投稿者: ray

うみとやまへのたび 陸

9.ε2

兵庫県の北部、但馬エリアで、演劇祭をやっている。
舞台芸術のメッカになりつつあるという豊岡には以前からすごく興味があり、この機に少しでも足を踏み入れたいと思っていたのだが、時間も資金もあまり残っていない。

土地柄なのか、パワーを感じる。

城崎か、豊岡か。どっちか迷って城崎国際アートセンターに行くと、催しは数日前に終了したという。素晴らしいサイトでうま〜く情報発信されてるんだけど、頭が次元滑走してる僕には、そのへん読み取れなかったんだな。

列車内での演劇「うみやまむすび夢十夜」にも間に合わず。これ観たかったなぁ

結局、どっからどうみても温泉街、これぞ日本の観光地の鑑、という街並みを少し歩き、酉の刻の芝居を観て帰ることにする。


そう決めた瞬間、一斉に飯屋が閉まった。

残った海外風カフェはお洒落で居心地良かったものの…。

一人芝居「城の先にて」を観る。すっと入ってくる声と演技と、幻燈のシンクロが面白い。子供の頃に読んだけど、ごめんなさい、すっかり忘れていた。

先日読んだディネセン「アフリカの日々」に、イグアナを撃ち激しく後悔する譚があるのだが、少しばかり類似を感じたり。

さて、兵庫で始まり兵庫で終えたこの旅。南の音楽祭には参加でき、北の演劇祭はごく一部しか観れれなかったわけだが、インプットは大きかった。

学生時代、京都から城崎を通って鳥取砂丘にドライブした。すると砂丘の上、いつも部室で会っている音楽サークルの先輩二人が立っていた。なぜ先輩が200キロもテレポートしたのかさっぱりわからないが、それぐらいの偶然には慣れている。

この旅では、偶然会った人はいなかった(と思う)けど、
極度に人認識の劣化した僕だから、あるいは怪しい姿をご覧になったかもしれない。
ともあれ僕にはこの旅は、本当に必要だったということだ。

さてそろそろ帰ることとする。川沿いで、今通り過ぎた橋にかかる月に魅了される。撮ったあとで地図を見直すと、その橋を渡らねば帰れぬ。どうなってるんだ。

ガスを求めて京丹後に。どうせなら天橋立に行きたいと思う。

そして撮ったのが最後の写真だけど…よーわからんよね。

心のこりは、次回へのなんとやら。

うみとやまへのたび 伍

9.ε


羽合温泉(はわい温泉)の宿で目覚める。
ほぼセルフサービスで、なんとも気楽だ。
この旅で何度も遭遇した「丸窓」からの景色で目を覚まし、境界のよくわからない湖岸の駐車場で頭を使う。

しかし暑い。

途中、道の駅の隣まで行くが接続できない不思議な山道を登る。
これっって、意味があるんだろうか。
道の駅は素晴らしいロケーションだが、テナントが空きまくっていて勿体無い。草刈りもボランティアとのこと、明らかに追いついていない。
東郷湖岸に再び降りる。パラソルを閉じて。

この地は駐車場の気前がいい。だからより自然に触れられる。うちの周りなんて、全然だもんな。
いやまぁ、駐車場なんて完全に人間と車の都合で作ったものだし、自然には良いわけないし…

でもその先に、地代とか儲けとかの感覚が入ってくると、次の段階というか。
剥ぎ取ってくと、いろんなことが入れ子になっとるワイ。

鳥取市内へ。もう一つの湖、気になっていたので島に渡る。
キャンプにはいいのかな。展望台というところからは木が茂っていて何も見えない。


それでも和む。

改めて鳥取市内「たくみ工芸店」へ。

民藝には全然詳しくないので、店員さんに教えてもらいつつ、すてきなカップを買う。元々は「そばちょこ」らしい。


この青、よく出せるなぁ。

予定…思いつきからかなり遅くなったが、但馬は豊岡に向かう。

ナビと道が少しづつ食い違ってる。たぶん新しく道が出来たんだろう。

日本海に到着し、敢えて西に戻る。

居組漁港。水の綺麗さの次元が違ってた。

穴見海岸。「いいね!」に見えるらしい岩。蜻蛉の群れを収めることができたなら。

うみとやまへのたび 肆

9.δ

八頭と砂丘以外の鳥取ももっと巡ろうと。しかし所用が重なり多くは観れない。絞ることにする。
汽水空港に行きたい。
その一念で走り続ける。思ったよりかなり遠い。
ICをおりて、周囲の空気感に驚く。あっここ知ってる…というか、めちゃめちゃアットホーム。

湯梨浜町というその界隈は、東郷湖なる(正式には東郷池だろうか)穏やかな汽水湖をいだく。
そして目的の書店のちょうど前には、湖岸の国道に駐車スペースがあり、その向こうに発明したばかりの飛行機のようなオブジェが二体ある。
これって最高の場所やん。
パラソルを閉じたら広がるパラダイスちゃうん。

そして、汽水空港は、閉まっていた。


その翌日も、定休日だった。

タルマーリーでも定休日にお邪魔してしまった僕だが、流石に面識ない方にそれはできない。

よっぽどのことがなければ縁は一期零会だろうか。旅はもう少し下調べをしろということだ。

でもすっかりくたびれてしまったので、急遽宿を探し、オルタナ色極まる蛇口温泉とやらに泊まることにした。

夜は湖岸の月を撮ることにして。

うみとやまへのたび 参

9.γ

海を渡り、岡山に上陸し、鳥取へ。

電車では何度か、車でも一度来ているのだが
思ったより時間がかかる。
そらにはひょいとした雲がかかる。


佐用町あたりの集落の美しさ(撮れず)。

IC を降りて、恋山形あたり、那岐デジャブ。
(カメラのISOダイアルを変なところにしてて、この日は撮った写真の大半が白飛びだった)

智頭中心部についたころは申の刻。まぁこれは朝のフェリーを逃したせいだ。

タルマーリー渡邉さん夫妻を訪ねる。
最初にお会いしたのが2015年。
トリオどん広島公演の夜だから、日以さんと同じく10年近く。
目まぐるしく変化しながら、変わらぬ日常を繰り返す。その両方を実践し続けた人たちだ。

僕とは境遇がぜんぜん違うのだが、麻里子さんはどこまでもアットホームだし、格さんと話していると、とにかく面白い。感性が近いのかと思ったりする。ただしそこから先の実行力が全く異なるわけだ。

今回は、興味あることずくしのお題にのっかった挙句、イタルさんの頭脳に改めて唸ることに。

途中からやどり木会の麻紀さんもいらして、音楽から手塚治虫から、いろいろなパワーをいただきました。

次はいつお会いできるかな。その頃には何か、できるようになってるかな。

智頭宿の駐車場からすっごい雰囲気の月と山並を観れたのだが、撮影し損ねたのが悔やまれる。

* タルマーリー、お店休みの日だというのに案内していただき、ありがとうございました。

うみとやまへのたび 弍

9.β
目覚めると高松港。

ここから小豆島町へ。

きてよかった。のひとこと。

日以さんに max お世話になり
霊場を詣で

空海像を背に くう と かい で記念撮影
僕の子供時代のあだ名は「空」でした

アジ釣りを少しさせてもらい
ごちそうになる。

瀧澤さんと会うのはコロナ直前、以来。
いろいろ計画していた頃。
そのまま凍結したこともある。

互いにずいぶん変わった筈なのに
それ故なのか
話し合えることが多い。

いや、何が多くて何が少ないのかも
最早わからなくなっているけれども
話は半分、あとはこれからの行動で
つくっていこう。

島に出入りする方法は船しかない。
だからみんな知っているし、あやしいこともできない。
だけども、風通しがいい。

こんなところって、あるんですね。

うみとやまへのたび 壱

9.α

Bshop 音楽祭の出番のあと

神谷くんの背中を写し
やたらカラフルな T であったがここは白黒に


大丈夫くん 剛くんと
楽屋のベランダからウルフルズを観て

メリケンパークに別れを告げ
「本の栞」に瀧澤日以さんと東郷清丸くんを観にいく。

ポップでファンキーで、面白い曲。
弾き語りだけど敢えてのエレキギター。
すごくオンでドライな歌とギターの音が、合ってる。
活版印刷の技師だったという彼ならではのお話。
とても面白い店。


本町から三宮を歩き

中華飯を食い


深夜のフェリーに乗り込む。

船上から港を、そして月とオリオン座をのぞむ。

明け方の
ブルーアワーを観たかったが
気づけばすっかり朝だった。

秋の舞台

ひさしぶりに依頼があり、大橋トリオのフェスでのライヴに参加することになった。

9月。いわゆる夏フェスが過ぎ、いい季節の「秋フェス」だ。
毎年ほぼ恒例の池上本門寺での「SLOW LIVE」と
新しくはじまった神戸での「ビショップ音楽祭」。

両方とても楽しみにしていた。

ツアーバンドを離れて久しく、その間は多くの凄腕ベーシストが
僕の代わり以上を務めてくれているので
(そもそも大橋くんが稀有な素晴らしいベーシストなので)
プレッシャーは感じていない。変な話、気楽なものである。

まずは単発で、先のことは考えずにベースで混じらせてもらった。

しかしそれにしても。2021の頭にいろいろ書いたが、ほぼ4年ぶりの現場は
だいぶ忘れており、だいぶ覚えており、不思議なものだ。

とはいえ音は正直で、自分でも許せるレベルになるには結構な準備が必要だった。

高木大丈夫くん、菊池剛くん。

初参加という彼らの演奏も、深い音楽性、瞬発力や集中力、どれも素晴らしいにつきる。

そして、貴重な二本のうち、SLOW LIVE ’24 は台風10号の危険予測により、開催中止。
メリケンパークでのビショップ音楽祭が唯一となった。

当日はいいパフォーマンスだった、と思っている。記録が残っていないので判らないけれども。
まぁ、やれるだけやった。その間で得るものも多く、ライヴ本番も楽しかった、ということだ。

その後のツアー(後日書いている)も、初日をフォトグラファーもどきとして観せてもらい、
音楽と視覚の、宝物だなと改めて思った次第。

演者、スタッフ、オーディエンス、みなに。
Have fun with music!

アフロアルバ


2024.8.21 release

アフロアルバ / Ray Kondo

アコースティックベースの弾き語りをコアに
鉄琴やカリンバやトライアングルや…でこしらえた曲。

短いことばでつづった、どのようにもとれる、ひらがなの歌詞です。
近い人にも遠い人にも、届くといいな。

アートワークは前回に続いて nakaban さんの画です。
恐竜のような、錨のような…これはなんでしょう。

この曲のイメージは色々あるんですが
その一つは
UFO が砂浜に不時着して、
人類が送った宇宙船もついに見知らぬ星に不時着し、
互いに近づいたら
音を奏で出した
…とかね。

https://friendship.lnk.to/afroalba_rk

偶然はどこから

「符合」に僕は弱い。
なにかとなにかが、全然関係ないところから同時に飛び込んできたりすると、おどろき、そのあとたいてい嬉しくなる。

それは感受性(アンテナ)の問題かもしれない。
本当は世界に偶然なんてなくて、
単に、当然のように流れている波を、アンテナが部分的にキャッチし、
それに驚き、ついでにそれを捉えたことを手柄と思っている、みたいなことかもしれない。

ソメイヨシノは一斉に咲くし、虫は一斉に鳴き出す。渡り鳥は巡る。
彼らは当然のように、太陽と月と地球の(木星もか)運行から生じる光や風や、熱や冷気や、生や死を感じ取り、自然に活動しているだけなのだろう。自然として。

人間でいえばテックや政府や、いろいろなメディアがいつも大量に波を送っているのだから、それを部分的にキャッチするのは、取り立ててすごいことでもない。鯉が撒かれた麩を食べているのと変わらない。

それでも、気になっている事柄が、百年近く前の出来事として書かれた本にたくさん載っていて、それをたまたま店の書棚で見つけて手に取った、というのは、僕のこの夏を少なからず潤してくれた。

救ってくれた、のかもしれない。実際、この本を読む時間以外は結構ハードワークだったから。

– これも誰かのキュレートなんだろうけどね –


アフリカは静かなところ、静寂を知るものが生きられる場所。

なんとなくイメージで、アフリカ 〜 砂漠 〜 サバンナ 〜 常に賑やか みたいなステレオタイプがあって、
アフリカ音楽、っていうと、パーカッシブで掛け声が続いて、全員が踊り出さずにいられない、みたいな。

その一方、僕が思い描く、好きなアフリカ音楽というのに、とても静かで繊細で、ゆっくり、でもすばやく、という印象があって、なんというか折り合いがつかなく。でもまぁ、もういいや、みたいに思っていた。

僕はアフリカに行ったことはないけど、
昔からアフリカンダンスが好きだったり(できるという意味ではない)
エピゾ・バングーラさんという、ギニアのグリオ(語り部)である、マルチプレイヤーの音楽家と、何度か一緒したことがある。
彼はジャンベもバラフォンも叩くし、唄い踊るし、その爆発力はすさまじくて、
でもコラ(アフリカの琴、瓢箪に竿がついていくつも共鳴弦が張られている、チューニングが超大変)を奏でるときは、こんなに静かな、止まったような時間が存在するんだ、と、そこにいるみんなが思う。

そんな感じで、僕がワールドミュージックを好きになるのは、むしろ静けさだったりする。
静かだから、色々なものが聴こえる。結果、賑やかになる。


これは僕自身の感じ方であり、音楽にしても世界にしても、とらえかたは結局、ひとそれぞれ、ということになるのだろうけど。

でも、冒頭からこの本は、そのことをすごく言語化していて

家畜は決して野生の動物のように静かにはできない。

文明化した人間は静止する力を喪失しているので、
野生の世界に受け入れてもらうためにはまず沈黙を学ばねばならない。

脈絡がわからないのにいきなりパラレルで比喩が飛び込んできたり。

これはカメラを使う場合なおのこと重要だ。狩猟家は自分流に行動することはできない。

風と合体し、風景の色や匂いと同化し、自然のテンポにあわせてアンサンブルをつくらなければならない。

自然はおなじ動きを何度となく繰り返すことがあり、狩猟家もまたそれに従わねばならない。

ひとたびアフリカのリズムをとらえれば、それはアフリカのすべての音楽に共通していることを体得する。この国の動物から学んだことは、私がアフリカ人とつきあうのに役に立った。

後のケニヤ、アフリカ東側の丘陵地にコーヒー農園を作り、17年間頑張った末にアフリカを去ったデンマーク人女性、カレン・ブリクセンの手記。ノンフィクションとも、脚色とも、とれる。

農場の経営者、すなわち「土地の人」を支配する白人として暮らしているので、そこかしこにぎょっとする内容も記されている。当時の倫理観、力関係なども結構あらわだ。

ひとまわり、ふたまわりして、こういうことは自分たちの周りにも起こるんじゃないか、と思ったりもする。

五百頁強、感心するような話ばかりではない。失い続ける話でもある。でも示唆に富んでいる。

そして彼女の想像力とたとえばなしの飛翔は、なんという。

stone temple pirates

何十年ぶりかに京田辺に車を走らせる。途中。

石山寺周辺の瀬田川にこんなに趣があるとは。

salty sugar ってなんだ? 誰の駄洒落だ、というところから「走れコウタロー」を教えてもらう。
ドリフのピンポンパンの「走れキンタロー」は知っていたが、パロディだったのか。

京阪電車の駅も、街道も、紫でおもしろい。
使えるものは使わなきゃ、というたくましさ。

紫芋パンを頬張って、バイパスへ。

なお、寺にはまた今度行こうと思う。

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