ふと、指数関数というものを思う。
コロナ感染状況、でよく聞くようになった言葉だが、昔数学で習ったものだ。
あるいは、たった今学んでいる人もいるだろう。その人たちに比べて自分がどれだけわかっているかは、正直あまり自信がない。
だが、ふっと思う。
人の気持ちや、感情の伝播って、指数関数的なとこあるのかもな。
何か、弱みを見せた強者*に、よってたかって攻撃したり…ていうこともそのひとつ。
礼讃も。
人間ひとりの中にも、集団真理にも、それはあると思う。
エスカレート、ってやつ。いや、エスカレーターって直線だから、もっと別のか。
連鎖反応。制御できないもの。
ウィルスの増殖や、…も…
僕の中にも、指数関数的な動きをするところは少なからずあって、
それを音楽で使ってたことも、ステージングでそうなってたことも、あったかな。
気をつけなあかん、とも、大事にせなあかん、とも。
SNS とかって、集団の動きを網で獲るものですよね、とっくに、そういう部分は解析されてると思う。
そしていろんな AI が、制御不能な部分をみて、制御しようとしてる。
エキサイター、コンプレッサー。ダイナミック EQ。
そっか、炎上ってやつも、これか。
パワハラも、DVも、虐めも、ですよね。
たぶん、生贄も、ローマのコロッセオで繰り広げられた殺戮競技も、
革命や戦争でおこった…幾多の残虐行為も…こういうことなのかもな…
人間、学ばなきゃならんこと、多いと思う。
8月6日になった。
8月7日になった。
* ここがどうして『強者』なのか、読み返すとひっかかり、考えていた。
「相手は強いから何をしてもいい」(思い込みを含め)と、タガが外れることや、仮想敵のようなものに操られる、ということ(それも戦争のひとつ)の怖さ、を表していたのだが、
それ以前に、強くない者に対する攻撃、という、論外なことがあるし、
力を持つものは、不当なことをしても護られるべき、となればそれもおかしい。
こう考えると、『強者』ではなく『者』の方が正しい。
ただ、決して間違いを認めない強者、みたいな輩が多いのは、間違いを認めたら最後、集団で寄ってたかって晒される、と肌で感じている(恐れている)からかもしれないな、とも思っている。それが「保守」や「自由競争」の正体かもしれない。