ダイアリーであるからして、近頃は割と欠かさずタイプしている。
が、けして暇こいているわけではない。人とは会わないが毎日忙しく、落ち着ける時間は貴重だ。
フリートウッド・マックをしばらく聴いたところで – といっても、初期の最重要人物ピーター・グリーンを飛ばしているから、モグリといえばモグリなのだが – 改めてジェニー・ボイドの「素顔のミュージシャン」を読み進める。
いやぁ…
これはきくわ。グサグサくる。素晴らしい、と共に、何度も死刑宣告されてる気になる。
彼ら、彼女らがどうしてミュージシャンに「なったか」、あの曲を「創作できたか」が、いろいろな過程を含め、レコードを聴くだけではわからないレベルで、綴られる。それって、凄いことなんだが、
すべては – 将来が見えていた – ということのかたまり、なので。
間違いなく、素晴らしいんだけどね。
やっぱり、今の自分が読むにはきついものがある。「将来」なんて概念、あまりないもんな。
やり残しはいかん、と必死なだけで。どんな自分でありたい、というイメトレは、小さい頃から散々してきたし、ある程度は実現したようだけれども、今、それだけじゃ根本的なところは叶わない、ということを思い知っているわけで。
近道なんてもともと存在しない。何度も後戻りし、納得したところでしか進めない。
子役俳優からドラムに転向したフィル・コリンズ。幼い頃から町の社会で「画家」扱いされていながら、敢えてソングライターになるためにギターを取ったジョニ・ミッチェル。祖父も叔父も偉大な映画音楽・劇伴作家であり、いくらピアノが上手くても当然としか扱われなかったランディ・ニューマン。テキサスではフットボールに馴染めず吹奏楽、ドラムに道を見出し、やがて叩きながら歌う術を見出したドン・ヘンリー。ドロップアウトしドラムのカタログを見ながらひたすらドラマーになる事を信じ、習うのではなく、バンドマンとして叩き続けたミック・フリートウッド。
道は違えど確かな裏付けを重ねてきた先達の話が、幾多の「いい話」と共に、己にスパイクで蹴りを入れる。
たぶん、人生舐めてたんだと思う。自分は。今頃気づいたか。
コロナ禍を差っ引いても、やっぱなめてたな。
とても歯が立たない、幻想の未来。
だが。
ほっといても、きてしまうんだよ。それは。
まだこないものは、やがてくる。誰にも等しく、来てしまうのだ。
そう思うと、いくら串刺しにされても、どんぶらこ、どんぶらこ、
時間の海を流れていく、漂流の吾輩である。
ガラパゴスや neptune だって、アトランティス、のこされ島だって、その先は開けてると思うからな。
一体どういうことなんだか、わからないけど、
根拠のない時間軸を、不思議な自信と共に流れていく、午前2時14分。