タイムキープ

5月末に出した、今のところ最新作の「シナモンニッキロール
聴いてお気づきかどうか、この曲はテンポが一定してません。

イントロや間奏、二番、展開、最後、など、早ぉなったり遅ぉなったり
してまんねん。

DAW で作られてる今の音楽はほとんど BPM が一定なのだけど、本来コンピューターってもっと色々なことができる。

僕の好きだった音楽も、たいがいテンポは走ったりもたったり、時にはイントロからAメロで既に全然違ったりしてたし。

そんなわけで、今回はあえて、テンポをコロコロ変えてみたのでした。

じゃぁ一定がダメなのかというと、そんなこともないと思う。一定のクリックには安定性とか、アレンジや差し替えの簡単さとかの他に
○●とか×△とか理由が…

あるんだよ、ね?

そのへんは、みんながこれからも考えていくところかもしれないっね。

モロコとサソリ

もう一個、詩がある。

先の未タイトルより前に作った。曲もあるしタイトルもある。
『フリーフォール』
どっちが先に形になるか。こちらはとてもシンプルだ。パワーコードだ。

週末はいくつか録音を試み、[無題曲] のベースも録ることができた。

月曜は曲の事は忘れ、少しだけ時間をみつけて鍵盤の練習。全然弾けないが得るものはある。それってなんだ?
自分にとって大事なものなのだと思う。ゴスペル。リズムも波動もハーモニーも、そしてテクニックも、黒人音楽はあまりに素晴らしい。
かつて身体と耳で覚えたフィール、忘れる前に頭と手を動かせ。


前回の詩はまだ題の見当がつかない。困った、これではリリースも、ページすら作れない。

少しだけ内容に触れる。

「蠍」が登場するが、それは僕が蠍座生まれということ、だけではなく、
ひとつにはこの昔の日記の内容を思い出したから、である。(たぶん)

汚すことのできない次元

なお、最後一節は、あれから書き換えた。またそれは、曲完成の時点で発表しようと思う。

声と板チョコ

こないだ掲載した詩は、音楽から先に作ったものだ。

たしか、副都心線のホームで思いついてボイスメモした。
リフらしきものと、Bパートでベースとトランペットのメロディの流れ。
それをブーブープープー、スマホに向かって吹き込んでた俺は
さぞ怪しかったか、そうでもなかったか。

モチーフはキャッチーだと思ったが、しばらく寝かせておき、
今回曲にするにあたり、肝心のBパートをバッサリなくした。

それはまた別の曲になるだろうし、今回トランペットは入らない。
明治神宮の森をなくすよりは、いいだろう。

代わりにもっといいパートと展開ができた。

そう、曲の完成形がほぼ見えて、詞が思いつく気もしないなぁと思った
翌日から書いたのが、あれである。

まだタイトルは決まらない。

六月の詩

新月に。

タイトル未定


どんな理由で まわり出す
指さきから 衣まで
うたうたいに そそのかされ
眠る前の ざわめき

泣きはらした 蠍をなだめて
夜の刺を ほどく

霧の向こうに うかびあがる
越えられぬ 滝
風を我がものに したいかい
それなら 夢をみよう

朝日が 大きな
あくびで 見届ける
たったひとことで トロけた
あたりまえの 自由

最後まで 味方になってくれる
その瞳を 信じてみよ

くらがりも まぶしさも
きみは みてる
広がる空は だれのもの
翼で 問いかける

心は底が 抜けても
うかび あがる
明日は理由が みえなく
なっても やって来る


Word & Music: Ray

June 8-10, 2021

後日リリース
その前に題名決めなきゃね。


6.17
タイトルようやく決めました。

Trojan Wheel

オットセイ

前回日記など見てるとさぞ、のほほんと暮らしてるかの。如きであるが。

世の中の動きはますます怪しく、報道の統制ぶりに軽く眩暈することしばしである。

戦前から80年経ったからって、戻っていいわけないだろ。あの道に。

拉麺珈琲

お昼にラーメンとコーヒー

は合わんよな、と

コーヒーサーバーをしまっておいたら

思わぬ形でサーバーを使うことになった

拉麺スープを救出するために

その後コーヒーを再び淹れることになり

よほど気合を入れてよく洗ったけれども

あれはひょっとするとラーメンコーヒーだったかもしれない

まぁ気にするな

ただの日記だ

こちら日曜カーペンター

先週末は日曜大工

今週末はその成果をようやく使えるかというところ

机の下のキーボードフック。
スライダーなんていいものじゃなく、単純にひっかけてるだけで、早速一度落下してる。
それでもとても有難い。やっとフルサイズの49鍵が膝の上に来て、いつまでも鍵盤楽器を弾けない言い訳がなくなった。

もう一つ日曜大工は

虫除けの網を扉につけること

マジックテープとマグネットを使ったもので、意外と簡単にできてよかった。

中国製品のアイデアに既に日本は追いつけてないというか、もうかなり引き離されているのでは?
変な翻訳日本語を読みながらもそう思う。自動翻訳でどんどん回っていく世界。

—-

そんな中 大昔のファイルが今の Mac では読めなくなっているという現象に出くわす
恐らく OS (Catalina) の仕様変更だろう。
救出に古い OS (El Capitan) の MBP 含めて、4台で文字通り四苦八苦する。

頼みの古い MBP はアダプターを繋ぐと熱暴走して使い物にならない。
バッテリーの不具合らしいが、逆にバッテリーで使うしかない。トラックパッドも反応しない。
またバッテリーが膨張してきたかもしれないが、こいつはもう何回もバッテリー交換したからな。
よく頑張ってくれた。最後の仕事だ。

1994年から果てしなく続くファイルを復旧していく。

数えきれない曲のデータ…殆どはモチーフやグルーヴの断片だけど
そろそろこれらも整理しなければ。中には意外としっかり作ってるのもあったりする。

確定申告かよってぐらい大変な作業。ぜんぜん週末じゃない。

—–

コンピューター触っていると本当に縮こまってしまうので、
ときおりそんなことは忘れて、身体で楽器に触ったり歌う時間を持つようにしている。

音楽やる人としては当たり前のことなのだが、

2021年現在、これは何の競争でもなく、自分のために、だ。それが一番、大事な向上心だと漸く気づいている。

皆さんの前で何も披露できないのが、残念だ。
だが。だからこそなのだ。


これはいうまでも無く、金土日曜をひっくるめて「日曜」とした日記。

自分もこれから、金藤日曜の化身ということにしよう。
内省的なきんどーちゃん。そんなんいるのか。

鴨川つばめ先生にいつか一目。

きづけばろくがつ

月をまたぐ。

嘘のような快晴の June

日没に間に合わず人のいない海へ

世の中のツールの進化に少しついていこうとするが
たくさんはできない

そんなことはこの水や砂は気にしていないようだ。

先月は新しいのも古いのもたくさん曲をこしらえた。

足りないことばかりだが、どうせ過ぎていく時間だ。
繰り返せることは繰り返したい。というか音楽は繰り返すことだ。

それがテープなのか絵巻なのか、フットスイッチかループボタンなのかの違いは
たいしたことではないだろう。

少しだけ、先日の新曲について記す。

シナモンニッキロール、このタイトルがとても気に入っている。
ニッキの英訳を調べても Cinnamon としか出てこない。だがシナモンは木の幹から、ニッキは根からという明らかな違いがある。

ニッキといえば生八ツ橋で、僕も昔はよく食べたものだ。
未だに、老舗同士で訴訟が続いているとは戦慄に値する。

どこが元祖でも都でもいいじゃないか、と僕は思う。住めばそこは都だ。

東京である必要なんてとっくにない。大津だって紫香楽だって、かつては京だった。

負け戦とわかってても認められない大人たち。僕もそうだろう。

泥を目指してドローに持ち込もうとするボブ・ドロー。
若くして脚光を浴び、長年姿を消すも、すてきな爺さん音楽家として復活した、憧れの人。
一度だけ真前の席でライヴを観れたあの時間。

ロックのピアノといえばあの人。ニッキー・ホプキンス。
全然追ってこなかったけど、大好きなあの曲もあの曲も彼が弾いていた。

少しは見習おうと、最近は彼の曲のイントロのアルペジオを練習している。
ああはなれないけど、ね。

いかん、脱線というか、本線が尽きない。

あの曲は、駄洒落の箱です。決して不届きなものではありません。
たぶんね。

五月

五月は緑色。なぜなら五月人形の敷布は緑だったから。
柏餅も緑だからだ。たぶんもっと重要な意味があるのだろう。

今月も飛ぶように過ぎ去ってしまった。
前半特に、書きたいことを色々綴ったが、
綴る綴らぬに限らず、自分がやるべきことがあると感じ
没頭した時でもあった。

という意味では、いい時間だった。

まだ上げていない途中の日記をどうするかも考えているが

…ここで寝落ちし、6月になってしまった。

(上の写真は、例の最新シングルのジャケ下描きである)

改めてシナモンニッキロール

もうすぐリリースします。
しました。

今回は楽しいぞよ。

ピアノを弾いてみました。

4ヶ月ぶりにダブルベースを弾きました。

詩は こちら から、お先にどうぞ。

曲は bandcamp にて。

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