去年も暑かったな、と思いだす。
それから後、それほど大したことはできていないのだが
ずいぶん、世界も変わった。
灼熱が、まだそこに委ねる気になれたころ。思考がすべて停止してもいいと思えた夏。2019年。
そこで得た心境は ここ に記してある。レコードとしては甚だ未完成だが。
2020年、オリンピックでうんざりしていたけれども、その他は希望を持っていた。
ものすごく持っていたかもしれない。
現在。なかなか厳しい。
サウナで悟りを開いてるな。
しかし香港のことで頭も胸も苦しくなっている。訪れたこともない場所だが
街が、おおきな、街がひとつ、遺伝子操作されていくのが、言いようのない気持ちだ。
僕は雨傘革命もその後も詳しくは追えていない。いや殆どキャッチアップできていない方だ。
それ故書きにくいところもある。
アグネスさんは、民主化運動のシンボリックな存在であり、
ジャンヌダルクのようなアイコン、と認識している。
(あるいは、まんまとネットにのっかって、「認識させられている」のだが)
シンボルであるが故の、こともある。彼女だけフォーカスしていいの? ってことだ。
彼女だけでなく無数の人々が、香港の民主主義の維持を求めて運動し、大きな暴力を受け、ときに拷問を受けたといい、
さらに大きな力により、次々に敗れている。
法律は施行されてしまえば恐ろしい力を持つ。だが施行前に遡って弾圧、するのか?
そもそも、ジャンヌダルクが辿った運命、どうだった?
朝起きれば、アグネスさんは保釈されたようで、まずはよかった。
だが、それはポーズかもしれないし、そもそも逮捕と保釈には狙いがあるだろうし、国際的に著名になった人をどう扱うかのシナリオは、さんざん練られているだろう。それがどういう影響を及ぼすかも含めて。
彼女だけでなく、さまざまな人々の、無事を祈るが。共感とメディアのあり方、個人の安全、気が遠くなるが。
対岸の火事では、ない。
日本の震災後の動きは着実におかしいものだし、それを動かせるのは、さまざまな人々でしか、ない。
意識は個人であっても(個人を大切にする、というものであっても、共同体がどうあるか、という話でもあるから)。
チョウさんが言っていた、20代と10代の壁、というもの。40代と30代だって相当なものだが、そんなにジェネレーションギャップがあっちゃどうすればいいんだ、と思う。
だが、一方で世界を動かしているのは、60代70代でもあるわけだ。
で、とはいっても人生は地続きであり、振り返れば誰だって10代で20代だったわけだ。
今頃気づくことだっていっぱいあるし、いつになっても失敗の仕方は同じだ。
昨夜は、さっさと寝てしまおうと思ったら、そんなことも気になり、自分も省みて全く寝付けず、だがその原因を考えれば違った角度の答えが見つかり、また新たに音楽に向かうことができた。今日もなんとか。
結局、自分はやるべきことをやってない、というのが結論だ。一ヶ月前に書いたようなことは、要するに自分はやるべきと決めたことを全くクリアしていない。
頑張ってうまくいったようでも、肝心のところで、欲しかった物事がいつも消えてしまうのは、自分の中に虚無があるからだろう。
だがその虚無の原因が何かは、考え直す価値がある。それが少しばかり見えてきている。
見えたからってできるわけではない。
だがいい加減、やらないとな。