田畑とバスティーユと茶会

昨日出回ったコラム

日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている BBC東京特派員が振り返る
by ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ

英語版を見たので、日本語では読めないかもと思って頑張って翻訳して読んだけど
その後日本語版も出てて、とても正確だった。

色々示唆ある記事ですね。

通底するテーマとしては、「変化と現状維持」だろうか。いくつか引用します。

房総半島の村で会議場に座っていたことがある。消滅の危険があるとされる約900の日本の集落のひとつだったからだ。議場に集まった高齢の男性たちは、現状を心配していた。

「自分たちがいなくなったら、だれが墓の世話をするんだ」。高齢男性の1人はこう嘆いた。日本では、死者の霊を慰めるのは大事な仕事なのだ。

〜略〜

「ここはこんなに美しいのだから」と、私はお年寄りたちに言った。「ここに住みたいという人は大勢いるはずです。たとえば、私が家族を連れてここに住んだら、どう思いますか」。

会議場はしんと静まり返った。お年寄りたちは黙ったまま、ばつが悪そうに、お互いに目をやった。やがて1人が咳ばらいをしてから、不安そうな表情で口を開いた。

「それには、私たちの暮らし方を学んでもらわないと。簡単なことじゃない」

この村は消滅へと向かっていた。それでも、「よそもの」に侵入されるかと思うと、なぜかその方がこの人たちには受け入れがたいのだった。

変化を恐れているものは、現状維持すらできない、衰退し消え去るのみ、と読める。

だが

過疎の街の住民の気持ち
見事な矛盾だけど
田舎に住む人なら、わかるでしょ。

わかる人に受け継いで欲しい。他所モノに壊されるぐらいなら●◉の方がマシだ。

また

これは欧米も同じだと思う
保守的な田舎は他所者を受け付けない
単純に移民受け入れがいいとも言えない

会社もいやあるいは
リベラルやクリエイティブなチームも
結構そうだったりする 何十年経っても 同じ面々

それを「信頼関係」って言ったりするんだよな

だがこのままじゃ って話だよね。

お年寄りたちが言った言葉は、そのまま、若者が出ていった理由、とも言える。

だが同時に、それが別の若者を惹きつけ、外国人をも魅了する理由の一つ、にもなる(なっている)かもしれない。

たとえばそんな田舎が、すべて外資のチェーンホテルに売られたらどうだろう。
全国どこでもあるような、同じフランチャイズが並ぶコンクリートの街になったらどうだろう。
太陽光パネルだけになったらどうだろう?
原発になったらどうだろう?

おっちゃん、おばちゃんたちが守って受け継いできたものは、確かに価値があるのであって、
それがどうして届かないのか、その次を考えることは不可能じゃないと、思うんですよね。

不完全でも、断層があっても、本音と建前がややこしくても。

「武士は1868年に刀を手放し、髷(まげ)を落とし、西洋の服を着て、霞ケ関の役所にぞろぞろと入っていった。そして、今でもそこに居座っている」

1868年の日本では、欧米列強によって中国と同じ目に遭うのを恐れた改革派が、徳川幕府を倒した。それ以降、日本は急速な工業化へと邁進(まいしん)することになった。

しかし、この明治維新は、フランス革命におけるバスティーユ陥落とは全く異なる。明治維新は、エリート層によるクーデターだった。1945年に2度目の大転換が訪れても、日本の「名家」はそのまま残った。

これ以降は必読です。

「現状維持」のためにうわべを「変化」させた「名家」が生き残った。
だが本質的には変われなかったつけが来ている、というところか。

未来じゃなくてツケが来た。すなわち、ローンを支払うために過去にとらわれている。
そんな感じもする。

バスティーユ、がひっかかったが、たまたま昨夜読んだアイリッシュフィドルの教則本で(今年は少しずつこれをやっている)、トマス・ペインの1791~2年の著書を元にした曲が載っていた。”The Rights of Man”

人間の権利 – を民衆音楽に浸透させたアイルランド。独立宣言に取り入れたアメリカ。それぞれイングランドへの対抗もあるのだろうが。
そして、人権宣言に反映させたフランス。

日本とかなり違う。

とはいえ、ペインも賞賛されたり投獄されたり、晩年は仲間を失い、祖国に戻った遺骨の場所も知れずと
それこそ「墓の世話」もできないような。凄まじい浮き沈みだ。

そう、アメリカ独立宣言のこの部分(American Center Japan より引用)

われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有するということ、である。もちろん、長年にわたり樹立されている政府を軽々しい一時的な理由で改造すべきではないことは思慮分別が示す通りである。従って、あらゆる経験が示すように、人類は、慣れ親しんでいる形態を廃止することによって自らの状況を正すよりも、弊害が耐えられるものである限りは、耐えようとする傾向がある。しかし、権力の乱用と権利の侵害が、常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らかであるときには、そのような政府を捨て去り、自らの将来の安全のために新たな保障の組織を作ることが、人民の権利であり義務である。これらの植民地が耐え忍んできた苦難は、まさにそうした事態であり、そして今、まさにそのような必要性によって、彼らはこれまでの政府を変えることを迫られているのである。現在の英国王の治世の歴史は、度重なる不正と権利侵害の歴史であり、そのすべてがこれらの諸邦に対する絶対専制の確立を直接の目的としている。このことを例証するために、以下の事実をあえて公正に判断する世界の人々に向けて提示することとする。

に大きく影響を与えたのもペインの著書とされる。根を辿ればジョン・ロックの「統治二論」でもある。

ペインの「政府のただ一つの目的は、全ての人に固有の反駁できない権利を擁護すること」という思想

今頃になって読む気になって、衝撃を受けている自分にも呆れているが、今の日本の政府の人たちは、当然、学生時代にこれを学んでいるのだろうか。そのときどう思い、今、どう思っているのだろうか。
自分たちが手本としている国の理想を。そして、その理想を米国が「同盟国」あるいは「属国」の日本に対して、どう具体化しているか、どう考えるのだろう。


* 独立宣言引用途中の「もちろん、長年にわたり〜」の部分、欧米人でも変化は容易に受け入れられないということを表している。また、先日のドラマ「エルピス」で斉藤サンが言ってたセリフと、どこか似ています。

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