半月は早い…連続配信をやってみて思い知るとはこのこと
月は容赦なく動いているのだ。
次の満月は5.7。なんでそんなに知ってるかというと
そんなもんは月齢カレンダーサイトでも見ればすぐわかるこったが
昨年末は卓上カレンダーを買うのが遅く、帰省した時に書店で見たのが
唯一、日付の隣にでっかく満ち欠けが描いてあるこいつだったのだ。
こいつ。俺しかわからん。ごめん写真アップする気などない。
裏には月の満ち欠けと名前、と、すてきな図解がある『卓上満ち欠けカレンダー』。
水曜リリースという音楽業界の慣習や
月刊誌、週刊誌の慣習
それとは独立したインディーだから違うメモリで動きたい
と思うけれど
月に関してもまだ初心者。本当はもっと凝ったリリーススケジュールを組みたい。
上弦の月シリーズ、有明月シリーズ、
立待月、十日夜の月、…
とてもできそうにないから、今年だけの計画になりそうである。
この連続配信 “moon x moon” を始めた時は
よもやコロナ騒動など予想もしなかった。
今は #stay home で、宅録にはいい機会だろう、とも思うが、どうなんだろう。
今となっては、以前の日々を思い返すのが困難になっている。
過去。
僕の大好きな、過去。
過去の栄光。そんなものはないが、この瞬間は無限大だと思っていた日々は
確かに存在していたし、それは遠い遠い、数ページ前のこと。
だが、時間の感覚がそもそもおかしい自分は、現在も将来も数日前も
時折瞬間移動しているようで、なんだかリアリティがない。
リアル・UFO なのだ。なにがだ。自分がだ。
過去は慈しむべきものであり、それができるのは本人だけなのだ。
誰かに自分の過去を愛してもらうことなどなんの意味があるだろう。
それって国のはじまり。権力のはじまり。歴史のはじまり始まり。
編纂したものが「正史」になり、国の威光が生まれ、戦争が始まる。
だから?
自分の人生は、まず自分で落とし前をつけるしかない。
そこには幾重にも折り畳まれた自分の将来がある。
Jeff Berlin も Brian Bromberg も受話器の向こうで言っていた。
自分がやりたいことは、誰も代わりにやってはくれないのだ。
もし代わってくれたとしても、それは自分ではないのだから。
はっきり書こう。COVID-19 も、その先の展望も、
その先のシステムも、自分の人生にどうかかってくるかわからない。
そして、これから先、自分たちは、ふとしたことで
ほんのふとしたことで
取り返しのつかないところを踏み外すかもしれない。
あるいは、梯子が外されるかもしれない。
そのときにどうするか、どうなるか。
それは自分がそれまでに生きるしかないのだ。
梯子が外されて、無重力なら、どうなる?
自分が思ってる世界が、無限落下で、それはただの錯覚だったとしたら?
感じ取ったものを、綴るしか、ないのだ。ゆびさきで、からだで、声帯で。
あるいは、あらゆる色をした、かげとして。
-追記-
全然はっきり書いてないね。
要するに、やり残しは良くない。