ホールはどうしてホールというのだろう。
またつまらぬことを。だがこれが、気になりだすと少しも前に進めない。
鯖の骨の形が翼になるまでは。堀越二郎か。
だがこの際そんなことはいい。ホールは広い。
満員でも、席間隔を広げても、また、
リハーサル中に、スタッフ数人しかいなくても、どれもが広大だ。
天井高い。とてつもなく高い。
客席から舞台を見ると綺麗としか言いようがない。
舞台さんと照明さんが作り上げた物。そこに乗っかる者。
すごい世界。久しぶりにその場にいると、その⭐︎⭐︎さがわかる。
いや、わからない。ちっともわからない。離れればわからなくなるし、
近づけばまた、わからない。
距離
気づく、とだけ、しておく。
音楽を舞台で奏でる、あるいは、絞りだす、というのは
面白いものである。参加者一人として、どう面白いか、あえて説明しようとする。
それはとても自由だし、とても夢のようであるし、
とても、ただ、自然でもある。
それは己の足りない面もすべて曝け出してしまう。
後方にいたり、あるいはビットに入っている者は、
たとえ曝け出しても気づかれないことが多い。主役はそうはいかない。
すべてが、である。それゆえ主役は、やはり圧倒的に凄い世界にいる。
とはいえ後方のものでも、抜き打ち的に観られることがある。
その際、己がどんな状態かは、わかってしまう。
そんな面も含めて、舞台は怖い。だが面白い。
とてつもなく深い、穴のようだ。
hall と hole の語源がどうなのか、知らない(まだ調べていない)が、
多少なりとも関係があるのじゃないか、という気がする。
ホールは底無しの穴だ。そして、入って安心できる、暗闇と光の世界でもある。
穴そのものじゃないか。
つづく