すくいがなくたって
つづきはだれかがかんがえりゃいいんだ
そんな風になってるのかな、って思う。
近頃出くわした話や観た物語や、ひっぱりだした記憶は
どうも輝きと谷が一緒になってる
全てを照らす光と
余韻のまま落ちてった誰か
そこでたいてい話は終わってる
処理しきれない結び
多分、今の人は「終わりよければ全てよし」なんて結論に頼らなくても
話を輪廻させていけるんじゃないかな
ふと、今の人のふりをする自分が
自分で考える。多分誰かの話の消し忘れでも
自分が引き受ける事だってできるんだろう。