アーカイブ: 2020年12月

ねずみのしっぽ

年末ですね

今年は満月と年末が重なったことも
連続配信の最終が12.30だったこともあって
この年の最後にどんな曲を形作れるか、心配だったのですが
そのせいか、2曲も形ができてしまい、どうしようと悩んだ結果。

これらは両方、今年に出さないといけないという念が強く、
12.30と12.31にリリースすることにしました。


Rio 2020.12.30 release online


tail of the future 2020.12.31 release at bandcamp*

4日前の日曜に思いついた後者の曲に至っては、
年末の掃除とか、諸々を掻い潜っての極限状況であり、
例年ならさっさと尻尾を巻いてしまうところだったのですが、
あかんあかん、こんなことばかりしてたから俺はずっと人生を棒に振ってきたんだ、
と再認識し。

もちろん、時間が許せばもっともっと凝った、詳細な形のものにできるのはわかりきってるけど、
それって、違うんですよね。


今年が始まったとき。

2020っていうのは、twenty twenty と言われ、
視力で言えば最高(両眼 2.0)、すべてが遠く見渡せるとき、

というので、僕も、とても先まで見渡せる、重要な年になると信じていた。

それが、全然違う形になる、そんな兆しが見えた1月の終わり。姿を表した2月。

その後のことは書きません。

だけど、僕が感じ取ろうとしていた、2020とはなんだったんだろう?
と思うと、不思議でなりません。本当に。

オリンピックイヤーではない、本当の意味の、twenty twenty。自分に直して、価値のあるのはなんだろう?

こんな思いはたぶん、二度とできないと思う。だから今年中に、スケッチであっても形にしようとしました。


去年か、一昨年か、数年前か。あるいはずっと昔からか。

列車でも、街中でも、書籍でも、CM でも、無敵ワードのように使われていた言葉。Mirai。

なんでみんな使うんだろう、でもそりゃそうだよな、僕もそうだもんな、と思いながら。

そう言えば、僕は2011、あの時の直前に こう確信していた 。封印してたけど。

まだ、こない。だから、こそ。


それを考え直し、自分なりの表現をするのが、今年だと思っていた。

ユートピアか、ディストピアか。お互いが仮面を被って巧妙に手を結んでいるのか。ますます見えなくなっていく。

だけど、それを超えたい。見つけたい。

実際は、表現どころか、考え直すこともできなかった。自分はただひきこもり、曇っていただけだ。


だから、この言葉は、ポジティブな人や、あるいは別の人たちに、委ねるのが妥当だとも思う。
自分とは違う並行宇宙。それでも、いいよね。

それぞれだから。「未来」。


そんなこんなも含めて、今年中に形にしたかったコンセプト。

ぽっと曲が浮かんだので(たぶん、これはオリジナルでもなんでもない。ただ、僕が影響をうけたものを、好きな形のスケッチにシンプリファイしただけだ)、録音し、歌詞を形作ってみた。

2020、ネズミの最後、尻尾が彗星と共に消え去る前に。


録音したこの曲 “tail of the future”。
が、配信サイト、12.31になっても、夜が明けても、正午になっても、一向に置かれる気配がない。

リリース日はあくまでも2020.12.31なのだけど、年明けてからじゃ…少し違ったものになってしまうんだよな。


というわけで、初めて、bandcamp なるものを開設してみました。

こちらは、当日でも、アップした瞬間にリリースができるようで。
既に Apple Music その他に配信* しているものと同じなのですが、こちらはダウンロードもでき、フォーマットもたぶん、ずっと高音質です。

だけど、急ごしらえということも、そもそもがボーナストラックに近いということもあって、今回はスペシャルプライスにしてみました。
この価格が妥当なのかどうか、正直よくわかりません。だけど、考えた末です。

紅白歌合戦なるものが流れている間、裏の裏のチャンネルとして、聴いてもらえたら、嬉しいです。
少なくとも、世に普通に流れるのとは違った意味で、相当面白い曲だと思っているので。

* 配信サイトについて(2021.1.2追記)
この曲はアグリゲーターを通して各配信サイトへのリリース準備を行ってきましたが、想定以上に日数がかかっているため、今回は bandcamp 限定にて配信いたします。
ストリーミングをお待ちの皆様、ごめんなさい、bandcamp をぜひチェックしてみてください!


通常通りに配信されている “Rio”

これはずいぶん昔に地球のほぼ反対側で書いた曲です。
それ以来、何があったのか?
こちらもずっと手を出さずに封印していたのだけど、今年になって形にしなきゃと思い、5月に曲の構成と歌詞を固めました。ガットギターとフレットレスベースもかな。
だけど、難しかった。とにかくこの曲は難易度が高い。

8月、改めてトライしたものの、どうにもならなかった。
(ハイハットと、ライドシンバルは、この時にどこかで録音したものです。コーラスもか。)

これは最初から、シリーズラストにしようと決めていたので、12月後半、改めてトライした。
ダブルベースを底辺に重ねて、改めてメロディ。

どうなっただろう。これが今の自分のできること、である。


よいお年を。アデュウ。

小晦日

今年も一年、おつかれさまでした。

ご覧になっているみなさん、仕事した方々、交流した(ほとんどそんなことはできなかったけど)人々、拙い僕の音楽を聴いてくれたみなさん、詩を読んでくれた方々、改めて感謝申し上げます。本当にありがとう。

ようやく仕事も自分のプロジェクトも終わり、一安心しています。

去年は今頃…ここから夜明けまで、原宿でたけちゃんの sax のオーバーダビングだったかと思うと…

どっちが幻、という感じ。あの原宿駅すらないし、勝手に自分のガレージと思っていた WGT さえ、もうすぐなくなるというし…

コロナ禍がどうなるのか、全く油断できない状況ですが、
これからも – これからこそ、命を大切にしましょう。
たとえ、誰かが、自分はどうなってもよい、と思ったとしても、
この病気は誰かをきっと巻き添えにします。

医療従事者、社会生活で関わる人々、あらゆる業種の方々、家族、親類、仕事先、友人。

僕は極力(おそらく、平均よりはるかに)人との接触を減らしていましたが、
それができたのはラッキーでもあり、また、それにより失ったものも多かったでしょう。

来年も有り難いことに少しはオファーがありますが、
今年がそうであったように、全くわからない状況も続きます。

違うことを始めるかも、しれません。正直それはわからない。

今年は無茶と無理を承知でひたすら曲を作り、発表し続けました。結果はどうあれそれはよかったと思う。

これからも、みなさんそれぞれが、それぞれの道をいき、あるいはつながり、
次の年、明日、時代、未来、世 … を生きていくことでしょう。

風の時代が始まったというけれども、僕には土がこれまで以上に大切な気がしている。
だけどそれは、捉え方次第。人それぞれ。

がんばっていきましょう。

2020.12.30

そこからひろがるむげん

だが

こんな日でも

クリスマスは

違う文化の祭りとはいえ

ありがたいと思うよ

静かに

ただ静かに

夢のかけらを

そこから広がる無限を

おもう

「正義」の格差

これ以上
格差を広げて
どうするんだ

強欲の
ごうつくばりの格差

自由の
情報の
利権の
格差

そして
誰もが一度は拠り所にし
夢にも見るだろう
「正義」の格差

「正義」がその視点によって
いくらでも変わりうる事ぐらい
悲しいけど とっくに
気付いてしまっている が
こんなに出来の悪い「正義」もないだろう

自分たちが生き残るために
報道を 司法を 幾重にもねじ曲げ
命の選別をし
民を番号管理し

つまりは家畜扱いする

家畜にも失礼
奴隷といった方が
やはり正しいか

愚かな人間の歴史
繰り返す

誰もの夢を壊した
誰もが生きる上で抱く夢を壊した
人たち

愚か

国としてもレベルが低すぎる

こんなんじゃ

また戦争させられて
今度は滅びても不思議じゃない

こんなんじゃ

「蜘蛛の糸」が書かれ、読まれた国とも思えない

土星の唄

土と木の星の共演はすばらしかった。

鏡筒の中で
ぷるぷるぷる
震える惑星

左が土星
環に見えなくもない

位置関係は

引っ張り出した望遠鏡の
直角鏡筒の接眼レンズ側に
iPhone を当ててるからこうなっているのであって

実際は違いますよね、確か。

旧友のフォトグラファーに教えてもらった方法

寒さで震え、強風で望遠鏡が震え、これ以上の倍率では視野におとなしく収まってくれなかった
木星と土星。

しかし眼ではもう少しくっきり見えた。感動。


小さい頃は…

今頃とっくに、土星に「行けてる」と、思ってた。

土星が大好きで、なんならこの世の中で一番好きなものは土星だった。
いつも、落書き帳に土星の絵を描いていた。それぐらい。

それからは、何が好きだろう。
ハイハット。オムライス。いなり寿司。黄色くて楕円形、というのが共通項だが
これらも、土星に由来していたのか。知らんがな。

だが天体観測は早々と諦めエレキベース始めたし、
以来惑星の運行がさっぱり頭に入らなかったから、
望遠鏡でも土星を見たのはこれが初めて。

もう一度ぐらい、自然の中で見たいものだ。

畑に行くと、とっくに山の奥に二人は隠れていた。
その他全天に火星と月と恒星たちが広がっていた。


次の曲。

今年はあともう一回、満月が来る。

次は Ray Kondo 名義で、リリースできるか、できないか、というところ。

不慮の案件に忙殺されれば、できない。
年末だしもう24曲出したしそこはご了承願いたい。

だが、できそうな気もする。

今作っているのは、ひとつは変拍子。

だがもしかしたら新しく書き下ろすかもしれない。

どちらがよいのか、わからない。どちらかが木星で、どちらかが土星だとして?

moon

moon / stillbeat
moon x moon #24
2020.12.15 – new moon
release online

2020年、stillbeat としての最後の作品。
配信日の設定でややあって、数時間〜1日遅れたもののリリースできました。

歌詞 はこちら。


月っていいなぁ、と、小さい頃から
…というか むしろ大人になってから、いつも眺めていたのですが

コロコロかわる姿や位置がよくわからず、いままでなんとなく
あー満月だな、半月だな、ぐらいに思っていました。

こういうのを小学校でちゃんと習ってれば良かったのですが、
僕は今年になるまで
「月の満ち欠けは、月の出と月の入りの時間と結びついてる、ただそれだけ」
というのを理解してませんでした。

だから、三日月は必ずすぐ沈む、下弦の月を見ることはあまりない、
新月は夜にはそもそも浮かんで無い、

ということも知らなかった。太陽と地球と月との位置関係、とか、要素が多そうで難しいな、で留めていた僕がアホだった。

(これを理解したのは、高性能な iPhone App、”Moon Pro” のおかげである。紙の教科書に絶対できない方法で教えてくれたこの先端技術には、とても感謝している)

それで、満月はちょうど日の入りから登場して朝までずっと空にいるので、そりゃ毎回いい舞台が用意されてるけど、新月は、日蝕以外はホントひどい扱いされて、しかも夜には既に沈んでいる、黒い月や透明な月なんでどこにもない… とさえわかってあげれなくて、そりゃもう。

すまんかった… every new moon。

ともあれ、今年最後の新月は、太陽と並んでこの寒い空を旅し、
もう沈んでしまって夜空にはいない。
あるいは、地平線近く、太陽が沈んだ直後に一瞬細いツキが見えたのかもしれぬ。

しかし、月のいない夜空は、あるいは、思い通りなのかもしれない。
星たちの? 動物の? あるいは人間どもの? 報道官の?

それがいいことなのか悪いことなのかもわからないけれども。

少しだけあたらしいものの見方を知ったからには
ふるきよき昔も はかり知れなさに気を失う今も 感じ取りながら
これからもステップしていこうと思う。


誰にも止められないのだ。
ステップは。きみの。


上に不覚にも書いてしまったものの

今回の詞では「きみ」を使いませんでした。

元々、僕は小さな頃から日本人の癖というか
一人称、二人称をはっきりつけるのが苦手で
「私」とか「君」とか「あなた」とか
なんだか吹き替えみたいで抵抗があったのですが

何故かある頃から感覚がひっくり返り、それからは免疫がついたのか

歌詞には「きみ」ばっかり使う、むしろ強調するようになりました。

提供曲もそうで、”quiet storm” に至ってはモロに
「きみーーーーーーーーーの中に」で始まってます。

最近は、逆に使わない方法を再探求したいと思っていて、
この曲も「つめきり」もそういう流れです。

諸行無常感は、出てる気がします。自然や業(カルマ)にはかなわない、というか。


サウンド面。今回は打楽器なし。

ギター、それもサイレントギターというアコギのモデリング・骨組みギターをメインにして重ねて作りました。
ベースは、このシリーズで一度も使ってなかった、僕のメインベース、バーガンディグローのリッケン4001です。
好きなものは最後にとっておく性格なので。

この他、イントロと合いの手でガットギターを入れていますが、
もう一つ、書くのもはばかるパートがあります。

ファンノイズ。

70年代的な音を作るには、当時のアナログ機器が出すノイズが重要な要素だったりもして
実際、当時可能な限り排除しようとしたノイズが、デジタルな世には逆に尊ばれたりもする。

また、「湖の浅さを知られたくなければ濁らせよ」ではないが、ノイズが「のり」のような役割で
パートになぞを与えつつ、なじませてくれたりもする。

そんなんで、DAW のプラグインエフェクトには、マスターテープの「シー」や
ヴァイナルの「プチプチ」を敢えて再現するパラメーターがついているのだが、
そもそもそんなん使わなくても宅録をしてるとノイズ源など山ほどある。

パソコンのファンノイズ。

僕が日々、一番悩まされているものだ。MacBook の場合、いくら代を重ねてもこれが改善することはない。

ところが今回は、サイレントギターがクリーンなので、逆に寂しくなってしまった。

プラグインを使おうかなと思い、ふと思い返した。そんなことせんでも…

MacBook Pro のファンが全開で回っているのをマイクの背面で録り、ループさせ、フェーダーを下げて混ぜた。

これが、結構いい仕事をしている。

デジタル時代に一番アナログな、機器ノイズだから、
付き合い方を見つけた、見つけちまったぞ、というわけだ。


 

noom

今回のジャケットはマジでどうしたらいいのかわからないな

と思っていたのだが、翌日に一瞬でできた。

一晩寝てグダグダイメトレしたらイメージが湧いて
パッと何かを撮ろうとして、それはパッとしなかったのだけど

次に撮ったものがはまって、すぐに形になった、という次第。
「スクェアなワルツ」という内容描写まで表せている、と思う。

(カチッとした square じゃなくて、ちょっと歪な四角の集まりです)


これで安心したものの、音はできていない。

聴き返すと、これのどこがやねん、程度のできであり、
なんぼなんでも、というところであと3日を切った。
そのうち、音を出せる時間はごく限られている。

この曲は、あるときのラフスケッチを並べたトラックを基に
作っているのだが

構成を編集しようとしても何かピンとこず、むしろ、雑多なこのままいこうと
ラフの構成とプレイのまま言葉をはめている。

評価のしようがないが、おもしろいものになると思う。年も終わりにして。

moon – 2020.12.15


12.13 追記

だいぶできました。サイレントギターのライン直で沢山重ねたけど
わずかにガットギターを足すと全然変わる。

リーディングとメロディと、両面の曲です。


12.14 追記

完成。なかなかない曲に。

あとは配信を待つばかり、とはいえ
納品時に大きなミスをしてしまった。

発売は明日なのに、「今日」に設定してしまう。
これが通ってしまうのが不思議なのですが。

うーん、今日はもうすぐ過去になるし、明日になっても過去であるし、
そうなったら永遠に過去である。

そしてどう見ても、今現在はリリースされていない。

タイムトンネルに埋もれて、幻の曲にならないことを、願うばかりです。

経過はこちらから

歌詞は12.15の午前零時に ここ から公開します。音はどうかな。

目論見を蹴跳ばして

今年最後の下弦、次回配信予告

またしても十五夜なのに新月の12月15日は、三拍子の曲を出します。

まだこしらえてる途中で、題は決まっていません。

僕は三拍子が好きですが、拍の取り方はいろいろあるので
これは Waltz for July とも Neptune とも違う
もうちょっとスクェアなワルツです。矛盾してますが。

英語で書こうと思ぅてた詞が
日本語に置き換わってくる快感

と嘯くものの
もともと仮で英語で一節を書いてて
それを全部、意味に捉われず日本語にするか
やっぱ足りなくなったので英語も使うか
考え中なのです。

ぜんぶ日本語にします。

今日は月の出が「ない」一日のようです。
なんでかといえば、すでに昨日の真夜中間際にひそりと昇り
今日の昼に沈み
次はこの真夜中のすぐ後に顔を出すそうな

下弦の月ももう過ぎてるのだそうな
まいったね

はやぶさ山を超え

頭を使いすぎてパンクしそうになり、
たまらずに車ででかける。

今は冬なのか秋なのか。海か山に行きたい。
紅葉が観たいがあまり見れる気はしない。

海と山に行く。

金延幸子の『み空』はこのブログでも何度か書いているように
愛聴盤であるが、全曲に精通しているわけではない。

ハミングキッチンのイシイモモコちゃんに教えてもらったのが最初で、
彼女らと、ドラムの林立夫さんご本人と一緒に「あなたから遠くへ」をやったこともある。
懐かしい湘南の日だ。

絶妙なバンドアンサンブルとフォークギターのみのオーケストレーションの対比する
僕がそう記す必要もない、名盤中の名盤だ。

だけど僕が全貌を理解するには、たぶん一生の三乗はかかるだろう。

最近車では iPhone – Bluetooth ばかり使っているが
Apple CarPlay なんてのがほんとに、ホントに、本当に、鬱陶しいし、
何度も「今後は(二度と)使用しない」を選択しているのにランダムに復活する。

カーナビを頼りに初めての山道を走っている最中に、突然立ち上がって画面を占領したりと、
マジで命に関わるぐらい怖いので、ああいうアプリはやめて欲しい。

思い上がったグローバルテクノロジーに殺される人、いっぱい出てくる、って肌で感じる瞬間。
こんなくだらない理由で終わりたくはない。

そんなわけで、時々 iPhone を絶って、CD を聴いたりする。

もう家で CD を聴くことはないし、ましてアナログを聴く環境は僕にはないけど
へんなところで CD。Toto Bona Lokua, Alexandre Andrés, Ojo De Agua。

金延さんに入れ替えて、気がつけばアルバム三周。

あまりにも すばやく
はやぶさは
山を超え やって来たから

…どうしてこんなにとびこんでくるのだろう

羽をのばしたわ
青ざめ空
あざける雲を後にして

このアルバムではさまざまな「青」が謳われている、けれど
あおざめぞら、は、すごすぎるよ。

昨夜見た、筋金入りの音楽ライターの方の Roundabout / Yes の評を思いながら
この曲も8分あるんだな、そして、編成はフォークギターと唄だけなのに、
完全にプログレだな、と思う。

 

12月はじまるのだよ

何も考えずに楽器を弾く。

しばらく経って、8月から中断していた、シリーズ最後の曲を思い返す。
身体で。最高にいい曲だ。

シリーズ最後から2番目の曲はどうするか未だに皆目わからないが
たぶん出てくるだろう。

漏れ聴こえてくる音では、周囲の人も相当頑張って練習している。
管楽器や弦楽器。

防音スタジオは持てないけれど、こういうのもいいな、学生に戻ったみたいで。

音を録ることに振り回されず、消えていく音と、操り損なった身体と戯れる。
釣りみたいなもんかも、しれないな。

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