虫って
蜥蜴や蛙、蜘蛛や蜈蚣も含むのか
あくまで昆虫だけなのか
それには議論があるようだ。
いや、漢字を見る限り、前者はむっちゃ虫やんか。
虫は
虫眼鏡で見るから、虫という。
それぐらいでいいのではないのかな。
虫って
蜥蜴や蛙、蜘蛛や蜈蚣も含むのか
あくまで昆虫だけなのか
それには議論があるようだ。
いや、漢字を見る限り、前者はむっちゃ虫やんか。
虫は
虫眼鏡で見るから、虫という。
それぐらいでいいのではないのかな。
Yes のギタリストといえば Steve Howe か Trevor Rabin が有名、
なんで初代の Peter Banks はそんなに評価されていないのだろうか?
レコードを聴く限り、彼のプレイはとんでもなくかっこいいのだが。
SNS をやめると見事に世の中のフローから取り残されるので
日本の音楽界隈が今どうなっているのか、皆目わからず。
しかし一方、情報を遮ってつくづく感じるのは
シーンとは作り物 = 良くも悪くも集団幻想なので
それに乗るもよし、乗らないも吉ってこと。
手が届く範囲で、何かが起こっていれば、それがいいんだと思います。
古くても、新しくても。
とはいえ、知り合いの日記を読むと、驚いたりしますね…
思い出深い場所がクローズしたり、店の形を変えたり、すると…
熊本の TATOMIYA。ここも大変お世話になりました。
サンドイッチは美味しかったし
マスターは「トーキンブラザー」を気に入ってくださったし
flexlife に便乗して変わった演し物もさせてもらえたし…
で、なんといってもこの空間がいいんですよね
グリーンの場所にとにかく弱い拙者。
自ら訪れることは、もう九分九厘できないけど
近くの方はぜひ、まだイートインできる間に行ってくださいな。
パーティーは5/8だそうです。詳しくはこちらで。
こんな雨の日曜は気兼ねなく家に篭る。
昨日出かけてよかった。
写真を撮る。IKEA のお気に入りの色のスタンドが活躍する。
安っぽいクランプで足元が覚束なくアームも動いているんだか動いてないんだか。
使い勝手はすこぶる悪いのだが
このターコイズグリーンはすべてを帳消しにしてしまう。
音を出せないときはトランスクライブ。
譜面なんてネットに落っこちてる、と思いますか?
そんなことない。自分の耳で聴きとるのが、遠回りだけどいい。
それが合ってるのかどうか、手元の楽器で確かめる。
弾けるようになるのとは別問題。
だけどやってみると、何かを得る。
近道なんて、ないのです。
たぶん。
山に登り、地下に潜る。
ほぼ 一年半ぶり か。
要は「鍾乳洞」に行ったわけである。
コウモリが舞う洞窟は、冷んやりしている。
かつて洞窟が「発見」されたとき、微かな光に浮かび上がった石たちのかたちは
掘削者たちに多くのインスピレーションを与えただろう。
身体性を少しずつ取り戻している。
使わなかった動きを紐解き、バラバラな回路を結びつける。
あれとあれって、案外同じ動きでいけるんだな、
こういうのって嬉しい
小さい頃からずっと繰り返して聴いている曲は
とても短かったりする。
最近は数十分かかる音楽も聴くようになったが
やはり二分台の音楽はいい
隙間の中に
凝縮されている
季節外れの紅葉に
燕が舞い
満開の藤に
熊蜂が舞う
そんな春
ゆきだるまは巨大化し
地面はぐるぐる回される
りんごはぐ〜るぐる
日没後 段ボールをリサイクルボックスに持参しつつ
海にいく。
相変わらず誰もいない。ここが賑わうのは初日の出ぐらいだ。
流れが速く海水浴できる場所ではないし、勇気あるサーファー以外は水に近寄らないのだ。
ふと日本海を思う。
丹後由良や出雲、鳥取砂丘に小浜。魚津。
なぜかアットホームに思う。山地で生まれ湖岸で育ったのになぜだろう。
うち出雲だけは未だに訪れていない。
京都の親戚が数年間、出雲で暮らしていたので、勝手に「いつでもいける」気になっていたが
それが「いつもいってた」にすり替わってしまったようだ。
魚津の駅前がとても静かだったことを思い出す。
静寂のある街って、すごく貴重だと思うのです。
とぎすまされる。
下手な音は出せない。
それって、プレッシャーだろうか。
喧騒に紛れてなんでもできる、っていうのは
それはそれでいいことなんだろうか。
また、「それぞれ」に戻ってしまう。
海はそんなことは気にしない。
とても小さいグロッケンで
音を録る
大人には眩しすぎるほど
澄んだ高域がはじかれる
曲に合ってるかはわからないけど
大きな楽器も小さな楽器も
出会ったものとはつきあっていきたい