いやぁ、そっくりでしたね。ジョー。
’80年代の大月錠一郎の風貌は「音楽密造者」日野原幼紀さんのジャケ写そのもの
…って誰が思っただろうか。
『カムカムエブリバディ』
この朝ドラは、綿密な設定に役者の演技に、素晴らしかったです(最終話のみ残した時点で)。
英語も時代劇もいいのですが、やはり音楽に関わってきた者として二部からのジョーとるいとトミーの物語には感じるものがあり。
また、虚無蔵さんや五十嵐含め、夢を失った人たちとその後の話なのがいいのかな。
ただツッコミどころはいつも満載でした。
突っ込めないとそれはそれでつまらないので、これは却って楽しみでもあり。
本日 (4/7) の放送回、アニーとるいがやっと再会する場面、
最高の舞台で奏でられているのは On the Sunny Side of the Street
…なのに
スローモーションの二人の世界、そして視聴者には、弦楽の別の曲が聴こえているんですね。
これは複雑でした – いい曲でしたが。
この舞台は二人にとって最高のもの、でもあるけれども
それ以前に、クリスマスフェスの真打ちを楽しんでいるオーディエンスの、そして全身全霊を注いでいるバンドマンやスタッフたちのもの。
ハプニングで、ゲストシンガーが歌い終えた途端に舞台を降りても、抱き合っても、それは受け入れるかもしれない。
だけど、なぜその曲が Sunny Side of the Street ではないのだろう。
別の時空に遷移したとしても、別アレンジの Sunny Side でやることってできなかったのかな。
人前で演奏してきた経験を振り返ると、
あくまで陰に佇んで、というときも、世界の中心にいるつもりで、というときもありました。
どちらも正解で、どちらも唯一の答えではなかったと思います。
音楽の捉え方はさまざま。奏で方もさまざま。
そして、奏でたり聴いたり、その場にいたりする「こころ」も、さまざまでしょう。
いろんな想いがあって、舞台はできています。
少なくとも、そうだった、と思います。