カテゴリー: hikari
はじまり
静かに、あっというまに元日が過ぎました。
穏やかな日でよかった。
また海にいきました。ちょうど日が丸い姿を表したとき、たくさんの鳥の群れが海を横切っていった。
災害のない、あっても助け合える一年を。
戦争のない一年を。
健康を。
願います。
みなさんにとっても、よい一年になりますように。
introduction
zíː éf
先月カメラを買いました。
Nikon の Zf
フルサイズのミラーレス
レトロルックで中身は現代
銀河鉄道999 みたいな機械です。
1年近くいろいろなカメラを借り
Lumix の S5IIx や Olympus の OM-1 と相当迷ったけど
ファインダーを覗いたときの世界に惹かれました。
ルックス最高、質感は妥協
でも芸術を感じるし
威圧感がないからどこでも素で持ち運べそうかな
っていうのが大きかった。
買ってみてどうかというと
40mm の単焦点レンズがまだ使いこなせない。
自分がいつもイメージしてる画角はもう少し広いようで
いつも数歩 あとずさりを余儀なくされる。
操作性も、承知の上とはいえ。
レバーとボタンとダイヤルとタッチパネルを駆使しながら
あれ、そうなん? みたいなことが多々。
以前と変わらず、シャッターチャンスいつも逃してます。
ま、そんなんですがどうぞよろしく。
アフロアルバ
2024.8.21 release
アフロアルバ / Ray Kondo
アコースティックベースの弾き語りをコアに
鉄琴やカリンバやトライアングルや…でこしらえた曲。
短いことばでつづった、どのようにもとれる、ひらがなの歌詞です。
近い人にも遠い人にも、届くといいな。
アートワークは前回に続いて nakaban さんの画です。
恐竜のような、錨のような…これはなんでしょう。
この曲のイメージは色々あるんですが
その一つは
UFO が砂浜に不時着して、
人類が送った宇宙船もついに見知らぬ星に不時着し、
互いに近づいたら
音を奏で出した
…とかね。
初心
ふるえること とめること
morning dew
今回からディストリビュートに入ってもらった FRIENDSHIP. さんのおかげで、今までとはダンチに広い人々に聴いてもらえている。
嬉しい事です。Ray Kondo を聴いてくれる人はレアメタルだ、というのは、変わらないんですが。
ともかく、今までよくやってきたように、リリース前日にまだ録音してたり、近所に何かを撮りに行ったり、というペース配分ではできないことが、インディーの世界にもたくさんあるのだ。
今年後半もがんばっていこう。
この曲自体を作ったのは結構前で、それだけに自分の中で歌の内容はかなり熟成されている。
抽象的なうただが、いく通りかの解釈をしている。おそらく聴いた方は、また別の解釈をされると思うし、そう願う。
そのうちのひとつを、こちらに 書きました。
こう暑くては曲の解釈もどうも、ムズカシイんじゃないか、やっぱリリースの季節を間違えたんじゃないか、と余計な心配をしてしまう。けど。
peace.
七夕
梅雨のはずなのに猛暑続き。
この日は外食したのでぐっすり寝ようと思ったけど、日付が変わる前に廊下に出るとなんとか三角形が見えたので、撮ることにした。
七夕でじっくり空を見上げたのはいつ以来だろう。小さい頃、いつか天体望遠鏡を見るんだ、反射鏡がいいな、なんて妄想していたのは一瞬。
他に興味が移り、部活で忙しくなり、それから急速に視力が落ちた。
僕は視覚的な人間だ、と思っていたのはそれまで。以降は聴覚的な人間だ、と思うことにした。
この辺りはまたの機会に書く。
この時間だと織姫星ヴェガはほぼ真上で、首が痛い。だが眼鏡をかけると結構見えるので驚く。
近くの駐車場までいって、借りてるカメラを向ける。S5。
フルサイズのセンサーのおかげか、良く撮れる。
シャッター半押ししてるといつのまにか星空 AF に切り替わるので、簡単にフォーカスが合ってくれる。(ちょっとのんびりしてるが)
シャッタースピードは2.5秒。この間にも、確実に星は動いてる。人工衛星みたいなのも左上に写ってるね。
ISO感度は6400。結構高めだが、そんなにノイズは気にならない。
街中でこれだから、光害の少ないところならめっちゃ綺麗に撮れるだろう。
だがこの夜の暑さ…出かける気力はないし、虫に食われまくるのも望まぬところ。
真ん中のあたりが明るいのは、天の川なのだけど、周辺減光のせいかもしれない。
もっとパッと見で「星空!」ってわかるように、1等星を強調したり、天の川をブワッと写すこともできるらしい。
でも今年はこんなところで。
そういう技を身につけるのは、後の楽しみにしておきます。
裸眼で見えないものでも、道具を使えば見れる、というのは
これはこれで、とても楽しいものです。
マイクで録れば音も違って聴こえるし、ね。
green
書きたいことが沢山あって追いつかない。
数年前は毎日日記を書いていた気がするが、今の方がよほど健康だ。
緑を観に行く。いくら体内時計の遅い自分でも、今が雪の季節でないことぐらいは認識している。桜が過ぎたのはまだわかっていないようだが、それにとどめを刺す。
かねてから、写真を見て気になっていた「みどりのパッサージュ」に行く。
旧門谷小学校の校庭で行われる、マルシェ的イベントだ。この時期は “Cabane de Souq” という10日間のイベントが開催されているらしい。
新城市、いわゆる古戦場の「長篠」地域である。「のぼりまつり」なるものがあるらしく、街道にはひたすら、誰方かわからない「のぼり」が並ぶ。
何百何千もの兵が刃物と鉄砲で殺し合った古戦場に、あまり感慨はない。愚かさに戦慄するばかりだ。自分のために部下に殺し合いをさせたのは、歴史に名を残した「偉人」たち。だから世間でいう「偉い人」にはなりたいと思わない。
どんなプロパガンダで人を騙したのか。どのように騙されたか。そしてそれは歴史でどう美化されているか。誰がどのようにその流れに乗ったのか。それが現在にも直結している。
感心はしないけど、それは人の本性でもある。現在はメガソーラーの誘致に揺れているそうだ。
よく似たことが隣でも起こっている。リニア、原発。失言と報道。流れていく人のスイッチ。
Souq の会場ではそんなことをすべて忘れることができる。まぶしい緑。あまりに平和な光景。
小川のせせらぎを超えて校門に入る。こんな素敵な学校が、なぜ廃校なのだろう。
-もちろん、住民が少ないから、なのだが-
人が少ないから、いいこと、人が集まるから、いいこと。
猫 あるいは ぞーきんがけ の目線
案ずるより有無が
あまり楽器を触っていない。
というのは嘘になるが、Mac を触るときは楽器とは別モードか、集中してないわけで。
譜面書くのもデータ組むのも、それ自体嫌いではなくむしろ楽しいけれど、
演奏や、本当の意味で音楽してるときはやはり全然別の生物だ。人間というやつは。
そこの境界を行ったり来たりするのが、たぶん人生とかいうやつなのだろう。
めんどくさい。だがそれは常。
案ずるより産むが易し、という言葉を
久々に感じる日。ベース持ってアイデア試しながら、思いついたこと口にしてくと、
列車が走り出して線路が敷かれていく。
右にいったり左にうねったりする。目的地はわからない。楽しそうな結末だけしか。
でもそれでいい。一日に何時間もそんなときはない。途中であってもそれは消えてしまう。
断りも容赦もなく。
いろいろな覚え書きツールと使いながら、それより大事な身体や耳や脳みその感覚を
少し信じながら
今日を終え、明日に向かう。