8.17 海の街 音楽会

大好きな矢野誠さんと、ひらたよーこさんのユニット「やのこにょら」
久しぶりの湘南、海の街で、一緒に音楽会をします。

矢野さんと知り合ったのは、ずいぶん前、渋谷の駅前でストリートをやってたのを
クラブ DJ の二人組が見つけ、ライヴイベントに呼んでくれたのがきっかけ。

当時僕はアコースティックポップのトリオで、クラブやカフェで主に活動していて
その日は六本木だったのだけど、そこで主催バンドをやられていたのが、矢野さんでした。

印象派的でアフリカンなアプローチでのインストゥルメンタルトリオ。人力テクノ感もあったり。

他にも VOJA で鍵盤をやられたり、独特なハーモニーのコーラスグループ、みんなのうた…

それでもその頃はまだまだ、矢野さんの凄さがわかっていなかった!

後から知れば知るほど、聴くほどに、どんな風にレジェンドだったかわかっていったのですが
変わり者の僕を、矢野さんは、なにかしら気にかけてくださって。

コロナ禍中でのリモートレコーディングとは言え、アルバム「ミライのキオク」に参加できたことは、宝物です。

近年は鎌倉から国府津に移られた矢野さん、長年続けられてる、ひらたよーこさんとのデュオは、少し違う背景を持ったお二人の息が、とても素敵なんです。

そんなわけで、書き出せばきりがないのですが、

うみのまち同士の二組でのジョイント、
はじめての、お薦めのカフェ マリアージュにて、8月17日に行います。

どうぞお楽しみに。

シューホーン、シラブホーン

壁に SHOEHORN というステッカーが貼ってある。

新幹線でたまたま乗り合わせた、大柄な米国人。

面白そうな音楽家だったので、連絡先がわりにステッカーをもらった。

何年前のことか。ずっと昔だ。

連絡はとっていないが、彼の住む街にはずっと憧れがある。ポートランド。


日記に書いていないことがいっぱい。書かないと忘れていくし、消え去ってしまう。

いや、すべてはもう過ぎたことだけれども、それを消すか残すかは、人の気持ちと行動次第なのだ。

いつかかく、とおもいながら、エネルギーを保てず数ヶ月が矢のように経過する。


そんなことより、音楽に向き合うだけで精一杯だったりする。
実際それは結構幸せな瞬間だったりして、その瞬間は数時間になり、日記書いてる場合か? となっている。
というより、あらゆるタスクが追いつかない。

音には向かわねばならないし、ことばにも。むりだろ。それでもやんなきゃいけない。

もういい加減、無茶振りばかりの毎日は勘弁なのにさ。

中川村の夜空

さすがは信州伊那谷、あかりがあっても星がこれだけ見えます(写ります)

いつか星景写真用のレンズで撮ってみたい。

うしろの珈琲

伊那まちバラジャズストリート
rear coffee

街が音楽で満たされるこの日
伊那に暮らす人がちょっとうらやましい

昨日に輪をかけて暑く
長時間駐車のクルマはサウナ状態

ここに楽器置いとくのはあぶないな〜と思いつつ
まちフェスだしね 置く場所は限られる

15分転換っていうのも
予想してたとはいえアタフタで
一人にしては荷物が多い僕は
サウンドチェックがやっと


そんな中
お客さんのノリもよく
すごく楽しかった

この日のために自己無茶振りで作った曲も
案外うけてもらえたし
ルーパーが作動しなくても
そんなことしらないお客さんが
手拍子でそれ以上のグルーヴをくれたり

— set —
ドリップホップ
うみのまち
よこくの太陽
うみにゆらるかげ
アフロアルバ
るびーどろぼう
スフィア
みつかったぞ

こねりとよはくのどらやき

「こねり」は中川村のすてきなお店。

一見古民家のパン屋さん? カフェ? という姿だが、
「暮らしの工房 こねり」
という看板、それだけではない様子。

洋と和の生活空間、人工物と自然が、ゆるやかな境界で存在してる。
なんて文字で書いても難しいか。

まだ山並に雪の残る3月、訪れたときなんとなく

「なにか、イベントのお題、ありますか?」と訊いてみて

女将のさおりさん曰く、「余白」と。

それは半ば、期待通りのお題で
僕の音楽は、たいがい余白…休符や少ない音数…を大事にしているし

タルマーリーの渡邉格さんとも昨年そんな話をしていたし…まだ答えがみつかってなかった…

なんか、その一点だけでも、すごく楽しみにしていたわけです。

当日、お店にたどり着いて
場所に感動するのも束の間、セッティングが結構大変で、あっというまに時間が来てしまい。

和室ひとつをまるまる舞台にして、向かって左と前に、和室と洋室お客席がある、という
今振り返っても、すごい余白のレイアウトでした。


本編は僕ひとり。
一曲ゲストで法嶋さんのギターとのジャイヴ、
そしてアフタージャムで、ハチ子さんとにわこさんにも加わってもらい、楽しいボサノヴァを。

— 1st —
うみのまち
グリーンはいつ
Man in a Shed (Nick Drake)
うみにゆらるかげ
満たされるつばめになってくれ。
余白のどらやき
みつかったぞ with ジョーさん

— 2nd —
ドリップホップ
アフロアルバ
るびーどろぼう
ゆみはりつきよ
O Trem Azul (Lo Borges)
plum

— jam —

Só Danço Samba (Tom Jobim) with 伊那谷フレンズ

 

帰り路に丘の麓から見た北斗七星が、とんでもなく美しかった。
なんで撮らんかってんって それも 余白ですよ。

回想の水無月

今年の6月はいろいろなことがあって
忘れえぬ月だったのですが
書いてないと何もないかのようですね。遅ればせながら、後追い日記です。
(7.16 記述)

まず、5.17 の鴨江珈琲ライヴで豪雨に見舞われた僕は、
水無月にはどんなことになるんだろうと、特に中旬の長野、伊那谷行きは
連日雨で、道も閉鎖されたりしてるのかなとか、つまりたどり着けるのかとか
雨だらけで誰も家から出て来ずお客さんがいないとか、逆に退屈凌ぎに来てくれるんじゃないかとか、

鴨江以上に、雨の曲をいっぱいやらねばとか。

それはもう、いろんな雨の曲を準備していたのです。ところが。

豪雨だったはずの予報は日を追うごとに変わっていって、晴れ晴れ晴れ、雨ないやん、梅雨はどこいった…?

で、雨の曲は軒並みボツになって、そのかわり、やるお店にちなんだ曲を作ることにして
(頼まれてもいないけど)

まぁいろいろ準備して、伊那谷に向かったわけです。

あ とても長くなりそうなので 続きはまた別に記します。

きたみち

長野に旅する前にリハーサル
帰り道、峠を越える

うちからさほど遠くない場所でも
光害がないとこれだけ星が見えるのです

NIKKOR Z 40mm f2.0

6.21 いなまちバラジャズストリート

伊那市で続いている町ぐるみの音楽イベント、伊那まちバラジャズストリートに参加します。

先日、伊那谷の中川村から松本へは旅しましたが、伊那市内は未体験。でも音楽が盛んで、ベーシストの水谷さんが移住されてからシーンを引っ張ったり、中学生から大学生まで盛り上がったりと、噂はほうぼうから聞こえてきます。スズキの鍵盤ハーモニカを駆使する夏秋文彦さんも中心人物ですね。

僕は、rear coffee という、めっちゃおしゃれで面白そうなカフェで、演奏の場をいただきました。
17:45 ~ 18:15 の30分間。入場無料(投げ銭)です。

僕の音楽性はいろんなものが混在していて、ジャンルで固めるのは難しいのですが
ひっくるめてジャズともいえるし

コーヒー音楽であることは確かだし。最近もそういう曲つくったばかりだし。

前日の、中川村「こねり」のライヴ共々、どうぞお楽しみください。

自助と漣と

配信リリースしているアルバム umi no machi について
この度最初の集計を受け取り、能登半島地震の義援金を寄付しました。

アルバム冒頭曲 “うみのまち” は、Apple Music / Spotify をはじめとする配信・販売収益の七割を災害義援金として寄付しています。
また、インストゥルメンタル曲 “sea and lake” は、Bandcamp 販売からの全額寄付を、昨年三月より継続しています。

アルバムリリース以降を含む11〜2月の集計に基づき、郵便局にて寄付金を振り込みいたしました。

まず、サブスクリプションで広く聴いてくださった皆様、そして Bandcamp で購入くださった皆様に、深く感謝申し上げます。

個人レーベルとしての配信に、今回 Friendship. さんからのサポートをいただいたことで、
今までとは比較にならないほど広く、音源を聴いてもらえています。

とはいえ、実際の収益という面では、思ったよりずっと、漣(さざなみ)であり、
これは「配信」の仕組み上、そうなのだろうけど、無力をドーンと感じるところです。

たとえば、現状の20倍再生してもらえれば、ある程度まとまった額を寄付できることになります。

でも、だからめちゃくちゃ僕の音源をプッシュ! しまくるべきなのかといえば、
…僕の音楽はそういうタイプではない気もしてしまいます。
もちろん広く聴いて欲しいけれど、それとは違う何か。

相互扶助を成立させるために、資本主義的に活動しまくれるのか、
マーケティング的に告知できるのか、といえば
たぶん、けっこう僕には難しい。

どうすればよいのか。


そもそも、このような形での義援金に、果たしてどれだけ意義があるのか。
実際に援助として効果があるのか。
「やってみなければわからない」ことだと思っています。
っていうか、そんなことにテンプレートがあっても、なんかそれって、ちがうやん。

援助は、意思があってそれを実行できる人が行い、それによって相互扶助となることが、さまざまな地域/境遇で暮らしている私たちにとって、大切だと思います。自然災害はいつ、どこで起こるかわからないのだから。

税金で賄う公共の福祉が十分であればよいのだけど、いろんな意味で、私たちの運命は「自助」という言葉に押し込まれていく。

援助には「気持ち」と「実際」の面があり、後者でいうなら、ある程度の金額を寄付できないことには、人を助けることはできない。そうなると結局、お金持ちをどうやって動かすのか、って話になっちゃいますよね。
一方で、ひとつのきっかけとして、より効果的なやり方の相互扶助につながれば、全くの無駄ではない、のかもしれません。

たとえば僕のやってることを見て、じゃあ、私はもっと効果のあるやり方をする、という人がいれば、それもよいと思います。


いずれにせよ、この義援金は継続します。

忘れてしまわないこと。自分のこととして、感じ取ること。自分の身の回りを見ること。

ご賛同いただける方、よろしくお願いいたします。

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