情報ってなんだろう – 壱

まぁまぁ重い日記に続いて、

これからの事を書こう。

これから、といっても、前々から不思議だった事を、解き明かすための、備忘録みたいなものだ。
まだ、まとまってはいない。


今はデジタル全盛時だ。とはいっても「デジタル」なんて言葉に「80年代か?」と反応してしまう自分を省みるに、あれから40年経ってもテクノロジーってそんなに変わってない面もある。

’80sだって「情報化社会」とは言われていたわけで、それはたぶんその前からそうで、
おそらくWW2やWW1や、明治維新や、ぐっと遡って日本書記の頃や、ホメロスやハンムラビ法典や始皇帝の頃だって、そうだったのだろうと思う。本質的には。

情報がなにをするかといえば人を動かす。人は情報を動かすが、同時に動かされる。

波のような、電子のようなもの。生命体。

現代はネットと SNS、デジタルデバイスにより、個人と情報の動きが直接観察できるようになった。
監視社会、デジタルファシズムとも呼ばれているが、ここは一旦フラットに考える。

僕はこのことを嘆いているばかりではない。どう転んでもこの流れを逆行させることは難しいだろうし、危惧しているのは「信用に足らない権力がこれを独占しようとしている」ということなのだ。彼らが信用に足る行いをしてくれれば、状況はだいぶ変わる。

信用とはこれまた難しい概念だ…コンフィデンス。なんかのドラマじゃないが、この世はバカ試合、じゃなかった化かし合いでもある。
ジョーカーとは、意識を持った第一人称すべてなのだ。

それを踏まえた上で、たとえば「デジタルを操っている側」が、ちゃんとデジタルの本質を理解しているのか。

— そう書く僕自身、理解しようともがいているだけで、本質はまだ多くの人にとって不可解だと思う。
どんなパワーや頭脳を持っても、人間に理解できないことは、たくさんある筈だ。
たとえば原発に関しては、あの312で誰もコントロールできなかったわけだし、そのことが明らかになってからも、権力も人々も目をそらし続けた。
結果、今も何もコントロールできていないのだ。情報だって同じことが考えられる —


たとえば。

SNS ではよく炎上が起こる。

誰か、特定の相手を対象に、「これを攻撃しても良い」というトリガー、あるいはリリースが発せられると
次々に人々が、自発的に攻撃を開始する。当人たちは、程度の差は選ぶものの、それは「自発的」だと思っている。

かくいう僕自身にもそれに加担した覚えはある。

だが大きな目で見れば、それは自発的でもなんでもない。どんな情報を与えれば、人がどんな反応をするか、おそらくアルゴリズムで蓄積されている。これだけのビッグデータがあれば、精度はかなり高いだろう。

こんな蓄積はたとえば何に使われるか。

あえて、先ほどのように時間を一気に遡ろう。太古の時代、人々が戦争ばかりを行っていて、歴史書には「〇〇何万、▲▲何万が争った」とある。しかしどうして、それぞれの争いが成立したのか?

それは、群衆が互いに、戦争に参加したからに他ならない。
もともと何の恨みもなかった「何万もの」群衆同士が、なぜ武器を手にとって殺し合ったのか。それは憎しみや恐怖を植え付けられたからだ。あるいは、陶酔のストーリーを。

権力者はいつの時代も、「下」と見做す人々を情報で操り、プロパガンダ(この言葉が用いられたのは17世紀からだが、太古にも通用するだろう)で右を向かせ、左を向かせ、整列して対象を攻撃させる。

失敗したり怒りの対象が自分に向きそうなときは、巧みに目を逸らす。そのための術を、世界中の権力は、何千年にも渡って蓄積してきた。それが権力とメディアコントロールの本流だと思う。

SNS は色々と役に立つが、(一見)無償なのには理由がある。

タダより高いものはないのだ。


さて、上記を前程に、じゃぁどうなのか、人間は進歩しうるのか、ということで考えつつ、浮かんだ事をこれからの日記に記していきたい。

僕らは流し、流されるだけなのか、というところで止まっていては、21世紀を生きた満足感がない。

3月に作った曲 も、そういうテーマではあったのだが、まだ追求が足りぬし、これでは人に届く気もしないのだ。


とはいえ、もう日付が変わった。いかん、もうおじさんは寝なければ。

また思いついたら、記しますね。
おやすみなさいー ぐぅぐぐ

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