小惑星はどのあたりをどう通過したのだろう。
災害は言わずもがな、なにがあるかはわからない。日々を大事に。
これまで多く引っ越しをし、基本的に狭い部屋ばかりに暮らしてきた僕は、
極力モノを置かない派である。
常に自分自身が小惑星だった、としておこう。彗星…ぽくはない。
そもそも楽器がでかいので、他を圧縮する。本も極力ためず服も僅かだ。
一時の迷いで異様に溜まった Type-2 のカセットテープや DAT は未だに整理できないが、
デジタルで済むものはさっさと手放してしまう。
楽譜もそうで、仕事の楽譜はデータで届くし、自分で作る楽譜もたいがいはデータだ。
それでも長年印刷した譜が書架でカオスになっていたが、思い切ってほとんど処分した。
もし必要になったらどのみちデータを直して印刷してメモして、覚えることになる。
今は違う軌道で、カオスの奥をよみとりたい。それって小惑星の仕種か?
とはいうもののデジタルどころかはるか昔、子供の頃に持っていた楽譜はちょっと意味が違う。
質感とか温もりとかそんな甘い感慨ではなく、まずもって鉛筆で書かれた日付に驚愕する。
何も書かれてないのはサボったか永遠に後回しにしたか。余裕でやったということはあり得ない。
それが何十年も経って、永遠の後回しパスが、繋がる。また鉛筆で日付を書く。
水平思考、ダジャレ好きの弊害というか、僕はすぐに視点が移ろい、物事が長く続かない。
何年に一回の彗星飛来みたく、何層にも日付を書き残すことはあっても、
これって何度目のラストトライ? と、冷めてくことばかりだ。
中心核は氷より冷たい。
いい加減そんなこともしてられないし、
幸か不幸か、割って入る案件も当分ないわけだし、
ここでつなげないとな、パスを。
それでもつながんなかったら、カークウッドの空隙に。
寝際にコメを焚き、冷水を張った土鍋の持ち手で指を軽く火傷。保熱力に恐れ入る。
彗星の中心はきっと熱い。
今宵これにて。