九月ですね
三日月がすぎ今日は半月が訪れる
やがては満月 また半月 そして二十五日に新しくなる
アプリで J-Wave を聴く
ベルトリッチの映画、最後の老人の、腹話術のような台詞の話。
Paul Bowles の原作はこの秋に読みたいな。
この映画の7年前 Sting が書いた一節がずっと頭にひっかかっていて
… Tea in the Sahara という曲だけど
この曲は捉えどころのなさのおかげか、かれこれ40年近く頭のどこかで再生されている。
まあ、かの人はこのあたりの詩作の背景を、「言葉遊び」と片付けそうな気もするけれど
(そしてそれを否定もできないが)
意味がわからないながらも、それは形を変えて自らの近年の謎ボックスにもなっている。
謎ボックスとは…なんというか、巾着袋みたいなものだ。取り出したり、忘れたり。
残念ながら、僕の頭上には Sheltering Sky より、ずっと低い屋根が常にあって、
「そら」はその向こう側なのだ。遥かに。
だからこそ一昨年は、異様に月に執着していたのでもあるが
今年はどうやら、月を見ることすら難しい。
正直、時間が惜しいのだ。
いや、時間との付き合い方が、もうわからなくなってきているのかな。
昨日。駐車場に向かうとき。
青空の下を歩きながら、ここは4次元?と思う。
3D+時間が4Dなら、僕らの生活って常に四次元じゃん?
三次元なんて、ほんとにあるの?
たとえば奥行きがなくったって、時間は常に存在するのだから
2D+時間だって、
モノラルの音声だったら1D+時間だって、いつも存在してるやん?
とふと思ったのだ。
秋の虫が、また鳴いている。彼らはどうみているのだろう。この世界を。