのはありがたい。
(埋め込もうと思ったけどできなかったので、ごめんね)
行ったこともある部屋から配信されているのを観るのは面白い。本棚があって NPR の Tiny Desk Concert みたいなのだ。今回は別の画角だったが。
彼ら、画になる。さすがというか、画作りも映りも、もともと才能ある人たちなんよね
そこが他のミュージシャンと違うというか、おいらとも。
彼らとは春にミニツアーする予定だったし、
それが飛んだ後はリモートライヴ配信も計画していた。
思ったより技術的なハードルが高く、僕も部屋に引きこもって頭がパンパンになってたので
すぐに諦めてしまったのだが。
(他にもいくつか計画していた。できたのは、バラ録りの大橋トリオの「エメラルド」だけだ)
そして宅録だけに絞った僕とは違って、世界は着実に進化していて、
彼らはいつのまにか、本来の才能を発揮し出した。
さすがやねー。
別に褒め殺してるわけじゃなくて、なんか、なんでも出せばいいわけじゃなくて
自然体で、大倉さんがはみ出しちゃってるとこもあっても、細かい仕草とか声色とか
やっぱ役者さんだなというのが。
翻って自分なのですが、8月以降もなかなか人前に出る気になれません。
もともと、目立ちたがり屋と隠れたがり屋が同居していて
それを自分でもよくわからない回路で切り替えてるんですが
しばらく後者が優っているようで。
とはいえ、人にコントロールされるのは大の苦手なので、なんとか自分で会得したい。
ライヴステージは、そういう両面にとって、いい経験になっていたなと振り返りつつ、
うーん、今年は明らかに、違うモードだ。
Stevie Nicks, 声が好きでソロを聴いているのだけど、ピンとこない。
やっぱ Fleetwood Mac の、抑制の効いた音の中で、はみ出し気味のあの声で歌ってるのがいいのか、でも3人 vo のバンドでは彼女のリード曲が少ないので、もうちょっと他の音の中での彼女も聴きたい。Tom Petty とのあれはいいのだが。
Buckingham Nicks のスタジオアルバムは公式には配信されてなくて、YouTube で探すとやはり別格にいい。
というか、素晴らしいな。バンドサウンド、音含めて。
“Crystal” は、Christine McVie のシンセが効いた Fleetwood Mac バージョンもいいけれども、こちらもいい。
あんだけオーケストレーション豊かで繊細なギター弾けて激しく歌えるパートナーいれば、怖いものなしだよな。
Lindsey Buckingham, あんたには一生勝てねぇや。
というところで、興味は Buckingham / Nicks 加入以前、Bob Welch 在籍時代の1971年盤に向かっている。”Future Games”.
あの年代となると、アイデアが多少わからなくても質感だけで好きになったりするから、不思議だ。
昔買ったジェニー・ボイドの「素顔のミュージシャン」をふと読み返す。
とても影響を受けた本で、初版頑張って読んだのだが、今回は前書きを読みずっしりとしている。本編にはまだ入れない。
ジェニーさんというのは、ケニアで幼少時代を過ごし、60年代に活躍した美貌のイギリス人モデルであり、ロック界きってのドラマー達の奥さんでもあり、早くからインドの瞑想に傾倒した人であり…
ドノヴァンの「Jennifer Juniper」で唄われたひとであり。ジョージ・ハリソンとエリック・クラプトンが奪い合った「レイラ」= パティ・ボイドの妹でもある。
それはさておき、音楽家が何にインスピレーションを受けて創作を行なっているか、どんな葛藤があるか、などを75人のミュージシャンにインタビューしたレポートで、彼女が心理学者を志したときの大学の論文として作成されたものだ。そのためか、話があっちゃこっちゃに飛んで、といった感はあるが。
昔はなんだか、それを読んで盛り上がっていて、親しい人にもよく薦めていた気がする。
とはいえその人たちから感想をもらった記憶はなく、たぶん誰も読んでいないのだろう。
最近、久しぶりに Fleetwood Mac の70年代の曲を聴いていて(有名どころばかりだが)、なんでスティービー・ニックスの唄はこんなに素敵なんだろなとか、リンジー・バッキンガムって、いけすかないぽいっけど、案外哀愁があるのかな、とか、どう考えても哀愁やんけとか、フリートウッド・マックってドラマーとベーシストの両名ユニットだからフロントはなんだっていいんだな、とか。
その背景を知りたいと思うとジェニーの存在が出てきたわけ。すっかり忘れていた。
いつか僕もこんな本を書きたいなぁ、とか思っていたっけ。しかし僕にはそこまで沢山の音楽仲間がいるわけではなく、そもそもあまり人とつるまない。結局自分とごく数人の周りの人のレポートになるか、半フィクションの小冊子になる気がする。
また、ホラを吹きました。
昨夜は曲のリリース日にもかかわらず
関係ないようなことを綴ったので
(いや、関係あるのだが)
少し Aero の解説を。
まず、かつての Adbaloo の zero と、この Aero は、ベースラインは同じだがその他はすべて、似ても似つきません。Yuka のボーカルは代えがたいものだし、僕には絶対あんな唄は無理なので、違う方向を行きました。歌詞も、Yuka はもっとシンプル、ポジティブな人。
このジャケットは、あたりを自転車で回りながら、気になった壁や設備? を撮ってレイヤーしたものです。丸くて透明で、汚れていて、暑さに凍りそうで…っていう。
ジャケを作るまでは、打ち込みのドラム全開だったのだけど、なにかイメージが違うなと思って、ブラシで叩いたスネアトラックに差し替え、マシンは単純なショットだけにしました。ハットとキックは自分の叩いた音の配置です。
僕はハイハットが好きすぎるので、今回は単調に、おとなしく。
ほんとは…イントロに加えようと思っていた音があって、
それはあえなく失敗しました。その顛末。
夕暮れに川辺を自転車で走っていると、ものっすごいグルーヴで鳴いている一羽のセミがいた。
めちゃファンキー。ダンサブル。おまえセミDJアゲ太郎かよ。いや、蝉丸か。
これを録ろうか、走り抜けようか。
…
走り抜けてしまった僕は、その後ずいぶん走って、他のセミの群れが、だんだん明け方のクラブの閉店のごとく鳴き止むのを聴きながら、あのセミ太郎が忘れられず、引き返す。
ずいぶん走って、同じ場所。セミ太郎はいた。疲れたのか飽きたのか、だいぶBPMが上がっていたがまだ鳴いていた。
あとでタイムストレッチかけようかと思いながら、iPhone のレコーダーを回す。
その瞬間、物凄い音で鳴り出した、人工音があった。
…√√√√√√√√√√√√√√√√√√…電動ノコギリだ。
おっちゃんが二人、間際で大工仕事を始めたのだ。全く気配もなかったのに、なんで今。
…√√√√√√√√√√√√√√√√√√…………………….
ノコギリが止み、セミも鳴き止んだ。
…
僕の人生は、だいたいこんなことばっかりだ。タイミング外すのは、絶妙なんだよな。
蝉丸あなたはどう思うか。あふ坂の関で幾多の人の行き来を見た盲目の法師。耳という目。
僕も、昔は原付で毎日超えていたんですよ。
歌詞については、解釈みなさんに委ねます。虚無かもしれないし希望かもしれない。
ただひとつ、「砂の浜辺にお帰り」というのは、何か、「砂」って、人間がじたばたと作り出してる文明とかを嘲笑う、物事の根元かもしれないな、と思って。
猫が砂をトイレにするのも、なにか哲学じゃないかなと。
Aero / stillbeat
8.19 release
moon x moon #16
日付変更に間に合うか、またこの日に間に合うか、わからないのですが、今年16曲目のリリースです。* 間に合いました。Apple Music
先日も記したように、これはかつてのバンド Adbaloo で “zero” としてやっていた曲のセルフリメイク。
歌詞とメロディのニュアンスは、vocal の Yuka に委ねていたので、今回はもともとのメロディと、この8月に書いた詞で作ってみました。
渋谷界隈のストリートやクラブでもよくやってたので、もしかしたら覚えている人もいるかもしれません。いないかな。Adbaloo は3作配信してますが、これが入った 2nd “coloured circle” と 1st は未だ。いつか、そのバージョンもリリースできれば、と、微かに思っています。
昨日からいろいろ書いていたら投稿できなくなってしまった。
きれいな下弦の月出てますので - それって昨夜?
次回配信の予告。
zero
昔バンドでやっていた曲。ライヴでもストリートでもいっぱいやりました。
知ってる人いるのだろうか…?
他の二人も登場しないセルフバージョンってことで、もともと曲を作った時のメロディと、最近書いた詞にて。
8.19 予定
8.18 追記
その後、一旦完成したトラックを分解し、タイトルを変えてドラムパートを新たに録りました。
なぜなら Z は A である。
8.19 リリース予定。とはいえ、今ごろ納品したので、流石に零時には間に合わないかもしれません。
アップロードから6時間強でリリースできたら、Apple Music すごいと思います。
– きっちり、0時きっかりにリリースされてました。だが今回、歌詞はなぜか reject されて、まだアップできていません。