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four and five

新神戸駅を降りたのも三宮を歩いたのも6年ぶり。

住む筈だった街。いい空気。

お洒落すぎる一角にあさひホール。

最後列も近く幅広い扇型のような客席。不思議な開放感。

演奏中、ずっとお客さんの姿が見えていたし、客電が点きっぱなしかと思ったくらい。

このメンバーで関西初。ステージ、またゼロからやり始めたような気がしたのはなんでかな。

公演が終わり楽屋に戻った時、熊本の地震を知る。

震度7ってありえない。まず、flexlifeの皆が心配。
翌日無事と分かったけれども想像を超えるストレスを抱えているはず。

どうすることもできない、だけど、彼らのしなやかさから学ぶことが、また、多いです。なんだそれ逆じゃないか。

翌朝、海岸を走る。海と山と、風と街。

1.17から21年。公園の時計は、ずっと5:46を指していた。

b15kb

東海道新幹線は穏やかな陽の下で皆を運ぶ。
快晴の三日間。当たり前のことなのかそうではないのか。

食べ物の話は神戸で「年一度」を終えたからか、否、単に言いそびれた。

記しておくと、浜松は第一通りにはとてもおいしい卵飯屋さんがあって、映像作家の知人が働いていたから二度ほど行った。
また行こうと思っていたら、いつの間にか閉店…好きな店って、なんでこうも移ろいが激しいのだろう。

駅から離れたUホール。かなり年季が入っていて、アクトシティが有名なこの街ではレアな会場だろうな。だけど演奏中はとてもやりやすかった。

なんだか、音楽が、ますます大事になってくるな、と思う。

終わった後、なにか、5本目にしてファイナル感。

とんでもない、まだ1/3だ。

three

関内。

音確かめの合間、窓から界隈を見て
「碁盤の目だねぇ」とつぶやくNくん。

確かに。埋立地っぽいね。
開国の時の関門の内側でっか。そんで西洋調なわけか。

かんさいとかんとーとかんけーない…とかって誰かZ級ラップしないかな。
いや失礼。

このあたりの空間に出るのは、自分はKAAT以来。BankARTも懐かしい。

音が舞台に3D座標付きで返ってくるKAATや、
ショートエコープレックスの文芸座とは違って、ホールらしい響き。

いい緊張感。そして、ユル感。

ファイナルじゃないよ、まだ三度目、そして五分の一…

今回はコーラスが多くてほぼ全曲、しかも重要な節続き。
ところが第三の男、ならぬ第三声、っていうのは
割と気楽なものでもあるんだな。

人前で声を発するたびに、虚無感を併発し続けてきた自分が
近頃は楽しんでやっとります。

団長とメンバー、お客さんに感謝しなくては!

one and two

上越新幹線の座席は
旅客機のような感覚で
シートベルトをしたくなる。
そんなエイプリルフール

駅と駅の間は
さながら夜間飛行。
時折顔を出す景色がとても美しい - のだが。
もうちょっと観たいですね。

やっぱりトンネルばかりの列車旅って、おかしいから。

たどり着いたホール、3Fに登って広々とした視界の楽屋。
昨年と同じ会場、同じくツアー初日。

一月早いからか、思ったより気温が低い。
まだ桜は咲いていない。

初日の緊張感はもちろんあるのだけど
このメンバーはもともとバンドといっていいほど
まとまりのいいカルテットに
僕が加わったというものなので

要は僕が頑張ればそれでよい。
わかりやすいね。

そんでもって、知ってる会場というのは、心強いものです。
既に、ちょっとした帰郷気分。新潟。

内容は
ご覧になっての
お楽しみ

10rigs

移動。雪が残る山脈。見えぬが近い海岸線。

やがて…標高360m超えの長野市へ。

善光寺に近い寄席会場。
意表をつかれるがなにやら初心に還れる気分
(なんでや?)

表参道はとても雰囲気がよい。
大きな石畳。アスファルトじゃなくていいね。

内容は
もちろん観ての
お楽しみ

シャンキュー

エリア51

亜墨利加51番目の州になれば…って
議員が発言してさらに呆れた事を言っているけど
これ、叩く材料だけじゃなくてすごく本質的なこと突いてるんよね

表現で大騒ぎする傘の下に、実は集団の本音が発露している
自民党がCIAの援助を受けて成立したとは良く言われていることだけど
よくよく辿っていけばそれも道理で
なんで戦争で日本を打ち負かした米国が日本の「最大の友人」になれたかというと
それは徹底した心理戦によって、日本を完全に従属させることに成功したから、だろう

開戦前にすでに「戦勝後にどうやって日本をコントロールするか」のシミュレーションをしていたという米国

…まぁ、そう考えてみれば当然のことかもしれないが…

何しろ我々の多くは、米国に従属している事にすら気づかないで過ごしてきたようで
こんなに完璧な「戦勝」はない

WW2の後も世界中に派兵して戦争ばかりしてきた米国が、決して他国をコントロールしきれていないことを考えると、彼らにとっての「戦争戦略の成功体験」って対日本だけじゃないのか、とさえ思えてしまう

ともあれ愛や酒や、金や名誉や、薬物や核や、いろいろな「依存症」は人間あるのだろうけど

日本に関しては完全な「米国依存症」が戦後ずっと続いている

かくいう自分もその一人で、音楽に関して米国の、いや現在の米ポピュラーにはそうでもないが
アメリカ音楽、その若いはずの歴史の深さと魅力にはかなり依存していると言わざるをえない

色々な人種の入れ混じったグルーヴの深さには脱帽するしかないし
発声やハーモニーのキレと雑多感、開放感はなんだ

もちろん、孤島である日本ならではの視点から見れる、音の景色はたくさんあるのだが

戦争で負けたってことは、ぼくが測り知れないぐらい
辛くて辛くて辛くて 情けないことなのだろうけれども

それに気づかずに 完璧に、サブリミナルに従属してしまった今の日本はあるいはもっと情けないのかもしれない

だって、クレジットカードも、ネットも、FacebookもTwitterもdisneyもgoogleもAppleも、ぜんぶアメリカだぞ?!

どうあがいたって、すべて掌の上やんか!?

だからって、51番目の州になりたいのか? ってことだ

ぼくらは英語もろくに操れないのに…
日本語使えるけどね

そもそも向こうから見れば、州に加えるなんて気持ちは毛頭ないのだろうし
その点でも深い二重幻想、じゃないかな

サルビルサ

パリでの事件

3日以上たっても、言葉にならない。

こういうとき報道は迅速に、とか、日本のマスコミはどうしてこんなに遅いのだ、とか
その一方で、さっさと空爆を決め込み実行してしまうフランス政府って、なんなんだ? とか

音楽の会場で起こったことでも、あり
そもそも音楽を全く禁じ、標的としての人種識別としてしか利用しないひとびとがいる、という
それだけでも絶望させる世界観

13日の金曜日の出来事であり
キリスト教国に対する敵意としては出来すぎている感あり
(自分はキリスト教徒でもイスラム教徒でもないので、到底実感はし得ない、想像でしかない)

さらにはオスマン・トルコ陥落の日から97年目でもあるという。*

無差別な悪意は価値観をどこまでも破壊してしまう。または
価値観がどこまでも破壊された結果の無差別な悪意。
対話を完全に拒絶したレベルの状態
信じるものが根本的に異なる
それは「戦い」を見事に正当化してしまう。

突如として命を絶たれた人々、その周囲の人々、「街」に対していくら哀悼しても足りぬ思いと
その加害者はいったい誰なのか、という果てしない疑惑

既にここ10数年で明らかになったように、テロ(と呼ばれる無差別犯罪)は軍事力では抑えることはできない。
戦場ではなく、はっきりとした敵味方さえ存在しない混沌の中で起こる「テロリズム」。
混沌こそが、ごく普通の人間の暮らし。

それを壊す理由が、果てしなく拡大再生産される、それが「対テロ戦争」。

何も学ばず、互いに盲目になる指導者たち。
莫大な特需を受ける軍事産業。「敵」も「味方」もお客さん。
それが無限の「成長分野」だとでも思っている?

犠牲になるのは、いつも一般の人々。

なら、兵士なら犠牲になってもいいのか?
代々兵士の家もあれば、志願した人、経済上その他の理由でやむなく入隊した人もいるだろう。
自爆した人も、自爆攻撃を正当化され、叩き込まれた若者たちだろう。

三色旗をアイコンに重ねる人、それを咎める人。
分断や煽動に踊らされるまいと、何も言えなくなる人。

まともに考え出せば、果てしない矛盾と迷路。

揚げ足を取りあう人々を上から眺めて
声の大きな者が、待ってましたと勇ましく語る。
戦いを美化するために、ここぞと腕をふるう広報。

武器を取る者。いや、気づけば武器を取り、操縦席にいる者。

その先は、地獄。

どの言語であっても、それに値するもの。

ひとつ、いい絵本を紹介したい。

スズキコージ「サルビルサ」

出版社へのリンクが見つからなかったので、探してみてください。

ひとつの大きな答えが、そこにあるから。


* 第一次大戦後の英仏伊によるイスタンブール占領。1918/11/13 ~ 1923/9/23

ひろしまのさんぽ1

修学旅行以来の 平和記念公園
引率された子供のころとは 違うのかな

平和大橋 にさしかかったあたりから
既視感 いつかの京都? 鴨川と似てなくもないような

広がる穏やかな景色に 心が吹かれ
視界を右にパン 原爆ドームが佇んでいる

橋を渡り終え 記念公園の入り口を斜めに歩いて行く
タクシーが群れる正面を入る気になれない
斜めに歩く
それだけでじわじわと来てしまう

この空気ってなんだろう

好天 気持ちのよい風 優しい木々 あまり見た事のない葉や幹のかたりくち

あまりに残酷な記録と同居する 緑と白のモニュメント

およそ60年間 じっと語り続けてたんだね

ヨーロッパからだろうか 多くの人々

二人組に声かけられ 話し込む

日本語でもいいですよ と言われるが
日本語でも難しい内容だからと 拙い英語

まとまらないことでも 話すことによって整理されてくることがある

驚くほど冷静に 物事を見ている人々がいる
そりゃそうだ 今じゃこの世に72億人も人がいる
それぞれが 視点をもっている

同時に
それだけ人が多いから その人々を誘導しあっている
誘導がいいことだとも思われているから 広告があり メディアがある
ビッグデータさえ

また

ながれていくメディアがある一方で ながれずとも消えずに
しっかりと留まっている活字もある
鶴たちの そばで

あまりの内容に 知っていたような気はしながらも 圧倒される

涙がとまらない

仕事場に戻っても ふとした折に涙がとまらない

きたぐにへのみちのり

northmid
気分は999

town
気分は…誰だ、リキか?

drove
この色の建物が見えると無条件に反射

mqm
これまでの人生で唯一ギターを持って人前で唄ったのがこの曲のカバーだったのだが…

basho
金沢近くのSA 空気がきれい
「おくのほそ道」北陸編、っていうわけです

ステージは観た人たちが楽しんでくれることが全てなのですが
素晴らしいメンバー、スタッフ、そして天才アーティストと一緒に過ごせて
幸せとしか言いようがありません。

世界最高峰が語ること

ネパールの地震…

高校時代の数学の先生は、毎年ネパールに旅してて、授業の後半にはかの地の話をしてくれた。
数学は苦手だったけど、彼は好きだった。
去年同窓会で会ったときも、相変わらずだった。

よく行くおいしいネパールカレー屋さんは今日も賑わっていたけど、
そして店員さんのご家族は大丈夫、とのことだったけど、
心が痛いし、生きてる限り、何が起こっても不思議じゃないと、また思うのです。

地球からしたらほんの薄皮の上に暮らしてるのが人類、動物類、植物類なわけで
いくらビルを建てようがモニュメントを建てようが、それはかりそめ。

とはいえ苦しさや辛さは、あきらめようとあきらめずとも否応なしに降って来るわけで
この世に天災が存在する上に、人災みたいな馬鹿なことはやめようよと思う。

そんな時がいつ起こるかわからない中で、常に恐怖して生きるのは辛い
生きてる瞬間を大切にしよう、とも思う。
みんなそれでいいとも思う。防災の訓練の為の訓練の為の準備とかをしている人を見ると、
やっぱそれは違うと思う。

だけど、どんな風に生きようと、去ろうと、後世に被害を残すようなことはしちゃいけない。

戦争や放射能汚染は、人災ですよね。

自分の何世代も後、もしかしたら人類が滅んだ後まで悲しみを残すようなテクノロジーなんて
推進してよいわけはないだろう、と思うのです。

ふゆのはじまりととしのおわり

あかいつきのよる。
Red Red Red / 赤い靴ワンマンは、Special-Tと、次元になりたくて秋から着てるVarde77の上下で。

二人の編成がユニークだけあって、ステージの並びも初体験。
ドラムの背後からベースを弾くというのは、やってる事が全部見えるから、実はとても合わせやすかったりして。
(見えてなくても合わせやすいですよ)

いいフィールとハーモニーと空気を大切にした、とびきりのグループに参加できてうれしい。

コロナの代わりに呑んだBlue Moonが懐かしく美味しくて、しばらく買い求め続けました。

akaitsuki derder77

David Matthews Tokyo Trioで、とあるクリスマスショートコンサート。

一般公演ではないけれど、観ている方々と、吹き抜けの会場の響きに力をもらいました。
生きる力とそれを結ぶ音の力というか。
聴き取りにくいモニターでもばっちり聴いてくれる波多江さんのドラム、
ハートの大きさがそのまま出て来るデイヴのピアノ。
あやとりのように、三人の一体感も増してきました。

来年、ぜひ色々なところでやりたいですね。Trioも、All Starsも。

帰路、送ってくださった藤井さんの言葉。
『日本人は、外国人が街に来たときに大抵「あなたはここへ何をしに来たの?」と聞く。外国では「あなたはここで、これから何をやりたいの?」と聞かれる。この差は小さいようで、大きい』

このごろ、気に入って読んでいたのが「倍音」という、中村明一さんの本。

左脳=管理、右脳=感性、みたいな分類って、日本人には真逆 — えっ?
しょっぱなから既成概念をひっくり返し、中盤で一般ネタで引き込み、後半で魔界にどっぷり。
本としてもいい構成だと思う。さすが内田樹さん推薦、というか文の流れも似てるなぁ。

内容的には、「日本文化は素晴らしい」という勇気づけになれど、ぼく側としてはそのまま受け入れられない部分もあるので、咀嚼が要る。
はたして骨盤は、立てるのがよいのか、寝かすのがよいのか…「密息」はアレクサンダー・テクニークとは正反対にも思えるし。
はたして西洋人の音楽や楽器は日本の古典に比べて「高次の整数倍音」や「非整数倍音」が希薄なのか…ゴスペルクワイアでものすごい声と音の渦を感じ、ソプラノ歌手がホールやスタジオをいとも簡単に震わせてしまう場に居合わせた自分には、そうは思えなかったり。
ただ外来語と同じで、鎖国の反動としての急速な西洋音楽の吸収、戦後の一層の欧米化が、日本の音楽、言語、文化に大きなバイアスをかけたのは事実だろうし、
日本人が本来の力を発揮出来ていないような部分も感じるし。

渡米前後に感じた「向こうで上手い人って、日本でバンドやってる人より音量小さいのに、すごく大きく聴こえるな」というのは、たぶん我々の多くが「倍音」の使い方を「忘れてるから」、だと思ってたり。

「間」と「数える」こと、自分が発する音と会場の響き、共演者との倍音も含めたアンサンブル、というのは、これからすぐにでも、また永く追求し続けられる大きな大きな課題だな、と思い、嬉しくなっているところです。

夏に続いて横浜〜関西のミニツアー、安室裕之グループ(っていう名でよいのか?)。
新谷くんのドラム、前回にも増してタイト。引っ張ってくれるしすごい!  互いに2度目だとバッチリ合ってくるね。
ヒロのギターは謙遜と裏腹に炸裂。喋りの饒舌もますます磨きがかかっている…
利香ちゃんは要所要所で、盛り上げてくれたし。
森本さんのドラム、超自然体で…僕の知らない事、忘れてる時間、教えてくれる。まだまだ自分は押して伸ばすべきツボがあるなと。

前回よりファンキー&エレクトリックな要素を増やしたのも、楽しかったなぁ。
地球上でまだ4〜5回の “astronotes” が意外なほど毎回うけてます。

bluesettejam94

tetsu
夜通し運転でたどり着いた、哲学の道。

たぶん、もちょっと追記します。写真も。

エノラゲイ

エノラゲイの乗組員の証言: ww2時代の日本人は、今日の日本人と違って”nice people”ではなかった、だから日本を”subdue”するために出来る限りのことをした。
Last Hiroshima bomber: “I’d do it again”:


「nice peopleではなかった」というのは、なぜだろう? 或はどうして「nice peopleではない」と信じたのだろう?
どちらもプロパガンダがないと成立しない。
“subdue”は「征服/鎮圧/抑制」えらい振れ幅のある言葉だ。

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