投降、登校、陶工…
何の必然もない日記です。
非日常を日常にする、Performer が
毎日が非日常である 2020 に
なにを思うかというのが
やうやう解ってきたような気がする
長い(ほぼ)一年であったが、いろいろな事を思い、感じ、また綴った。
それらほぼ忘れてしまった今では、ピンクと青のトラックのコントラスト具合を
指で辿るぐらいしかできない。とっておきの鯨のノートも誰にも見せられなかったから。
いつか、”- – smith” という言葉に不思議な力と縁を感じたこともあったが*
日本語にも「とうこう」という不思議な言葉があらぁ。
誤変換すると色々な意味が出てくる。まぁ、職人、あるいは芸術に対する降参ってやつか。
ここ silent studio では、相変わらず音も出せない中、音楽が作られている。
ヘッドフォン? 骨伝導? イルミネーション音楽? touch sensitive?
尤も生楽器主体の僕はそんなのに耐えられるわけがなく、どこかで音を出し、録音しながら持ち帰っている。
スタジオ? そんなわけない。俺はマークボランじゃない。好きに使えるスタジオなんてない。
電話をし、手続きをし、公共施設で感染に気をつけながら、MacBook とマイク運び、一人のシチズンとして音楽やってるだけだ。
でも、世界もこの国もこんな状況だけれども、ちょっとしたことに嬉しくなることも、あらぁよ。
それは誰の自由でもあるが、夜空の自由でも、昼空のなんとかでもある。
TV 観なくても、本読まなくても、なんとかなることもある。
無駄なトラッキングの繰り返しだけど、埋もれてるいいテイクを見つけられないかもしれないが、
それでも秋は、ほんとは幸せなんだと、思いたい。
思いたくなくても、思ってるのだから。
もう、11月も、僅かだな。一番好きな季節。
いろんな大切な友人が、歳を重ねてく。なかなか連絡できないけど、ね。
* smith – 鍛冶屋や職人を表す。そんな投稿 を以前した筈だが見つからない…日記を探ったら2002年、昔のサイトの文だったのでこのサイトにも転記した