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eight and nine

あろうことか目の前で新幹線のとびらが閉まる。

かがやき

東京駅でコーヒーを買おうか、今日は妙に混んでるな〜と余裕をかまして
ジーンズ右ポケットからチケットを取り出してみると、発車は一分後。

チケット二度見の瞬間も惜しんで
階段と改札とエスカレーターを突破し、ホームに辿りついたが
すべては徒労だった。

次の自由席に座ればいいさ、と嘯いて掲示板を見ると
かがやきは全席指定の表示。

各駅停車である、はくたか自由席車両には果てしない列。
そこからはじまる立ちんぼの旅について詳しくはかくまい。

あくまでポジティブに感想を書くと、僕は車間の洗面所界隈に、長野駅までの1時間半突っ立っていたのだが、あまりに新幹線が滑らかなせいか進行方向がわからず、自分が後ろ向きに爆走していることに全く気づかなかった。

そんなことより、僕が逃した列車の東京-金沢間の所要時間はこれやねん。

https://youtu.be/7aSEetyWAWo

永遠にかっこいい3人。

金沢は1年ぶり、自分史でもまだ数回だが、その割にはアウェイ感がない。
不思議な街ですね。

歴史があるし、アートがあるし、のんびりしてるし、洒落てるし。
できるなら一ヶ月ぐらい暮らしてみたい。

不思議といえばこんな資料もありましたよ。

kanazawa-fushigi1 kanazawa-fushigi2

ハントンライスの「ハン」がハンガリーって偶然かよ。

肝沢幅一、でなく肝心の公演は…ご覧になった方に委ねます。
こちらはとても楽しくやってます。くりえいと。

後ろから わっちや亮ちゃんの動き観てると面白いのじゃよ。

サンダーバードで大阪へ。

加賀〜越前〜湖北〜湖西〜

窓際席なのでやや余裕の旅。

敦賀からしばらくして、左前方に海のようなものが見えたとき、
これから列車は海を渡るの? とわくわく。

それが琵琶湖の頭のてっぺんと気付くのに時間がかかったのさ。

大阪入り日の記憶はあやふやなのだ。
3人で夕食したあとさっさと…19時にぐっすりという土曜日。

翌朝、ミナミ。
特に目的もなくただ人混みをほっつき歩く。
リュックを買って以来、モノへの興味は完了してしまって
一大商店街を歩いてもまるで誘惑に駆られることがない。いいのか悪いのか。

ふと国立文楽劇場に行きたくなって方向を変えると、ソウルフルなストリート、黒門市場。
なにわの台所。通っただけでなんやしらんが、元気をもらう。

文楽劇場はえらい綺麗…ロビーに入っただけだが、気合をもらう。

その間考えていたのはただ一つ、今日の俳句。

会場入り。
見覚えのある場所に自分の竿が並んでいる。
いつもあんがとね、きむさん。

orixebs

本番まで、界隈をほっつき歩いて、会場に戻る直前に亮ちゃんに出会い
もう一度ほっつき歩く。
とりとめもない話って、面白い。

この会場はステージから客席までの距離があるのだけど、割とお客さんの顔も見える。
一方で3階席からは、ほとんどバンドを上から観てる感じなんでしょね。

orixtube

本番内容は皆さんに委ねます。こればっかりやけどこれしかないん。

終わってみれば、ツアー前半の集大成みたいなものなのだろうか。

俳句はいつまでやろうかな…

six and seven

亮くん洵くんとギターの話をしながら北上。
ダンエレクトロ、バディ・ガイの水玉ストラト、リッケンの’60sエレクトロ。

福島テルサホールはほどよい大きさ、天井高く2階席もいい眺め。
というか、2階席から観てみたい。

今日から、ファズをもっと強くしてみる。

舞台裏ではなぜかマントラの話で盛り上がっているのだけど
それは表にはいうまい。

開演。あっというまの2時間半。

すごい反応。やっててもじんときます。

翌朝都内リハーサルにて日帰りしたのだけど、タクシーのおじさん曰く

「311の後、すぐ雪が降って、あの時は昔ながらの反射式ストーブがすごく役に立った、あれでカップラーメンも作れたし、暖も取れるし、電気も要らないし…」

- 昨夜も揺れたでしょ、大丈夫でした?

「熊本の方であんなに揺れて大変でしょ、こちらでもちっとぐらい揺り戻しがないと、地面のバランスがとれねぇや」

…生きるちからを思いました。

fflare

こまちとはやぶさのどちらに乗ればよいのかしばし迷い、
結局駅員さんに言われたままにこまちにのって仙台へ。

座席が2と2なのだけど、ベース載せて帰るには心配だなぁ、
昔八戸に行った時は、どうしたんだっけ?

地下鉄で旭ヶ丘、森を隣にしたホールへ。

テルサより少し大柄か。響きがすごい。
ステージ上は、ホントどの会場も音が違うので、いつも試行錯誤だったりする。

そんなこんなで…楽団は確信めいたものをつかんでる。

ところが形が固まってくると、新しいことを試したくなったり。
それはご覧になっての、お楽しみなんですが。

…精進しますね…笑

とても得るもの多く、思うところ多く
忘れ得ぬ、合計二日間でした。

結局翌朝は、ギリギリに飛び起きて、
焦りながらベース転がし、はやぶさで江戸に向かったわけで。

レミングになっちゃいけない

ぼくは元気に暮らして居るけれど…

熊本のこと、大分のこと、中央構造線のこと…

一言で表せない辛い気持ちと不安がとまらない。

ぼくにとって直接の知り合いは flexlife の一行だから、彼らのことを最初に思うけれども

きっとこれから会うだろう、たくさんの人々が辛い思いをしている。
ネット普及前にしか会っていない、そんな知人もきっといる。

今年もこれから、訪熊を二度予定しているし、そこで会える人に
音を届けられるだろうか、何か手助けできることはあるのか、
足手まといになってしまうのか。
何が解決で何が支援なのか。自粛ってなんだろう。コミュニティって、避難って、なんだろう。

このタイミングで激甚災害の指定もまだせずにTPP審議を優先していることは、国に頼りなさんな、と公言しているようなものだし、呆れを通り越して苦沙味すら出てこない。
被災している人にとっては、一刻が何年にも思えるのではないですか?

川内原発については、再稼働の条件であった「事故時の高速道路や新幹線による住民避難、近隣県での受け入れ」が震災によって既に不可能になっているのだから、まず、直接受けている揺れや採算上の思惑に関わらず、現時点でとっくに稼働条件失格だと思うのですよ。

川内に何かあってからでは全く遅い。制御できない。そのことはわかっている筈でしょう。もちろん、何もないことを願うばかりだけれども。

Police の Synchronicity II に
“Packed like lemmings into shiny metal boxes.
Contestants in a suicidal race.”

というリリックがあって
これは東京の地下鉄ラッシュで犇めき合う人々と同じような例えなのだろうけど
レミング的に破滅競争をするような、そんなところが
日本のシステムにはあるような気がしてしょうがない。

Sting が当時、日本を題材にしたかどうかなんて知らないし
こんなことは日本だけでなく万国共通、歴史上も何度も繰り返された失敗だとは思うのだけれど
– あるいは負の Synchronicity か –

危機のときに、指導層が対策を誤るのは非常に危険です。誰にとって? みんなにとって。
保身や面子で人を切り捨てる人、たくさんいます。
軽くなりたいんでしょうね、「蜘蛛の糸」のように。
芥川はどう思って書いたのだろう。新自由主義の人はどう思ってビジネス本を書いているのだろう。

ところが悲しいかな、それはおそらく人間のサガでもある。
どんなエリートだって間違いは起こす。保身はする。
だから、互いに平衡にバックアップしていかなければならない。

「グッドストライプス(いい感じの平行線)」でもいい。
くっついて盲目になってちゃ、危険は増すばかり。
灯台下暗し、の陰が大きくなるばかり。

たとえば、音の世界でもバランス転送ってあるでしょう。マイクに挿さってるあれ。XLRってやつ。螺旋に組んだケーブルに逆位相で信号を流し、それをミックスする事でノイズをキャンセルする。

生命を繋ぐDNAだって、このケーブルと同じように、螺旋構造をしている。
こういうのって、意識の、また無意識の知恵だと思います。

右、とか、左、とか言ってる人達も、本当ならば、互いにバックアップしなければいけない。幸せに人生を送りたいのは、きっと同じなのだから。

数年前に観たNHK特番「原爆投下 活かされなかった極秘情報」。B29がファットマンを積んで長崎に向かっていたとき、陸軍情報部がその動きを事前に知りながらも御前会議ではまるで違う議題に終始、九州の迎撃隊に出撃命令すら出されなかった、ということが明らかにされた。老いてそれを知った紫電改の元パイロットは、落胆しきった表情で言う。「これが日本の姿ですかね … こんなことを許していたらまた起きるんじゃないですか?」

どうなんですか?

せめて、これからはそんなことを起こさないでほしい。
そう思うのは、おかしなことなのか。

眠れたのが不思議だ。
熊本、大分の皆さん、どうかご無事で。

four and five

新神戸駅を降りたのも三宮を歩いたのも6年ぶり。

住む筈だった街。いい空気。

お洒落すぎる一角にあさひホール。

最後列も近く幅広い扇型のような客席。不思議な開放感。

演奏中、ずっとお客さんの姿が見えていたし、客電が点きっぱなしかと思ったくらい。

このメンバーで関西初。ステージ、またゼロからやり始めたような気がしたのはなんでかな。

公演が終わり楽屋に戻った時、熊本の地震を知る。

震度7ってありえない。まず、flexlifeの皆が心配。
翌日無事と分かったけれども想像を超えるストレスを抱えているはず。

どうすることもできない、だけど、彼らのしなやかさから学ぶことが、また、多いです。なんだそれ逆じゃないか。

翌朝、海岸を走る。海と山と、風と街。

1.17から21年。公園の時計は、ずっと5:46を指していた。

b15kb

東海道新幹線は穏やかな陽の下で皆を運ぶ。
快晴の三日間。当たり前のことなのかそうではないのか。

食べ物の話は神戸で「年一度」を終えたからか、否、単に言いそびれた。

記しておくと、浜松は第一通りにはとてもおいしい卵飯屋さんがあって、映像作家の知人が働いていたから二度ほど行った。
また行こうと思っていたら、いつの間にか閉店…好きな店って、なんでこうも移ろいが激しいのだろう。

駅から離れたUホール。かなり年季が入っていて、アクトシティが有名なこの街ではレアな会場だろうな。だけど演奏中はとてもやりやすかった。

なんだか、音楽が、ますます大事になってくるな、と思う。

終わった後、なにか、5本目にしてファイナル感。

とんでもない、まだ1/3だ。

three

関内。

音確かめの合間、窓から界隈を見て
「碁盤の目だねぇ」とつぶやくNくん。

確かに。埋立地っぽいね。
開国の時の関門の内側でっか。そんで西洋調なわけか。

かんさいとかんとーとかんけーない…とかって誰かZ級ラップしないかな。
いや失礼。

このあたりの空間に出るのは、自分はKAAT以来。BankARTも懐かしい。

音が舞台に3D座標付きで返ってくるKAATや、
ショートエコープレックスの文芸座とは違って、ホールらしい響き。

いい緊張感。そして、ユル感。

ファイナルじゃないよ、まだ三度目、そして五分の一…

今回はコーラスが多くてほぼ全曲、しかも重要な節続き。
ところが第三の男、ならぬ第三声、っていうのは
割と気楽なものでもあるんだな。

人前で声を発するたびに、虚無感を併発し続けてきた自分が
近頃は楽しんでやっとります。

団長とメンバー、お客さんに感謝しなくては!

one and two

上越新幹線の座席は
旅客機のような感覚で
シートベルトをしたくなる。
そんなエイプリルフール

駅と駅の間は
さながら夜間飛行。
時折顔を出す景色がとても美しい - のだが。
もうちょっと観たいですね。

やっぱりトンネルばかりの列車旅って、おかしいから。

たどり着いたホール、3Fに登って広々とした視界の楽屋。
昨年と同じ会場、同じくツアー初日。

一月早いからか、思ったより気温が低い。
まだ桜は咲いていない。

初日の緊張感はもちろんあるのだけど
このメンバーはもともとバンドといっていいほど
まとまりのいいカルテットに
僕が加わったというものなので

要は僕が頑張ればそれでよい。
わかりやすいね。

そんでもって、知ってる会場というのは、心強いものです。
既に、ちょっとした帰郷気分。新潟。

内容は
ご覧になっての
お楽しみ

10rigs

移動。雪が残る山脈。見えぬが近い海岸線。

やがて…標高360m超えの長野市へ。

善光寺に近い寄席会場。
意表をつかれるがなにやら初心に還れる気分
(なんでや?)

表参道はとても雰囲気がよい。
大きな石畳。アスファルトじゃなくていいね。

内容は
もちろん観ての
お楽しみ

シャンキュー

エリア51

亜墨利加51番目の州になれば…って
議員が発言してさらに呆れた事を言っているけど
これ、叩く材料だけじゃなくてすごく本質的なこと突いてるんよね

表現で大騒ぎする傘の下に、実は集団の本音が発露している
自民党がCIAの援助を受けて成立したとは良く言われていることだけど
よくよく辿っていけばそれも道理で
なんで戦争で日本を打ち負かした米国が日本の「最大の友人」になれたかというと
それは徹底した心理戦によって、日本を完全に従属させることに成功したから、だろう

開戦前にすでに「戦勝後にどうやって日本をコントロールするか」のシミュレーションをしていたという米国

…まぁ、そう考えてみれば当然のことかもしれないが…

何しろ我々の多くは、米国に従属している事にすら気づかないで過ごしてきたようで
こんなに完璧な「戦勝」はない

WW2の後も世界中に派兵して戦争ばかりしてきた米国が、決して他国をコントロールしきれていないことを考えると、彼らにとっての「戦争戦略の成功体験」って対日本だけじゃないのか、とさえ思えてしまう

ともあれ愛や酒や、金や名誉や、薬物や核や、いろいろな「依存症」は人間あるのだろうけど

日本に関しては完全な「米国依存症」が戦後ずっと続いている

かくいう自分もその一人で、音楽に関して米国の、いや現在の米ポピュラーにはそうでもないが
アメリカ音楽、その若いはずの歴史の深さと魅力にはかなり依存していると言わざるをえない

色々な人種の入れ混じったグルーヴの深さには脱帽するしかないし
発声やハーモニーのキレと雑多感、開放感はなんだ

もちろん、孤島である日本ならではの視点から見れる、音の景色はたくさんあるのだが

戦争で負けたってことは、ぼくが測り知れないぐらい
辛くて辛くて辛くて 情けないことなのだろうけれども

それに気づかずに 完璧に、サブリミナルに従属してしまった今の日本はあるいはもっと情けないのかもしれない

だって、クレジットカードも、ネットも、FacebookもTwitterもdisneyもgoogleもAppleも、ぜんぶアメリカだぞ?!

どうあがいたって、すべて掌の上やんか!?

だからって、51番目の州になりたいのか? ってことだ

ぼくらは英語もろくに操れないのに…
日本語使えるけどね

そもそも向こうから見れば、州に加えるなんて気持ちは毛頭ないのだろうし
その点でも深い二重幻想、じゃないかな

サルビルサ

パリでの事件

3日以上たっても、言葉にならない。

こういうとき報道は迅速に、とか、日本のマスコミはどうしてこんなに遅いのだ、とか
その一方で、さっさと空爆を決め込み実行してしまうフランス政府って、なんなんだ? とか

音楽の会場で起こったことでも、あり
そもそも音楽を全く禁じ、標的としての人種識別としてしか利用しないひとびとがいる、という
それだけでも絶望させる世界観

13日の金曜日の出来事であり
キリスト教国に対する敵意としては出来すぎている感あり
(自分はキリスト教徒でもイスラム教徒でもないので、到底実感はし得ない、想像でしかない)

さらにはオスマン・トルコ陥落の日から97年目でもあるという。*

無差別な悪意は価値観をどこまでも破壊してしまう。または
価値観がどこまでも破壊された結果の無差別な悪意。
対話を完全に拒絶したレベルの状態
信じるものが根本的に異なる
それは「戦い」を見事に正当化してしまう。

突如として命を絶たれた人々、その周囲の人々、「街」に対していくら哀悼しても足りぬ思いと
その加害者はいったい誰なのか、という果てしない疑惑

既にここ10数年で明らかになったように、テロ(と呼ばれる無差別犯罪)は軍事力では抑えることはできない。
戦場ではなく、はっきりとした敵味方さえ存在しない混沌の中で起こる「テロリズム」。
混沌こそが、ごく普通の人間の暮らし。

それを壊す理由が、果てしなく拡大再生産される、それが「対テロ戦争」。

何も学ばず、互いに盲目になる指導者たち。
莫大な特需を受ける軍事産業。「敵」も「味方」もお客さん。
それが無限の「成長分野」だとでも思っている?

犠牲になるのは、いつも一般の人々。

なら、兵士なら犠牲になってもいいのか?
代々兵士の家もあれば、志願した人、経済上その他の理由でやむなく入隊した人もいるだろう。
自爆した人も、自爆攻撃を正当化され、叩き込まれた若者たちだろう。

三色旗をアイコンに重ねる人、それを咎める人。
分断や煽動に踊らされるまいと、何も言えなくなる人。

まともに考え出せば、果てしない矛盾と迷路。

揚げ足を取りあう人々を上から眺めて
声の大きな者が、待ってましたと勇ましく語る。
戦いを美化するために、ここぞと腕をふるう広報。

武器を取る者。いや、気づけば武器を取り、操縦席にいる者。

その先は、地獄。

どの言語であっても、それに値するもの。

ひとつ、いい絵本を紹介したい。

スズキコージ「サルビルサ」

出版社へのリンクが見つからなかったので、探してみてください。

ひとつの大きな答えが、そこにあるから。


* 第一次大戦後の英仏伊によるイスタンブール占領。1918/11/13 ~ 1923/9/23

ひろしまのさんぽ1

修学旅行以来の 平和記念公園
引率された子供のころとは 違うのかな

平和大橋 にさしかかったあたりから
既視感 いつかの京都? 鴨川と似てなくもないような

広がる穏やかな景色に 心が吹かれ
視界を右にパン 原爆ドームが佇んでいる

橋を渡り終え 記念公園の入り口を斜めに歩いて行く
タクシーが群れる正面を入る気になれない
斜めに歩く
それだけでじわじわと来てしまう

この空気ってなんだろう

好天 気持ちのよい風 優しい木々 あまり見た事のない葉や幹のかたりくち

あまりに残酷な記録と同居する 緑と白のモニュメント

およそ60年間 じっと語り続けてたんだね

ヨーロッパからだろうか 多くの人々

二人組に声かけられ 話し込む

日本語でもいいですよ と言われるが
日本語でも難しい内容だからと 拙い英語

まとまらないことでも 話すことによって整理されてくることがある

驚くほど冷静に 物事を見ている人々がいる
そりゃそうだ 今じゃこの世に72億人も人がいる
それぞれが 視点をもっている

同時に
それだけ人が多いから その人々を誘導しあっている
誘導がいいことだとも思われているから 広告があり メディアがある
ビッグデータさえ

また

ながれていくメディアがある一方で ながれずとも消えずに
しっかりと留まっている活字もある
鶴たちの そばで

あまりの内容に 知っていたような気はしながらも 圧倒される

涙がとまらない

仕事場に戻っても ふとした折に涙がとまらない

きたぐにへのみちのり

northmid
気分は999

town
気分は…誰だ、リキか?

drove
この色の建物が見えると無条件に反射

mqm
これまでの人生で唯一ギターを持って人前で唄ったのがこの曲のカバーだったのだが…

basho
金沢近くのSA 空気がきれい
「おくのほそ道」北陸編、っていうわけです

ステージは観た人たちが楽しんでくれることが全てなのですが
素晴らしいメンバー、スタッフ、そして天才アーティストと一緒に過ごせて
幸せとしか言いようがありません。

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