命を張ってあの事故に立ち向かってくれた吉田所長が、亡くなってしまった。
もしかしたら吉田さんは、現場である福一の事故収束だけを見ていたのかもしれない。
でもそれはどう考えても、日本に住むすべての人を守る行為だった。あるいは、北半球を。
ぼくはこの国の本当に多くの人と同じく、この方の死を悼むし、
本当に心の底から、ありがとうございました、と言いたい。
そんな日に、病因と被爆の関係の無さを主張したり
津波対策の不備の責任の話を出す人々がいることに
心の底から、がっかりしてしまい、寝付けない。
それは、ニュートラルにバランスを取ることではなく、
利害を天秤にかけることだ。
とても恥ずかしいことだと、ぼくは思う。
津波対策を先送りしたのは誰か、ほかにもっと大きな人たちがいる。
それは、今の首相の第一次内閣だ。2006年12月13日。
こんな夜に、そんな事を思い出させてくれるな。わざわざ。
どうか、ゆっくりとお眠りください。
吉田昌郎さん。
同じ58歳で旅立った清志郎さんがそちらにおられます。
わいわいやってください。
眠れぬ夜は、僕らが見張る番なのでしょう。たぶん。
* というか、議事録を消さないでくださいよ、国権の最高機関たる衆議院…