写真を撮れない。
ちょっとしたスランプかもしれない。いや、別に。
僕はフォトグラファーじゃないし、カメラの使い手でもない。
そういうことではなく、スマホでもなんでも撮ろう、という積極的な気になれない。
インスタをやらなかったのもあるのかな。もったいない。でもどうしてもあの手のツールが信用できない。
写真は才能のある素敵な人がいくらでもいるから、任せておけばいい、
確かにそう思っている。だけど自分が思うイメージもある。
自分が見ている景色ってなんなのか、ときどき不思議になるけど、
たぶん、そのイメージどおりに写せないのはカメラ選びや使い方の失敗というより
他に原因があるのだろう。
自分のイメージを写せる道具があればいいのに、と思う。
でもそんなもの手に入らなくてもいいとも思う。月を見れなかった水曜日。
月が見れなくなるのを見れなかった、湖上。
水面。藍色と灰色と黒のグラデーション。光たらず。列車がゆく。
視覚に興味がないわけではないのだけど、このところすっかり、
見かけを気にしなくなった。他人にも会ってないしね。
それはある意味、とてもいいことだ。髭面とさっぱり、オールバックと坊ちゃん頭を行き来するけど、
帽子も被らなくなったし、その必要もない。というか、どこにいったのか見当たらない。
そんなことより、内面だ。何ができるかを考える。考えこむより先に手を動かす。
以前できなかったことが、だんだんできるようになってくるのに驚いている。
捨てて、得るものって、あるんだね。
いい曲をときどき思いつく。ミニマルと言いつつ手癖の繰り返しで済ませる自分だが、いい加減芽を出したい。
その先何枚も葉を出し、昆虫でいうなら脱皮し、どこかで見たような姿になり、そしてやがて、やっと物事は何かになるのだとすると。
何にもなれないというのは思い込みだとようやく気づく。たぶん何かになる。
どうも内省的でいかん。内政干渉的か。
でも、スーパームーンの月蝕の、それも雲隠れの夜に、そうでもならなきゃどうなるんだ。
面白い曲がほぼ出来上がってる。楽しみだ。いつも曲作りは楽しいけど。
その先の次が、楽しみなのだ。全然違うアイデアが、たくさん出てきて、ようやく系を循環しつつある。
たぶん僕は、相当たくさんの曲を生むだろう。