Blue Valentines

昨夜。思うところあって海岸をドライブし、
若干の胸騒ぎがしつつ帰宅、風呂から上がる。

東北では大地震。

こちらは無事であるも、当地の惨状と不安を思う。
関東も広範囲で停電だったらしい、とはいえもっとも大変なのは福島の人々。

どうか余震が早く収まり、人々が無事でありますよう、充分に眠れますよう、
コロナから人が守られますよう。

ごく型どおりの事しか書けませんが、本当に。


そして原発がまた暴れないよう。

まだ原子力緊急事態宣言継続中にも関わらず、
オリンピック誘致以降、ほとんど報道されなくなってしまった1F、
そして日本の沿岸に今も林立する原子力発電所や核施設が。

日本は、3.11から生まれ変わることができた筈なのに
そのチャンスを何度も逃して今に至る。

だが、辛いことの連鎖も
まだ間に合うという啓示であると思いたい。

ここだって、明日は我が身と常に思っている。
だけど、生きているうちは精一杯、何かを見出していたい。


物を持たないということ
最小限持つということを考える。

災害は物をため込むことの危うさを思い知らせたが
たとえ災害なくとも、墓場までは持っていけない。楽器も、宝物も。

むしろ、そうなったら他の誰かに使って欲しい。
まだ譲る気はないけどね。

楽器はたしかに人と一体化し得るが、人と楽器は別の命を持っている。
いい楽器の命は、一人が奏でることができた音楽よりはるかに長く続くのだ。

戦争さえなければ、だ。

人は物やクラウドの力を借りるけれども、それは自らにスパークを起こして
何かを見出し形にするためだと思う。

それができるまでは生きねばならない。やらねば。


舞台演奏をしないからといってやることがなくなるわけではない。

むしろ、音楽に向かう者としては、より多くを感じ、より実践できる刻でもある。

限られた時間であってもどう使うか。

朝思いついた曲ができたり、朝、気になった曲が、一日の終わりには弾けるようになったり。
それは誰のためでなくても、たとえ聴かせる人がいなくても。

大学の先輩も好きだったあの曲が、こうすれば弾けるんだと気づくこと。
音楽が自分の身体に乗り移る。それはどれほど大きなことだろう。

転写。この世の身は仮の姿。借り物。なにかがなにかに、のりうつる。

ギターで弾けるようになれば、それはベースに乗り移る。
一方で、ベースはたった4本の弦でも、成り立つ楽器でもあるのだ。

音楽の可能性はひろい。

競争心や上昇志向がなくなって、それから本当の成長だ。
それを実感できるのは、幸せなことなのだ。∞に。


走る。

スキニージーンズ、ぎりだが辛うじてストレッチ。

あの感じを思いだす。振り子。

体が左右に揺れる感じ。小学生の頃掴んだ感覚。自分の波を、超えていく。

思い出した。やっと。

いける。
いろいろなことを身体や脳が思い出す。
いけるかもしれない。
自分として、ということ。

そんな幻想を、しかし、かすかなれども、確かに、感じた二月十四日。


『トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界』も、ついに読み終える。

すると。これから読みたくなるもの、だらけなのだ。


表題はもちろん Tom Waits。

これを初めて聴かせてくれた人。その後想像もつかないけど、元気だといいな。
あれも震災の年だった。阪神淡路大震災。京都のスタジオの面々。

僕は、元気で、やってます。いろいろ、あったけどね。

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