タイムレスタイム

ニュースや SNS みてると、腹をえぐられるような悲しい気持ちになります。

緊急事態宣言は、IOC バッハ会長の来日前日までとし、オリンピック開催に影響のないように日程を組む – と、TV でも平然と流しています。正気か?

この、正気を失った報道が、平気に折り込まれているところが、末期的です。
慣れさせられてるか?

シュールが当たり前になったら、当たり前がシュールになっちゃうぞ。

やっと本性が表面に出てきたけど、オリンピックは世界人類のため?平和の祭典?
理念はそうだったかもしれない。実際は大部分が利益や権力と、それで得する人たちのイベント。
本音と建前、なんて何にでもあるし、綺麗事で物事が動くはずがない。それもそうだけど
やっていい状況と、いけない状況がある。

世界中でコロナ禍が続く中、一刻も早く、開催をやめるべきです。


なぜやめないか。この状況でも SNS の右肩に「聖火リレー」をピン留めする理由は何か。
そのために、湯水のように金を使ってメディアをコントロールする理由。

そんなの、僕だって簡単に想像できる。
仮定の質問に答えないのなら、なおさら仮定は自由、なのです。

次のイベント – 憲法改変が本当の目的でしょう。

そのために、多くのニュースや CM、キャンペーンの仕事をメディアに回して、
国民の「空気をつくる」流れを確実に推進するため。

オリンピックは、そのための「捨て駒」。成功したら儲けもの。
本当の意味で成功しなくても、強行できたという経験と、
メディアをアンダーコントロールできたという実績が残れば御の字。

それで国民が喜べば、お釣りが来る大儲け。

その勢いで、今年をそれを上回る広告を出して、民主憲法を「自発的」に変えさせる。


ぼくがその役割にいる人なら、そう考えたでしょう。ただしそんな事はやりたくないし、全身で思いとどまった筈。

やりたくないと思っていても「仕方がない」といってやる人がいて、あるいはやりたいからやる人がいるのでしょう。
本当に素晴らしいイベントだ、と思って推進する人、それに同意する人も、おそらくある程度はいるでしょう。

でも僕は、それは違うと思う。群れたくないし。
それに、群れて一枚板になる共同体では、やがて全員が滅びるか、過ちを冒してしまう。
違う道を誰かが見て、実践していかないと。
それが、社会のあわいを見ている音楽家や自営業者の宿命であり、使命です。

日本は立場社会であり、役割社会です。がんじがらめにみんな縛られている。
だけど、考えなきゃならない。生き残るためには、何が必要か? 軍備? 何を今さら。

「国民の空気」など「形成させた」ら、あかんのですよ。

しばしば「今の権力者は、数年のスパンでしか国や社会の将来を見ていない、だからこんなに短絡的だ」という説を目にするのですが、僕はそこには同意しかねるところがあります。少なくとも数十年単位で、やりたい事はじっくりと実行している。圧倒的な力と時間を持っているのだから。

香港や、ミャンマーで何が起きてきたか、何を失ってはならないか。
時間がないかもしれない、そう、常に焦らされる気持ち。

何が違うか。

時間。時間の捉え方。それかもしれない。

Sign of the Times.

Time.

時間。

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