『エルピス』について。
あまり TV は観ないのだけど、時折観る番組やドラマはある。
佐野亜裕美さんの手がける番組は視点や間合いが面白いし、このドラマはプラスαもβもあったので、途中から追っかけて全部観た。
既に色々な人が語っているし、同意するところも多数なので、以下は備忘録。
最後の恵那アナウンサーと斉藤サンの「交換条件」取引を良しとするか悪しとするか、なのだけど
良し悪し以前に、忘れたらあかんのは
大門の件を放映しないでくれ、というのは直接の犯罪隠蔽強要であり、国際的信用とか時間をくれとか、そのカードは君が切っていいものじゃない、とか、どんなにすり替えをしようとも、所詮は虚しい
…というより、そもそも100%間違ったことなのだ。
対して、当初から浅川と岸本が追っている連続殺人事件の犯人差し替え、冤罪(による死刑判決)も完全な悪だ。
両方ダメダメだからこそ、大門と斉藤は取引に応じたわけで、
片方が明るみになって、よかったね、で済むことではない。
最後の意味ありげな
「正しいことじゃなくて、夢を見よう。」
確かに、「正しさ」に駆動されて、多くの人が、不幸になってきたね。
メディアも、SNS も。色々な行動も。「正義」を求めることの残酷さ、欺瞞って確かにある。
戦争だって、多くは「正義」から始まる。
でも、世の中を作る細胞に、善玉も悪玉もないって、
それ、一緒にしちゃいけない。
連続殺人とその隠蔽、政治家の強姦、証言者の殺害、すべて、凶悪犯罪です。
完全に悪玉だよ。ここは視点とか程度じゃなくて、正さなきゃいけない。
それって、流れとか風とか、時期の問題なのかな?
それすら、マスコミでも司法でも裁けないほど、現実は腐り切っていて、恐怖に満ちている、ということなんでしょうか、ね。
正しいことじゃなくて、夢を見なければいけないぐらいに。諦め、恐怖するたびに、眠りにつく度に新たな解釈をしなければいけない、ぐらいに。
それが登場人物たちの、スタッフさんたちの精一杯であって、それを観てた現実の人、私たちは、
そこから一歩も百歩も先に向けて、行動しなきゃ、百歩も千歩も遅れてしまうのだと思う。
現実は、ドラマの舞台よりも、はるかにひどいのだから。
佐野さんやスタッフ、役者さんたち、放映してくれた人たちに敬意を表しつつ。
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「正しい」から逃げていても、別の「正しさ」をこれからすぐに私たちは突きつけられる。
だからだ。何度でも「正しさ」を見つめる必要があると、僕は思うのです。
白昼夢ばかりみてるドノヴァンフリークより