アーカイブ: 2021年8月

英国紳士とTシャツ

前回 に続いて、The Guardian の Charlie Watts 追悼記事。今回は、Bruce Springsteen and the E Street Band のドラマー、Max Weinberg からの後半部分です。

‘Not just a drummer – a genre’: Stewart Copeland and Max Weinberg on Charlie Watts
by Max Weinberg, as told to Ben Beaumont-Thomas

序文にあった ”- and his clothes-folding skills” ってどういうこと? と思ったら、全部あまりにいい話で、一気に読みました。以下、僕の訳です。


僕が子供の頃のニュージャージーでは、仕事を探すミュージシャン向けのチラシがあって、60年代半ばから70年代まではいつもこんな感じだったよ。「求む: Charlie Watts タイプのドラマー。」Charlie はただのドラマーじゃない – 彼はジャンルなんだ。僕が叩くすべてのビートには、どこかに Charlie Watts がいるんだよ。

彼が Rolling Stones でやったことの何が独特だったかといえば、それはロックンロールである一方で、実はブルースだったんだ。
僕は、Stones が長く続いた理由というのは、彼らが本質的にポップバンドでなく、ブルースバンドだったからだと思っている。ブルースは永遠に色あせない。
もちろん、様々な理由で彼らは世界最高峰のバンドだ。しかも彼らは、自ら世界最高のバンドだと言ってる。
だけど、ドラムという観点では、彼は誰とも比べられない唯一無二の存在だった。彼みたいな人はどこにもいなかったよ。彼の模倣者や彼への挑戦者はいる、だけど Charlie Watts はただ一人だし、今後も永遠にそうなんだ。
彼の身体はもうこの世にはないけど、彼はドラミングの魂として永遠に生き続ける。Charlie Watts がいない世界なんて、少なくとも僕の中では、およそ理解できないんだ。

彼はお気に入りのジャズドラマーの影響で彼のスタイルを形作った。たとえば偉大なイギリスのドラマー Phil Seamen、そしてアメリカのドラマー Dave Tough: 見た目まで Charlie に似た、お洒落にうるさく、途方もないグルーヴと音色を持った人だ。
Charlie は – 僕も同じだ – STAX の偉大な Al Jackson の後期のプレイで一般的になった、あのロックドラミングのスタイルの支持者だった。意図的にバックビートをタメて叩くっていうやつだよ。
そのやり方っていうのは – ちょっとテクニカルになるんだが – ビートの2拍と4拍に集中するってことじゃない、1拍と3拍が大事なんだ。
他のいい例は James Brown の音楽だよ。彼の音楽は1拍目に着地することに重きを置いている。それができるようになるには長い時間がかかるんだ。
そういうことができるドラマーは、バスを運転してるようなものだよ。そして最高のドラマーなら、他のミュージシャンに彼らが必要なものをあげられるんだ。
Charlie はそれを、本能的にやっていた。または、偉大なドラマーたちを聴き込んで、その術を習得したんだ。Chick Webb、Kenny Clarke、Kenny Clare、Art Blakey、Max Roach (といったジャズドラマー)をね。

彼にはトレードマークのドラムフィルがあった。Bruce Springsteen のアルバム “Born in the USA” のレコーディング中、僕は “Street Fighting Man” がずっと気になっていた。あのサウンド、強さ、ビートがね。それはどうやらツアー用のドラムセットか、箱みたいなモノを使って*、カセットレコーダーで録音されたっていう噂で、信じがたいほどヤバくてタフな音をしていたんだ。
Charlie は曲中で例のフィルをやったんだ。素早い、8分音符三つの「バッバッバッ」ってやつをね。Bruce が “Born in the USA” のグルーヴを僕らに伝えたとき、僕は “Street Fighting Man” を思い起こしたんだ。それで僕はあの曲で、Charlie Watts をやったってわけだよ。

“Rocks Off” も、また別の Charlie Watts のベストパフォーマンスだね。彼はフレーズの途中であのローリングのフィルをやるんだ。天才だよ、だけど彼はあらかじめフレーズを作ってたわけじゃない。彼はジャズドラマーだからね、瞬時に思いついたことを叩くんだ。彼は多くのインタビューで語ったように、いつも Charlie Parker や Miles Davis が彼の前に立っていることを想像しながら叩いていたんだよ。

僕たちは友情を築き上げた。彼はいつだって、あり得ないほど愛らしく、知的な人だった。初めて彼に会ったのは1979か1980年あたり、Stones が Madison Square Garden で数日間公演してたときだ。Modern Drummer のインタビューがあったので、友達について行ったんだよ。彼は3ピースの Savile Row の背広を着ていて、信じられないほどお洒落で、彼の手荷物を片付けられるように、僕らをホテルの彼の部屋に招いてくれた。彼は2つの美しいレザーのスーツケースをベッドに乗せて、それらを開けたんだ。すべてが完璧に折り畳まれていたよ。きっちりした化粧道具があった。僕がロードで旅するのと正反対だった。彼はスーツケースから服を出して、ベッドに置いて、畳み直し、引き出しに入れた。僕はホテルの部屋の引き出しなんて15年間のロードで一度も使ったことはなかった。僕がそれまで見た一番クールだったことの一つだよ。

そこで僕らはインタビューをし、ルームサービスを頼み、そして彼は (Madison Square) Garden への迎えが来る頃だと気づいて、寝室に入り、スウェットパンツと裂けた T シャツを着て出てきた。彼はそれまで英国の君主のような身なりで、ハンサムで、貴族的で、ごつごつした顔をしてたんだが、それが今は「彼らとプレイする」ために、普段着に着替えてた。「僕のバンドとプレイするんだ、僕らのバンドで」とは言わずに、いつも「彼ら、Stones と」(プレイするんだ)と言ってた。彼にはこういった、面白い距離の保ち方があったんだ。

年月が経ち、1989年のこと。Charlie は僕に電話をくれ、Stones が10月に NYC でプレイすると教えてくれた。彼は、僕が Joe Morello の友人だと言ったことを覚えていたんだ。Joe は Dave Brubeck Quartet のドラマーで、Brubeck のあの “Take Five” や “Blue Rondo ala Turk” の変拍子の肝になった人だよ。そして Mel Lewis、素晴らしいバップ期のドラマーとも(僕が友人であることを)ね。Charlie は彼らの大ファンで、こう言ったんだ。「彼らがどうかはわからないけれど、僕はもし彼らが Shea Stadium に来てくれて挨拶できたら、月にだって昇るよ。彼らがコンサートまで残ってくれるとは思わないけどね。」僕は言った。「Charlie、できる限りやってみる。」
Mel はロックンロールが嫌いだった。彼はロックンロールが、西洋文化の堕落だと思っているジャズマンの一人だったんだ。

だけど僕たちは Shea Stadium に向かうことになり、最高のもてなしをうけた。彼らは僕らをエレベーターに乗せた。Rolling Stones には – Paul McCartnery みたいに – だいたい10段階のゲストレベルがあったんだ。だんだん VIP の度合いが増してくる。僕らは奥のプライベートルームに招かれた。「Charlie、君に Joe と Mel を紹介できて光栄だよ。」僕は言った。
そして Charlie は彼らと握手し、こう言ったんだ。「ジェントルマン、お会いできて光栄です。」 Charlie は数えきれないぐらいの質問を浴びせた。「Wynton Kerry とプレイしたとき、あなたはあのロールをしましたね、あれはどうやったんですか?」「Joe、”Take Five” では実際どうやってプレイしたのか、教えてくれませんか?」とね。彼はクリスマスの(プレゼントにはしゃぐ)子供だったよ。耳にすることすべてに微笑んでた。僕はといえば、こうして彼らを引き合わせることができたのが信じられなかった。

彼らは(挨拶の後の)コンサートを観たがった。Joe は目が見えず、ショーの光景は楽しめなかったけど、僕にこう言ったんだ。「Charlie Watts はすごいドラマーだね、なんて強靭なタイム感なんだ、あのバンドを実にうまくつなぎとめてる。」一方、Mel はといえば – この人は45年間、ロックンロールに文句を言い続けていたのに、すっかり気に入ってた。彼らの音楽性にも、ショーにも、そして何より Charlie のドラミングに強く感銘を受けてたよ。
ドラマーにとって大事なのは何か、それはあんたがやっていることが、その音楽に対して適切なのかどうか? ってことだよ。
それが Mel Lewis が本当に感心してたことだ。「彼はバッチリだね!」帰路のドライブ中、Mel は言ってた。「まだロックンロールは好きじゃないが、あれはすごい経験だった。それに君の友人、なんで彼らが最も偉大なバンドと呼ばれるかわかったよ – もしロックドラムを叩かなきゃならないなら、あれこそがロックドラムのあるべき姿だ。」

最後に僕が Charlie に会ったのは、Newark の Prudential Centre で数年前のことだった。Bruce が彼らと共演して “Tumbling Dice” をやった前日だ。僕は彼に50年ほど前、彼らをこの近くの場所で観たと伝えたよ。1965年の11月7日にね。彼らは Solomon Burke の “Everybody Needs Somebody to Love” でスタートし、半時間ほどプレイした。彼らのオープニングアクトをするためのコンテストがあったんだが、僕のバンドは落ちたんだ。それで二列目で観てて、彼らは当時の大ヒット “Get Off of My Cloud” をプレイしてくれた。それはレコードそのまんまだったよ。

アリーナで、僕らはこの壁を背に立ってて、彼はブルーの Rolling Stones ブランドのウィンドブレーカーを着てた。彼が晩年にいつも着てたやつだよ。僕らは過ぎ去った日々を追憶してた – あり得ないほど丁寧で、素晴らしい人だった。そして彼はステージに出るとき、舌のロゴのジャケットを脱いで、折り畳み、アシスタントに渡し、(ドラムチェアに)座ったんだ。もし僕が、誰か他のドラマーみたいになれるならば、Charlie Watts みたいになりたいよ。


* “Street Fighting Man” の録音では、Charlie はツアーに持ち歩いていた1930年代のトイドラムキット “London Jazz Kit Set” を叩き、Keith は Philips のテレコに録音した、と2003年に答えてます。有名な話なのでしょうけど、僕は知りませんでした。英語 Wiki に載っています。

so loose to get groovy

Charlie Watts の追悼記事はたくさん、そりゃあぎょうさん出ていて
そのごくごく一部しか観られないのだが

これは Guardian の記事。

‘Not just a drummer – a genre’: Stewart Copeland and Max Weinberg on Charlie Watts

Stewart Copeland と Max Weinberg によるコメント。

Stewart と Charlie は僕の中で二大ヒーローで
とはいえ彼らのスタイルやビートは真逆だから
あまりこの二人を同列に好きな輩はいないかもしれないけど

ここが刺さる。by Stewart、以下は僕の訳

Charlie described himself as a jazz drummer, but they all do that – in rock’n’roll, that’s sort of like saying “classically trained”. Rock musicians aspire to have jazz credibility – even Ginger Baker called himself a jazz drummer, for God’s sake. I’d say it was a futile enterprise: a member of the Rolling Stones denying being rock’n’roll is not very convincing! But one thing you can see of the jazz influence on him is that he went for groove, and derived power from relaxation. Most rock drummers are trying to kill something; they’re chopping wood. Jazz drummers instead tend to be very loose to get that jazz feel, and he had that quality. The jazz factor in Charlie wasn’t in the use of the ride cymbal going ting-ting-ti-ting, it was his overall body relaxation. It’s also why he hardly broke a sweat while driving the band to light up a stadium.

チャーリーは自分をジャズドラマーと言っていたけど、それってロックンロールあるあるだよ。
楽器を弾けるっていうときに、「クラシックを習った」といえば箔がつくだろ、ロックミュージシャンにとってはジャズがそうなんだ。ジンジャー・ベイカーだって自分のことをジャズドラマーだと言ってたし。

僕に言わせればそんなの言うだけ無駄だよ。Rolling Stones のメンバーがロックンロールを否定しても、あまり説得力がないだろう!

でも彼を見てわかるジャズの影響のひとつは、彼はグルーヴを追求し、リラックスすることでパワーを得たっていうことだ。
ほとんどのロックドラマーは何かをぶっ殺そうぐらいの勢いでドラムを叩いてる。木を斧で切ってるみたいだ。
ジャズドラマーはそうじゃなくて、すごくルースになることで、ジャズ特有のフィールを出す。彼にはそれがあったんだ。

チャーリーのジャズの要素というのは、ライドシンバルをチンチキチンと叩くことじゃない。身体全体をリラックスさせることだ。だから彼はライトアップされたスタジアムでも汗をかかないんだよ。


The biggest thing I learned from him is volume – he plays very quietly. Very early on, he discovered this wonderful device called the PA system: five billion watts of PA means that the drummer doesn’t have to work all that hard after all. When I was a young drummer, I was out there trying to kill every drum in sight, and it’s through watching Charlie that I realised: you know what? You can actually get a better sound out of your drums, and a better groove, if you relax.

僕が彼から一番学んだのはボリュームだ。彼はとても静かに叩く。早い時期に彼は、PA システムというすばらしいものを発見したんだ。50億「ワッツの」 PA があれば、ドラマーにとって力む必要など何もない。

僕は若い頃、視界に入るドラムを、全部ぶっ殺すつもりで叩いていた。
チャーリーを見て気づいたんだ。何かわかるかい?

リラックスすれば、よりいい音をドラムから引き出せるし、もっといいグルーヴが得られるんだよ。

* 一部穏やかでない表現があるが、「ぶっ壊す」ぐらいがよいのかな。どうなんでしょう、ロックドラマー諸氏。あと知人をフォローしておくと、汗をかかないのは体質もあるでしょうね。

Weinberg の方もじっくり読んでみる。Born in the USA と Street Fighting Man では力の入り方がだいぶ違う気がするけど…

* 8/29 夜追記: Max Weinberg の Charlie Watts 追悼寄稿、多岐に渡る深い話なので、近日中に訳して公開します。「お洒落」に関する話が特におもしろいです。 こちらから

あのこのすきな


チャーリー
ワッツ

っていう、リフレインの中の変な掛け声を聴いて、

当時ロックもろくに知らなかった僕はなんやねん、その人、と。

他にも、ゲイリーグリッターとか、マークボラン、デボラハリー、

あのこの嫌いな仲井戸麗市、なんでだこのやろう…

とか

清志郎さんのアドリブだったのかもしれないけど

この「エリーゼのために」というか、”BEAT POPS” と覚えてた RC サクセションの曲は

僕の中で特別だ。なぜなら、これが初めて人前でバンドで演奏した曲だから。

あの日はこの他、クリームの Sunshine of Your Love とか、モータウンみたいなベースラインのブルースとか、
スティービー の Isn’t She Lovely? の16ビートアレンジとか、やったっけ。どんちゃん?

先輩に混じって白いフレットレスベースを借りて、なぜかターコイズのジャンパー着て弾いたあの時は、ビデオ見返すと自分は人前に出てはいけなかった人だ(めぐりめぐって今もそうだ)が、

音はよかったし、先輩かっこよかったし、中でもずっとシャッフルビート弾いてた「エリーゼ」はその頃から歌詞がずっと、なんか、染みている。

Rolling Stones を好きな人は、まわりに結構いたけれども、自分はそうでもなく、
いつからこんなに好きになったのか、それはその後数年間、いろいろやってたバンドを全部やめてからだった。

京都はブルースマンやロッカーが多かったし、それに対する逆の壁、みたいなのも自分は感じてたから、
知ったかぶりするのもストレスで、正直、自分のペースで味わうのに時間がかかった。

でも、その昔にはじめて “Start Me Up” のビデオを観た時の衝撃はでかく
なんで、ロックバンドに公務員みたいなおじいさんが入ってるの? ちょーイイ人そうだし、ラクそーに叩いてるし 右手ピタッと止まってるし…
ボーカルのおっさん、ルパンと銭形が一緒になったみたいなキャラだし…

彼らこそがロックの典型なんだけど、それまで持ってたロックのイメージって
長髪とか、拳あげたりとか、なんか硬そうだったから、ぜんぜん軽やかでテキトーで、ひょうきんで、

あっこれやったらわかるわ、いやよーわからんけど、みたいな、のはあった。

でも当時はとにかく音楽全般、「ギター」っていう楽器に偏見っつーか抵抗があって、
エディだろうがウォーレンだろうがキースだろうが、フォークだろうが、あまり惹かれなかった。
単音楽器のベースかドラムか、あるいはシンセか、しか興味なかった。
身近でブルースギター弾いてる人はかっこいいと思ったよ、でも画面や写真のむこうからは。

で、なんとなくチャーリーワッツは好きだったけど、Stones 聴きまくりだしたのは、京都のスタジオでバイトやってた頃だ。

それからアメリカに数年行って、ジャズ学んでたにもかかわらず、しばらくはほぼ毎日 Between the Buttons と December’s Children を聴いてた。

というか、Charlie のドラムは、ジャズだった。あのフィールは、そこらの「ロック」(?)にありがちな四角いやつじゃない。楕円形で、しなやかで、伸び縮みして、いい加減で、繊細で、気持ちいい。

間違ってもフュージョンじゃないし、メトロノームなんかかけ離れている。でも、メトロノーム以上にビートをきめてくれる。

ビートルズとはまた違った、何百回でも聴けるスウィングとグルーヴがあった。

ビル・ワイマンのベースはほとんど注意して聴いてなかった。Live With Me とかのキースのベースは格別だけど。(今思えば Start Me Up のビルは壮絶かっこいい)

でも、ベースに耳貸さずとも最高に気持ちいい音楽が世の中にはたくさんあって、ストーンズはそれだった。

Cherry Oh Baby … Eric Donaldson のカバー、ワンドロップが途中、何回かひっくり返ってる。わざとっていうより…見失ったに違いない。
で、そのテイクがオッケーになっちゃったんだろう。

でもそんなんでも気持ちよく聴ける。この人おかしい。

チャーリーは、ビートのタイミングや鳴りもそうだけど、フィルでちょっと遅れたとこから「…ダダダダ」って追っかけて、しまいにはバンドを追い越してしまうみたいなとこがとにかく好きだった。

漫才してるみたいで。音楽聴くだけで、笑えてしまう。おもろい。歌詞の意味わからんでも、楽しい。

Cool, Calm & Collected のタイム感。深くて穴の開いた背広のポケット。エンディングの壊れたような加速。

….

もちろん、そのうち歌詞も気にしだしたけど、ミックの詞世界、自分に理解できるわけがない。あんな人生送ってないし。
(たまにわかるとなんだか嬉しい)

でも、それでも、大事にしたいと思う。宝物をくれた、人たち。

生で観れたのはマサチューセッツ州郊外のスタジアムと、東京ドーム。

前者はいつだったか… チケット高くて、$100ぐらいした。その頃アメリカは、日本よりずっと手頃にライヴ観れる国だったけど、彼らぐらいになると…というか、うまいこと買えんかったのか。

昼間のフットボールスタジアムで、前座はシェリル・クロウ。彼女はまぁまぁ有名だけどブレイクする前で、ごく前列にしか音も届かず、僕のスタンド席では誰も聴いてなかった。

Stones になったらどっかーん、スクリーンも映るし音も数倍だし、前座とメインの格差の凄さにも驚いたが。

そこいくと、数年後に観たドームは、正面とはいえあまり細部は覚えてない。スクリーンのアニメがいかがわしかったな…

近年も活動は気になってたけど、五反田に来たストーンズ展など観にいきつつ、聴くのは昔のレコード(音源)ばかりで、いい加減なファンだった。

長い闘病生活だったようで、想像できないぐらい辛かったのだろうけど、それでも、最後までジェントルだったんだろうな、とか、思えてしまう。

お疲れさま。

彼の域には、最初に思ってたところから 5mm も近づけなかったけど、この人が僕のこれまでの人生を、数倍楽しくしてくれたことは、間違いない。

ほんとにありがとう、チャーリー。

RIP, Mr. Watts –

slippery when

雨間に窓を
開けとったら

ダブべーの指板
ありえん程に
濡れとぉ

フェスに出ても
おらんのにのぉ


不覚にも

今月はまったく新曲に手をつけておらず

新月も半月も満月も見過ごしそうな気配である。

もういっこ半月あるけども。

もし何かが起これば、准旧曲のリメイクを発表できると思います。

とはいえ最近はむしろ内面的に得るものがあり

そのちょっとした変化が出せるかも、しれません。

そうならなければ、またの日に。

みなさん・いろいろな境遇はあると思いますが・身体を大切に

コロナを舐めずに・雨を舐めずに・滑っても転ばずに

生き抜きましょう。

れ’ とりっく

日々のニュースに、流されるのは相変わらずだ。
Blinking News っていう詞を書いておきながら、自分も逃れることができない。
だが、忘れる間もないくらいひどいニュースが続くので、やはり考えたことは記録しておく。


原稿なしで答弁できない
しても読み間違えられる
公的文書は塗り潰される

この国の言葉ってなんだ
日本人しか使わないのに


『ドラゴン桜』の第二シリーズが春に放映され
その中に「東大入試で最も重視されるのは、『同等関係』だ」
というくだりがあった。

ある事柄を、具体的・抽象的に、さまざまに言い換える。
手を変え品を変えて、相手に伝える。これが最も大事な国語能力だという。

そしてこれは国語に限らず、理系科目も含んだすべてに通ずる、本質的な能力だ、ということだ。

「言い換えの力を、日本最高の学府とされる東京大学は最重視する」

さて。これはどういうことだろう。


昨今、特に3.11以降
高学歴なはずの人々、優秀に違いない官僚や政治家が
全く的を得ない言葉で人からの質問をかわしたり、人々を煙に巻いたり、
あるいは法をねじ曲げて解釈したり、ということが顕著になっている。
昔からそうだったのかもしれないが、少なくとも自分はそう感じ続けている。

どんな価値観を持つ人にもレトリックは必要だ。日常生活でも商売でも、家庭でも一人の世界であっても。
だが、それを学び尽くした達人であるはずのエリートたちが、どうして壊れたテープレコーダーのように道理に合わない発言や証言を繰り返したり、同様にエリートが揃うマスメディアが、詭弁をそのまま垂れ流したり、論理破綻を取り繕ったりするのだろう?

日本語の使い方の見本となるべき人たちが、同等関係を悪用・誤用?して母国語を破壊しつづければどうなる?

英語や中国語、アラビア語、ポルトガル語等と違って、日本でしか用いられていないこの言葉だ。

たとえ今は塗り潰したり、リアルタイムの言葉が持つ生命を二次元にのりづけしていても、そのうち誰かが回復してくれる、と思っている?


いや違うな
世界から多くの人が
(日本語を)
理由あって使ってくれるのに
それをこそ裏切っている


前述の「日本人しか使わないのに」という書き方は、浅い。浅すぎたので、違う角度から訂正補足する。

今回広く知らされた、スリランカ人ウィシュマさんへの入管の問題は
英語に続いて日本語を学び、日本語学校を母国で開こうと決意してこの国に渡った彼女を、
不法滞在になったという経緯(ここは僕には判断しようがない)があるにせよ、おそらく非人道的な扱いで死に至らしめたその対応と、その後の情報開示請求に対して、塗り潰した1万5千枚を送り、高額請求までしたという、あまりに酷い態度にある。

ちょっと信じられないような話だが、こういうことはあちこちで起こっているようだ。

「日本国」でしか母国語として用いられないこの言語を、
日本での就労、日本人向けの物品製造、販売など生業として、あるいは趣味も含めて
相当な数の人々が使っている。覚えてくれている。

ウィシュマさんの遺族は「この映像はすべての外国人が観るべきだ、つぎはあなたの番ですよ」と訴えたが、
たとえ日本社会が今後、こういう不当な危害を彼らに直接加えなかったとしても、
書き言葉、話し言葉をねじ曲げ続けている今の日本社会は、世界中の人たちに対しても裏切り行為をし続けているのだ。

海外メディアへの対応がひどい、とよく言われるが、もっと身近なレベルでも。


言葉には綺麗な言葉も汚い言葉もある。
僕の英語力はまだまだだが、世界第二の人口の母国語であり、世界公用語であるこの言葉から学ぶことは多い。そして何より、英語は常に、生き続けている。

常に洗練され、汚されながら。

日本語はどうだろう。

この瞬間も、さまざまな人が、すばらしい言葉を、目の覚めるような表現を、大切な気づきを、笑いを、くれている。
それこそ、僕は毎日、学びっぱなしでもある。と同時に、言葉を使うものとして考え続けてもいる。


「日本でしか使われない」というのは、あるいは、甘えでもあると思う。
他人にはわからないのだから、何を言ってもいい、
どう扱おうと勝手だ、

そういう状態が続けば、言葉はやがて滅びるかもしれない。

自動翻訳技術は、皆が苦笑している間にも、指数関数的に進化している。あるいは世界の誰もが一瞬で、日本人の本心を見抜く日が来るかもしれない。言葉が麻痺した僕たちよりも、早く正確に、そして味わい深く。

バックリィ

先月だったか、ふと気になって
これまであまり真剣に聴かなかった Jeff Buckley を聴いたり、映像を観たり。

彼はスタジオアルバム一枚でこの世を去ってしまった。そのアルバムはたぶん、潜在意識には入っているのだが、親父さんの Tim と比べて、サウンドが少し苦手だったのか、あまり記憶がない。

これって単純に自分のキャパの問題でもあるので、改めて聴いてみるとやっぱ影響受けてた、というか彼がバンドでやってたサウンドは、自分の好きな音楽と共通点多かったんだなと再自覚する。

Television、Yes、Bill Frisell、Led Zep… そしてもちろん Tim Buckley。

なんで苦手だったんだろう? ベース?

今ならいろんな音源や映像に触れられるので、追体験。すごいね、この人。

https://music.apple.com/jp/music-video/grace-bbc-late-show-stereo/1538374733

ギターの人のペダルを踏むタイミングは突っ込みどころがありすぎて…
4人のバンドサウンドって、改めて奥が深い。
自分が若かったら、こんなバンドやってみたいな。

それからこの人、弾き語りのときの波動がとんでもない。Mark Bolan みたい。

アルバムタイトルでもある “Grace” の詞、読んでみた。

これって…ぼかしてるけど
明日戦場に赴く兵士だよなあ。飛行機乗りの。

すごい歌唱だと思うけど、この世界には僕は同意できないな、
彼も若かったし、1994年というときもあったのだろうけど
美談とか運命とか、任務とか大義名分が自分に染みてくる感じとか
それって、今一番、拒絶しなければならないものだと、思ってる。
人間が人間であるためには。

当時の僕は英語読解力がとても低く、わかってもどう思ったか、なんだけど

たぶん、9.11 後に自分で書いた “grace behind the word” は
こういう曲に対する無意識の返歌でもあったのだと思う。DIarY レベルだけども。

そんなことを思った。
日が明けて、違うことを思った。この詞は飛行機乗りを指してなんかいない。
こちらの勝手な思い込みだ。*

だが、
彼のインタビューでも “mortality” という言葉が残っている。

“It’s about not feeling so bad about your own mortality when you have true love.”

えっ…? 「愛があれば」「死すべき運命も」「そう悪くない」…?
あかんやろ、それ。

“Grace is what matters in anything—especially life, especially growth, tragedy, pain, love, death. That’s a quality that I admire very greatly. It keeps you from reaching out for the gun too quickly. It keeps you from destroying things too foolishly. It sort of keeps you alive.”

成長や悲劇、死や愛、何事においても、Grace を感じることで、君は銃に手を伸ばしたり、愚かな破壊願望を持つことから距離を保つことができる - あるいは、彼自身を律するような曲だったのだろうか。

だが彼は結局、30でミシシッピ川に沈んだ。意図的か、事故か、薬や酒のせいかはわからない。

死とは隣り合わせで生きていた Jeff.
フォークヒーローであり幼い彼を捨てた父は、手本でも、反面教師でもあっただろう。
Tim の映像を見ても、その思想の深さと思い切りの良さのようなものが伝わってくる。
だが彼も28で世を去った。

Jeff があの後も生きていたら、どんな表現者になっていただろう。
Tim じいちゃんと Jeff おじさんで、親子共演などしていたら?

田舎道の銀行から出て、この曲のライヴ音源を聴き始めたら
バンが通りかかり、そのナンバーが彼の誕生日だった。
「ひらがな部分」は「は」だった。
これ、「ば」ならもっとよかったな。ナンバープレートに濁点はないんだっけ。

つづく

* 「いい歌詞は、十人が聴けば、十通りに解釈できる」と、あるとき知人が言っていた。
とても説得力があった。今でも、たぶんそうなんだろうなと思っている。

「機上の勇者」と「機能性食品」

これだけあった〝特攻隊員に覚醒剤〟外道の証拠
「チョコ包むの見た」証言から元教員が追跡

2021/8/15 – 47NEWS

若者たちを
「機上の勇者」にするとは
どういうことだったか。
そのために大人は
どれだけ周到に準備をし
どれだけ責任逃れをしたか。

そういうことには
強者はいくらでも頭を使う。

デジタルにも
注意


記事の中ほどに登場する
「機能性食品」
恐ろしい言葉だ。

言葉を言い換えるとき
そこには多かれ少なかれ
騙しがある。

それに長けたものが
ある世の中では重用されるらしい。

だがそこにも
やっていいことと
いけないことがある筈だと
思う。


「デジタルにも注意」っていうのは
意味おわかりでしょうか。

これからますます、注意です。

「わなをかけていく」のが仕事らしいですからね。誰にだ?

– 10.8 追記

上新粉ペーション

シンコペーションの再確認。

たまにはメトロノームを使う。

以前も記したように、僕にはkey=Eの音楽を避けていた時期が
結構あるのだが、

世の中にはやはり、EやEminのいい曲がいっぱいある。

4弦ベースにとっては、開放が使えるから願ったりの反面、
Lo-Dチューンにとってはめんどくさいことこの上ない。

で、Lo-Dに慣れると、レギュラーに直すのが頭の切り替え、ひと仕事だ。
5弦ベースもレギュラーだし。

演奏活動から離れると、こういうことをリセットできるので、
また新鮮な気持ちで接せる。

それに鍵盤やDAWを使えば、キーなどそもそもどうとでもなる。
だが。やはりEは大事なのだ。

前回記した Rikki Don’t…, それから
GやHやRや…いっぱいあるのだ。PHもNTYもGTBTも。

自分のもなんだかんだ、Eの曲があるけど、
しばらくは好きな曲に親しみながら、
そのうち出てくるアイデアをつかもうと嘯き、

実際は2年前からたまったメモスケッチが
睡魔を襲い続ける

そんなお盆周辺。

明日は盆の団子作りだ。

why

今の政権、ほんと頭いいなと思います。

優秀な人が揃っているんですよね。

資金も潤沢だし、いくらでも増税、中抜きし、手下に分配できる。

地上波もデジタルも、ネットもSNSも上層部を押さえている。

なんでもできます。

コロナだからって、へっちゃらです。改憲の「絶好の機会」と思っているし、そう発言もする。

安倍さんが危うければ、その下で無表情に政策をすすめた菅さんを立て、
菅さんが危うければ、もとの路線、さらに強行な高市さんを立てます。歯向かうメディアは「停波」するといい、不祥事で失脚した人です。

オリンピックの開会式人選では、ナチス描写のコントを過去に行った小林さんが干されましたが、
菅さんはそれを許せないと言ったものの、ナチスに学んで改憲をと言った麻生さんの身はずっと安泰でした。

高市さんもナチス系思想の支持者だと、国内外で何度も報道されていますが、なぜか次の首相候補です。

いじめ告白インタビューで小山田さんは干されましたが(ちゃんと聴いてきたとはいえないこの方について、僕が書けることはほぼないです。その上で、あの記事での発言内容は半端なく酷いと思う)、その影で、開会式当日になぜか、すぎやまさんの楽曲が使用されました。安倍さんの案件だったようです。南京虐殺を公然と否定し、国際的舞台にはフェアとはとても思えない人選が、なんで、するっと通ったのでしょう? リハーサルでは「仮の曲」と言われ、そのまま本番でも使われた、ようです。

ほんと、頭いいですね。

やりたい放題です。

なんでこの人たちのために、僕らの働いたお金は搾取されていくのでしょうか?

なんで、市税も保険税も消費税も、どんどん高くなるのに福祉は削られるのでしょう。

Bon Jovim と D. Fagen

あまりにも暑い。

朝から Bon Jovi の Wanted Dead Or Alive が頭で鳴っている。

まさかのボンジョヴィだ。

このアルペジオと進行、もしかして今の気分? と思ったのか
何かいいこと歌ってたんじゃないか? と気になったのか。

折角なので探し出して聴き直し、歌詞も見る。

ガットギターで少し確かめる。

いい曲だよなぁ…
…とまではならなかった。

僕の想像も及ばないようなでかいスケールで音楽活動した彼らだが、
この詞世界に関しては、僕には届かなかった。

いやそれは違って、アルペジオのレンジが高くて、ガットギターだと指が届かなかった。

そうじゃなくて。この詞はワイ(ル)ドすぎて、実感できなかった。

いつかわかるのだろうか?
リスナーのキャパで、音楽って伝わり方が違うんだな、と改めて思う。

それでも昔は、なんだかすごく大人な曲に聴こえたものだ。
意味を気にしなくても、耳を広げてくれた、というか。

そういうのって大事だ。すごく。


昼に近づき、どんどん暑くなる。

とうとうおかしくなったのか、ボンジョヴィをボサノヴァにしようと思い立つ。
当然、曲は Livin’ On A Prayer だ。

ボサノヴァと対極にあるような曲。だが世界中で愛聴されたということはジョビンと共通か。

ジョン・ボン・ジョヴィとトム・ジョビン。
ボン・ジョビンは灼熱の日本に何を語りかける?!…とばかりに、部屋流しで遊んだ午後だった。

感じたことといえば

  • この曲はボサノヴァには合わない。
  • Bメロの進行は、ことさらにボサから遠い気がする。
  • 歌い方次第でそれっぽくはなる。
  • でも、それっぽいカヴァーみたいなのは一発芸であり、今の僕の志向ではない。

マイナスばっかりやん!? なんてネガティブな人間なんだ。

しかし、そうは言っても何かがひっかかり、夜に再びやってみた。

何かわからないけど、何かがあるのかもしれない…と、思えなくもなかった。

だからそれでよしとした、八月八日だった。


実際のところ、Livin’ On A Prayer を Bon Jovim 的にやっていても
Rikki Don’t Lose The Number (Steely Dan) に切り替わってしまう、今年の気持ちだ。

ドナルド・フェイゲンって、あまりハイトーンに聴こえないのに、音符にするととても高い。だからとても難しい。ある意味得する声なのかもしれない。

最近よく聴いてる他の人の方が、遥かにハイレジスターに聴こえるのに、実は低かったりする。

どっちにしても、シンガーってすごいな。
じじいになるまでには、いい歌うたえるようになりたいわい。

まだ、そんなことを思ってる、あるおやじの夏でした。


Livin’ on…  って、Don’t Stop Believin’ (Journey) に似てるんよね。惹き付けどころが。

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