空気の流れが激しいなぁ、いや、風が強いなぁ
景色が広いなぁ、山の上のハイウェイオアシスって壮観だなぁ
そんな夢(悪夢でなくてよい)を見ながら、壁の中で忙しく暮らしている。
Don’t Box Me In って曲、Coppola のサントラで Copeland がやってたな…と思い出して、そこからこの曲でコラボしている Stan Ridgway を聴き出した。
声質が面白い。コメディアンのような、TV 向きのような、なんというか。
彼がフロントマンだった Wall of Voodoo の live を数曲観る。思ったよりシンセサウンドだった(で、曲はピンとこなかった)が、ドラマーがオクタバン使ったりしてるし、Stewart との接点はそれ以前からあったのかな。逆もまた。
彼はハーモニカといい語り口調といい、ありそうでない感じなのがいい。
というか… キャラが面白い。
“You categorize this music? Does it have a name?”
“Hmm… I’m mostly just as confused as anyone else as to what to call it”
* 尚 Stu & Stan の Don’t Box Me In はなぜか Apple Music, Spotify で見つからない。日本で配信権がないのかもしれない。YouTube ででも探してください。珍しくマッチドグリップでスネアを叩く姿…
あった。
ワシントン D.C. では Amanda Gorman が素晴らしい朗読をしていた。
大統領になりたいと明言しての 5’30”
最後のリフレイン
there is always light
if only we’re brave enough to see it
if only we’re brave enough to be it
光をみる、光になる。ゆうき。
僕は しかして、ここ数年、光の意味を考え直している。
闇が光を輝かせる。門が音を響かせる。
と同時に
ダークな色がもてはやされたこの数年、これからは確実に反動がくるだろうな。
とも思う。きたるべき、光と高彩度の世界。
これらが現すもの。世界は二極なのか。
light と right はどうしてわかれるのだろう。
(興味あれば、一昨年書いた quiet storm / ohashiTrio の詞を読んでみてください)
あえて、自分は両方であろうとしている。
なれるのかな。
Amanda に戻る、途中、煌めいていたひかり
change our children’s birthright
こたえ、出てるね。