遠出。
とても空いている高速。本当に GW か?
山の上のカフェにも行きたいがそうは時間が許さず。
だがあっという間に目的地に着く。
2年半ぶり…
記憶がシャッフル。
そしてあっという間もなく帰路。
PA ではなにやら天体観測に行列。月見だろうか。
惑星だろうか。
遠出。
とても空いている高速。本当に GW か?
山の上のカフェにも行きたいがそうは時間が許さず。
だがあっという間に目的地に着く。
2年半ぶり…
記憶がシャッフル。
そしてあっという間もなく帰路。
PA ではなにやら天体観測に行列。月見だろうか。
惑星だろうか。
ある店の駐車場には車がいっぱいで
周囲にも停められるところはないので
数ブロック離れたところに停める。
そこに行くまでに一通や右折禁止に何度かぶつかり
車を停め、徒歩で結構疲れて店に着いた頃には
ちょうど駐車場に空きが一つできていた。
今戻ったらええやんかという瞬間、次の車が入ってきた。
そして
ようするに
いつもの調子だ。
子供の頃の教則本を引っ張り出すと、真面目にやってなかった証か、シールが貼ってあって、
それはライオンの顔であって、周囲に字が書いてあって、それは「アフリカンサファリ」という。
昔訪れた、大分県の動物園だ。車窓からこちらを覗くライオン。あれは怖いものだった。
そして別府温泉。血の池地獄。忘れえぬ旅。
旅演奏家になって何度か九州に行くことができたが、
大分はまだ、そして宮崎、佐賀は知人に薦められつつも未踏である…
少し思い出す九州。
最近は福岡の楽器屋さんにお世話になったりしている。
そして、福岡の超人からふと連絡をもらう。
https://www.youtube.com/watch?v=xqbdfH2lVCw&feature=youtu.be
この人の真似はとうてい出来ない。
生き方、やり方、進め方。
真逆だけど、こういう人には励まされる。
Synchronicity ってなんだろう
思わぬところから、久しぶりにこの言葉。
僕もこれについてはライフワーク的に考えているのだけど
共鳴
意味ある偶然
虫のしらせ
同時多発
どれもいいけど、自分にとってはなんだろな。
誰かが羽をひろげる。こんな世も。
そして羽音を。聴けるかもしれない。
その場で考えた音を録っていく。
あるいは、考えもしない音を、瞬間的に録っていく。
そういうこともよくしてきた。または、そんな音を後から聴き返し、覚え込ませることも。
最近は違うことをやっている。考え、書き、録り、聴き、また考えて書く。
これがとても建設的だったり、無駄だったり、理にかなっていたり、面白くなかったりする。
書いて形にすると、それ自体が一人歩きする。間違いや変えたいところが出ると、そっちに気を取られて弾くのを忘れたりする。
それは本末転倒でもある。ちょうど、試験前に勉強よりも部屋の整理に夢中になるように。
全部無駄、というわけではないのだけどね。
ガイドトラックとは面白いものだ。ガイドにもなるし、全くガイドにならなかったりもする。
そう、面白くないものに面白さをみつければ、たいがいのことはなんとかなる。
ある意味、それで幸せに生きていける。
だがふと我にかえったとき、それがいいのかどうかは別の話。
ガイドは光か、それとも影か。
世界一の大富豪が所有する Twitter かぁ…
金と力のあるものがすべてを掌握する世界。
それがみんなの求めているものなのでしょうか。
「自由」は、快適な飼育環境、というだけのことか。
再びあまりテレビを観なくなったのですが
ちょっと前に良く観ていた番組も、無論手放し称賛ではなく
いろいろな見方ができるな、と思っていたからこその興味でした。
たとえば「カムカム・エブリバディ」は
どこまでいっても米国上位なんですよね。
戦争、ラジオ英語講座、運命のアメリカ人男性、ジャズの本場、ロックフェラー、ハリウッド、ベースボール。
“how much?”
「はっぴゃく」
というやりとりが、面白かったけれども。
そして、ほぼ完璧に回収された数々の伏線、すべてを知ってるのはウィリアムっぽいし。
まぁ僕的に一番心残りなのは「ガラスの仮面」がどうなったか…
これはメタフィクションもかなわない、現実ですね。
それから DCU にしても…あれはちょっと脚本が大雑把だった気はするものの楽しんだのですが
ロシアを仮想的にするあたりは、タイミングなのか何か、意図も感じました。
今日も不思議な場所でヘリを見る。何の訓練?
ベルリンの壁崩壊以降の世界。それが逆戻りするとは思ってもみなかった。
無力を感じると共に、YouTube でドイツ人やロシア人、いろいろな音楽家の映像を観る。
それぞれ素晴らしい。人間の大きな力。音楽の力。
しかし音楽と戦争はけして無関係ではなかった。力と、無力。
YouTube だってあまり観たくはない。冒頭に綴ったのと同じ理由。情報と勉強と娯楽を与えられ、池で泳がされ、飼われている。
かつての3s政策からあまり違いはないようだ。
トルーマンがゲイツになり、ジョブスになり、マスクになる。あるいは、「お互い」に。
この流れの中で、賢くなりたいか、成長したいか、楽しみたいか、それとも。
一体どうなんだろう。ときどきそういうものが本当にどうでもよくなる。それが正常だとも思う。
でも、ときおり、こんなことを考えて、シャッフルしているのです。
新月だった一日は
色々話し合い。
手首の使い方を見直す。
楽器を本腰入れて探求することに。
グロッケンをある形に – 別途おしらせを。
そんなはじまりです。
週末になるとこのサイトも賑やかになって
といっても SNS とは違い、ただ訪問してくださる人や
あるいはロボット巡回が増えるというだけなのですが
それでも、何かしなきゃという気にさせてくれます。
それっていいことの一つでもある。
今年は見ての通り、全く表の音楽活動はしていません。
裏では今までになくやっているのだけど、それはまだ書いても仕方ないこと。
その代わり、新聞記者を見倣って、毎日日記を付けています。
いつまで続くかはわかりませんが、とにかく年の三分の一に到達しました。
それから酒をやめて七ヶ月。案外続くものです。
とにかく IPA ビールがないとやっていけなかったのが
朝のコスタリカ・コーヒーが何よりの楽しみになりました。
相変わらずインドアだけど、気分だけはマリン・サウナです。
* いや、八ヶ月でした。
一向にかたちにならない
ものを
それでもある形にする。
そこからだ。
まだまだ遠い 近くて遠いわけだ
水のように
メモをすれば安心、ということがある。
いくらメモをしても、実行しない、ということもある。
iPhone の Reminder の使い勝手の不思議さ(悪さ)に参りながらも
今も時々、頑張ってメモを打ち込んだりする。
…その直後にメモが消えたり、指定した時間が変わったりするので
ほんま、Apple のアプリって永遠にテキトーだなーと思うのであるが…
最近、何度も to do に記録しては
実行を先延ばしにしていることに
『電池外す』
がある。
何の電池かといえば、当分出番のないアクティブのベースの内蔵バッテリーだ。
ライヴ、それもツアーやフェスの用途がない限り、アクティブのベースは使わない。
電池を抜いてもパッシブでいい音がするし、液漏れしたら大変なので、さっさと抜け、ってところだ。
ところがそれがどう億劫なのか、いくらメモしても忘れてしまう。
先日ようやく、五弦のを抜いたところだ。
もう一つ残っている。思い出のありすぎる四弦だ。
エピソードがありすぎて、ケースから出すのも億劫なのだ。
ここでこうやって綴っている間に、抜けるはずなんだがな。