静かに、あっというまに元日が過ぎました。
穏やかな日でよかった。
また海にいきました。ちょうど日が丸い姿を表したとき、たくさんの鳥の群れが海を横切っていった。
災害のない、あっても助け合える一年を。
戦争のない一年を。
健康を。
願います。
みなさんにとっても、よい一年になりますように。
静かに、あっというまに元日が過ぎました。
穏やかな日でよかった。
また海にいきました。ちょうど日が丸い姿を表したとき、たくさんの鳥の群れが海を横切っていった。
災害のない、あっても助け合える一年を。
戦争のない一年を。
健康を。
願います。
みなさんにとっても、よい一年になりますように。
umi no machi – セルフライナーノーツ #2
グリーンはいつ – 1991 and November 2024
七拍子の空想歌。絵描きや物書きに憧れたころを思い出しながら。
緑がうみを囲む、夜が木漏れ日を手渡す
あまり考えず、浮かんだ言葉とメロディを録音して作っていきました。
グリーンは昔から好きなウェールズ出身の SSW であり、
かつて滞在した家のことでもあるんです。
「うみ」が近く、窓からは河原の木々がとても素敵だったグリーンの家。
だけど数十年ぶりに訪れると水辺は消え、辺りは道路で固まっていた。
人が「道をひらく」事とアスファルトは、現代社会でセットになっている。
でも、そうやって蓋した土はいつまでも黙っているだろうか?
街と緑って本当に共存できるのか?
それとも自然はもっとずっと、したたかなのだろうか。
クリスマス当日は東京・代田橋の CHUBBY へ。
Poésie de Noël – 詩の音
Hitomi* (vibraphone), 宮川剛 (drums), 小飯塚貴世江 (reading), 近藤零 (bass)
という初編成のライヴイベントに呼んでもらいました。
久しぶりの東京(蜻蛉帰りで、運転時間の方が長かったけど)で、2017年以来の CHUBBY。
あの時はじめて、flexlife の後ろでご一緒した宮川さんと、コロナ禍を超えての再共演。時が空いても何のギャップも感じない、素晴らしいミュージシャンです…って、僕が書かなくてもみんな知ってるよね。
リーダーの Hitomi* さんは凄腕の鍵盤打楽器奏者であり、面白いコンセプトで多彩な活動をされ、
また表現への愛情とパワーが溢れる方でした。
そして、二部に加わった役者の貴世江さん、声ってこんなに場を変えるんだ、と。
後ろで演奏しながら、圧倒される。
当日たまたま(ホントにたまたまです)リリースになった僕のニューアルバムからも2曲、
そして前作から1曲、などもトリオで演奏でき、本人にとってはまたとない贅沢な日になったわけです。
少ない時間での準備、久しぶりの舞台、予測してなかった「紐」の挙動…など
思い返して反省も多々です。でもそんなこんなも含めての一期一会。
いらしたみなさん、楽しんでもらえたかなぁ?!
Thank you all!
umi no machi – セルフライナーノーツ #1
アルバム収録の全九曲について、不定期に綴っていきます。
うみのまち – December 2023 to November 2024
Apple Music
しずかにはじまり、しずかにつづいていく。うみと私たちのように。
昨年の暮れ、身近なまちとうみ(湖、海)を思って曲を書き始めました。最初の行ができて年を越 し、海岸で日の出の写真を撮って年始の挨拶にしようと思っていた午後、北の海岸であの地震がありました。心がフリーズしたように、どうすればよいか、わからなかった。
3月になり、ようやく形にした “sea and lake” というインストゥルメンタル曲を Bandcamp でリリースしました。微力ながら、能登半島地震への義援作として。
僕は石川県の現状をこの目で見れてはいません。震災に豪雨。知人とやりとりしエンパシーを飛ばしても、現地の方々が実際に体験されていることには到底及ばないでしょう。
場所は違えど水辺で生きる自分が、常に想像せざるを得ないこと。自分を通過しふるわせたもの – 僕にできたのは、これらを言葉と音にすることだけでした。曲は6月にでき、11月に音を仕上げました。
自然と共に歩む人々に。つくっていくもの。失うもの。それでも。
Spotify
サウンドは、南米音楽の影響と日本の「間」を、少ない音で表しています。
* この曲の配信販売収益の七割を、能登半島地震の災害義援金として寄付します。
* インストゥルメンタル曲 “sea and lake” は、Bandcamp 販売からの全額寄付を継続します。
ご賛同いただける方は、よろしくお願いいたします。
sea and lake at Bandcamp
曲の題
タイトル。名前。
これって重要です。
クリエイティブで、
独創的にも普遍的にもなれるとこ。
「さくら」っていう曲がこの世にどれだけあるか計り知れないし
“quiet storm” っていう曲も結構あったりする(しかもジャンル名ともされている)
でもそれぞれ違う。
僕はごくごく普通の題をよくつけるけど(あかりをつけたら、とか)
変な造語もよくつけます。
「サイドミラ」もそのひとつ。
アルファベット綴りがいろいろありえるので、
便宜上、”side mira” としてあるけど
mirra でも mila でもよくて、さらに前の方も違うかも、と思うことがある。
日本で僕らが使い、認知している言葉と音と事象
これらは海外だと全く違う意味だったりする
音楽やってる身としては、把握できる言語が限られていても
アンテナにひっかかった部分はやはり気になるし、
聞き違いはあかんやろ、いや、それが大事やろ、
あるいはそれこそが世界には必要じゃないのか?!
空耳から違う価値観の扉を開くってことが!
ぐらいに、誇大妄想してしまうところ
(厚かましい…日本語詞もまだまだなのに)
ようするに自分自身もよくわかってない、ことばと音を
あとから再発見してるわけです。いつも
「サイドミラ」は、もちろん車のサイドミラーから来てるけど
それだけじゃなくて、「ー」を切ることで屈折し、変化する。
水から跳ねたウオのように。
跳ねた瞬間にトンボ (dragonfly) に捕まるかもしれないし、
着水地点を間違えるかもしれない。上がった時は昼だったのに着水したら夜だったり。
「ミラ」を、複数の綴り含めて調べると色々なものごとを指している。
カナダで AI を研究してる機関 Mila
ロシアで「可愛い」という言葉 Милая
アナトリア半島にある宿泊地 – 日本の「お手玉」の起源はアナトリア半島という説がある – 偶然
スペイン語だと「ほら見ろ」 Mira
日本だとダイハツの軽自動車がミラ
宇宙だと鯨座の変光星の名前がミラ。
ガンダムだとスペースコロニー「サイド」をミラーに、という愚か極まる兵器もあったっけ。この場合は side であり、cide(書くも悍ましい意味)とも言えてしまう。
今読んでいる山崎佳代子さんの本によると、セルビア語 の mira は「平和の」。
2,000年の間に115回もの戦争に巻き込まれた国。ベオグラードはこれまで44回も破壊された街。
気が遠くなる。
そのうちの一つ、大トルコ戦争末に周囲の大国たちが円卓会議 (round table) につき、1699年に講和条約を結んだスレムスキー・カルロウツィ(カルロヴィッツ)
そこには kapela mira(平和の聖堂)があるという。
雨の上の満月のあと
日曜は素晴らしい天気だったし
各地でいいイベントいっぱい開催しているし
満喫したかったのだけど
自分の音楽にかかりきりで
とても動けない状態が続く
久しぶりに運動し、帰りに海に数分寄る
それが精一杯の11月17日
久しぶりに外に出る。
長く音楽に向かっていた。楽器にヘッドフォン、マイクにディスプレイ。
メモにコーヒー。サイアムにグレートマウンテン。
指板に、フレットのない指板に、すぐに傾くクリップチューナー。
アイデアスケッチしようと録音開始すると数分待たせるサーバー。それは永遠。
ミキシングルームがないので作業はヘッドフォン。たまにリビングで音を出す。
マランツのアンプと ELAC のスピーカー。
あとはカーステ。
何百キロも離れたスタジオに入りたいと思わないわけでもない。
最近はホームスタジオも増えた。知人の多くは自宅で音楽を作っているし、
むしろその先頭を切っている。
だがここは170度ぐらい違う。
限られた時間に録る。または練習する。
音を出せない間に、アイデアを練る。
シンプルイズベスト。レスイズモア。
そして今書いたようなことを全て忘れ、外に出た。
何をしたっけ。もう覚えていないよ。
先月カメラを買いました。
Nikon の Zf
フルサイズのミラーレス
レトロルックで中身は現代
銀河鉄道999 みたいな機械です。
1年近くいろいろなカメラを借り
Lumix の S5IIx や Olympus の OM-1 と相当迷ったけど
ファインダーを覗いたときの世界に惹かれました。
ルックス最高、質感は妥協
でも芸術を感じるし
威圧感がないからどこでも素で持ち運べそうかな
っていうのが大きかった。
買ってみてどうかというと
40mm の単焦点レンズがまだ使いこなせない。
自分がいつもイメージしてる画角はもう少し広いようで
いつも数歩 あとずさりを余儀なくされる。
操作性も、承知の上とはいえ。
レバーとボタンとダイヤルとタッチパネルを駆使しながら
あれ、そうなん? みたいなことが多々。
以前と変わらず、シャッターチャンスいつも逃してます。
ま、そんなんですがどうぞよろしく。