カテゴリー: libre
自然と都市とひとりごと
デザインの輪郭 / 深澤直人
とても感覚的に綴られていて、意識への接近や実践へのアプローチに
濁りがないというか
刺激される本でした。
わかりにくいけどわかりやすい、という。
深澤さんはアメリカ滞在時期に八ヶ岳に土地を買い、帰国後にそこを開墾して山小屋を自ら建て、
東京事務所での業務を広げながら山梨に精神的、身体的な拠点を持った…というくだりに感じるところ大いにあり。
そして、そのインスピレーションになったのが、サンフランシスコ周辺の人々の
都会から「車で一時間程走れば手付かずの大自然に入ることができ」、コヨーテやアライグマが出るところに普通に暮らしている
という状況。
日本からすれば羨ましいのか? それとも怖いのか?
(近年の各地のアライグマ出没とその「被害」を考えても)
だけど緑はやはり大切だな、と思っていたところに
L.A の大火災
…
…
心が痛みます。
SNS に溢れる画像映像も恐ろしいが、実際はそれどころではないだろう。
一方でフェイクも出回り、AI に席巻されるネットでは、却って情報への疑念が深まるので逆効果なのでは…と思えてしまう。だがいずれにせよ。
人間は自然にはとうてい叶わない。
だけど自然と共にありたい、と思うのです。
…
東南海域に暮らすもののひとりごと
だけどこれから何十年、何世代と、続くことだから。
シューとスター
今年は、弦楽器をもう少し学びつつ
ライヴ活動していければ、と思ってます。
かなりインドアな(想像はアウトドアだけど)アルバムを作ったので
ほぼ生音でできる場所、いくつか見つけてライヴをしたい。
基本一人で演ってくので、また段取りも練り直さねば。
昨年前半に試してきた小道具類も、もう少し見直そう。
と、小さい子供が叩くドラムの音を聴きながら、ええノリしてるな〜と少しワクワクしている雨の夜です。
青年の頃の夢としては、ドラマーになりたかった。
その計画は無謀になりつつあるけど、
楽器の中で一番没頭できて、頭も冴えるのは、僕の場合はたぶんドラムなんですよね。
右脳と左脳が両方刺激されるというか。
もちろんその為には、身体が整わなあかんけど。
一方で、いつも下ばかり意識するベースという楽器には
— ハイポジションに行けば行くほど下に屈むなんてさ —
ときおり疲れてしまうので、
しっかり立ち上がって上空を見る、なんてこともしてみたいのだ。
穴あきアコースティックベースは、年末からブリッジの裏を診てもらっているところ。
生音がどうもしっくりこなくて、治ってくるといいな。
その後で、改めてライヴセットを考え、無茶のない道具で外に出たい。
p.s.
シューゲイザーのセレクト MV なるものを観ると
彼ら彼女ら足元ばっかり見てると思いきや、真上からのカメラを直視してるのが多くて
むしろスカイゲイザーやん。スターゲイザーやん。
はじまり
静かに、あっというまに元日が過ぎました。
穏やかな日でよかった。
また海にいきました。ちょうど日が丸い姿を表したとき、たくさんの鳥の群れが海を横切っていった。
災害のない、あっても助け合える一年を。
戦争のない一年を。
健康を。
願います。
みなさんにとっても、よい一年になりますように。
グリーンはいつ
umi no machi – セルフライナーノーツ #2
グリーンはいつ – 1991 and November 2024
七拍子の空想歌。絵描きや物書きに憧れたころを思い出しながら。
緑がうみを囲む、夜が木漏れ日を手渡す
あまり考えず、浮かんだ言葉とメロディを録音して作っていきました。
グリーンは昔から好きなウェールズ出身の SSW であり、
かつて滞在した家のことでもあるんです。
「うみ」が近く、窓からは河原の木々がとても素敵だったグリーンの家。
だけど数十年ぶりに訪れると水辺は消え、辺りは道路で固まっていた。
人が「道をひらく」事とアスファルトは、現代社会でセットになっている。
でも、そうやって蓋した土はいつまでも黙っているだろうか?
街と緑って本当に共存できるのか?
それとも自然はもっとずっと、したたかなのだろうか。
12.25 at CHUBBY
クリスマス当日は東京・代田橋の CHUBBY へ。
Poésie de Noël – 詩の音
Hitomi* (vibraphone), 宮川剛 (drums), 小飯塚貴世江 (reading), 近藤零 (bass)
という初編成のライヴイベントに呼んでもらいました。
久しぶりの東京(蜻蛉帰りで、運転時間の方が長かったけど)で、2017年以来の CHUBBY。
あの時はじめて、flexlife の後ろでご一緒した宮川さんと、コロナ禍を超えての再共演。時が空いても何のギャップも感じない、素晴らしいミュージシャンです…って、僕が書かなくてもみんな知ってるよね。
リーダーの Hitomi* さんは凄腕の鍵盤打楽器奏者であり、面白いコンセプトで多彩な活動をされ、
また表現への愛情とパワーが溢れる方でした。
そして、二部に加わった役者の貴世江さん、声ってこんなに場を変えるんだ、と。
後ろで演奏しながら、圧倒される。
当日たまたま(ホントにたまたまです)リリースになった僕のニューアルバムからも2曲、
そして前作から1曲、などもトリオで演奏でき、本人にとってはまたとない贅沢な日になったわけです。
少ない時間での準備、久しぶりの舞台、予測してなかった「紐」の挙動…など
思い返して反省も多々です。でもそんなこんなも含めての一期一会。
いらしたみなさん、楽しんでもらえたかなぁ?!
Thank you all!
うみのまち
umi no machi – セルフライナーノーツ #1
アルバム収録の全九曲について、不定期に綴っていきます。
うみのまち – December 2023 to November 2024
Apple Music
しずかにはじまり、しずかにつづいていく。うみと私たちのように。
昨年の暮れ、身近なまちとうみ(湖、海)を思って曲を書き始めました。最初の行ができて年を越 し、海岸で日の出の写真を撮って年始の挨拶にしようと思っていた午後、北の海岸であの地震がありました。心がフリーズしたように、どうすればよいか、わからなかった。
3月になり、ようやく形にした “sea and lake” というインストゥルメンタル曲を Bandcamp でリリースしました。微力ながら、能登半島地震への義援作として。
僕は石川県の現状をこの目で見れてはいません。震災に豪雨。知人とやりとりしエンパシーを飛ばしても、現地の方々が実際に体験されていることには到底及ばないでしょう。
場所は違えど水辺で生きる自分が、常に想像せざるを得ないこと。自分を通過しふるわせたもの – 僕にできたのは、これらを言葉と音にすることだけでした。曲は6月にでき、11月に音を仕上げました。
自然と共に歩む人々に。つくっていくもの。失うもの。それでも。
Spotify
サウンドは、南米音楽の影響と日本の「間」を、少ない音で表しています。
* この曲の配信販売収益の七割を、能登半島地震の災害義援金として寄付します。
* インストゥルメンタル曲 “sea and lake” は、Bandcamp 販売からの全額寄付を継続します。
ご賛同いただける方は、よろしくお願いいたします。
sea and lake at Bandcamp
introduction
chidori
ミラをのぞむ
曲の題
タイトル。名前。
これって重要です。
クリエイティブで、
独創的にも普遍的にもなれるとこ。
「さくら」っていう曲がこの世にどれだけあるか計り知れないし
“quiet storm” っていう曲も結構あったりする(しかもジャンル名ともされている)
でもそれぞれ違う。
僕はごくごく普通の題をよくつけるけど(あかりをつけたら、とか)
変な造語もよくつけます。
「サイドミラ」もそのひとつ。
アルファベット綴りがいろいろありえるので、
便宜上、”side mira” としてあるけど
mirra でも mila でもよくて、さらに前の方も違うかも、と思うことがある。
日本で僕らが使い、認知している言葉と音と事象
これらは海外だと全く違う意味だったりする
音楽やってる身としては、把握できる言語が限られていても
アンテナにひっかかった部分はやはり気になるし、
聞き違いはあかんやろ、いや、それが大事やろ、
あるいはそれこそが世界には必要じゃないのか?!
空耳から違う価値観の扉を開くってことが!
ぐらいに、誇大妄想してしまうところ
(厚かましい…日本語詞もまだまだなのに)
ようするに自分自身もよくわかってない、ことばと音を
あとから再発見してるわけです。いつも
「サイドミラ」は、もちろん車のサイドミラーから来てるけど
それだけじゃなくて、「ー」を切ることで屈折し、変化する。
水から跳ねたウオのように。
跳ねた瞬間にトンボ (dragonfly) に捕まるかもしれないし、
着水地点を間違えるかもしれない。上がった時は昼だったのに着水したら夜だったり。
「ミラ」を、複数の綴り含めて調べると色々なものごとを指している。
カナダで AI を研究してる機関 Mila
ロシアで「可愛い」という言葉 Милая
アナトリア半島にある宿泊地 – 日本の「お手玉」の起源はアナトリア半島という説がある – 偶然
スペイン語だと「ほら見ろ」 Mira
日本だとダイハツの軽自動車がミラ
宇宙だと鯨座の変光星の名前がミラ。
ガンダムだとスペースコロニー「サイド」をミラーに、という愚か極まる兵器もあったっけ。この場合は side であり、cide(書くも悍ましい意味)とも言えてしまう。
今読んでいる山崎佳代子さんの本によると、セルビア語 の mira は「平和の」。
2,000年の間に115回もの戦争に巻き込まれた国。ベオグラードはこれまで44回も破壊された街。
気が遠くなる。
そのうちの一つ、大トルコ戦争末に周囲の大国たちが円卓会議 (round table) につき、1699年に講和条約を結んだスレムスキー・カルロウツィ(カルロヴィッツ)
そこには kapela mira(平和の聖堂)があるという。