アーカイブ: 2019年8月

ハイウェイかたつむり

stillbeat feat. 青木里枝 (flexlife)

シングル配信、今日から開始しました。
店によっては未だですが
そこはほら、

カタツムリですから。

CD のみの album mini
FLAT FIVE & talkin’ brother より。

各配信サイトへはこちらから。*
アルバムの通販は こちら からどうぞ。

* シングルとしての配信は終了いたしました。この曲を含むアルバムは2020.11.22まで配信中です。

wanted sun-glass-smith

折れちまった

このクリップどこにも見当たらないし

凄腕いないかな
なおせる人

libre

夏も終わるので速記。

風鈴。無人の駅に不自然にかかっている。
涼をとるために数日前から無力な抵抗を試みたのだろうか
すっかり涼しくなってしまった夜には滑稽ですらある。
これとない親近感を感じてカメラに収めると

りんりんと

なりだした

やっぱ り な

みずいろの砂

プール、海岸、水槽

三度の水の日。

天井のオブジェや「みずいろの」色合い
背泳ぎしていると突如うねり出す低音
それは出水溝だったが
こんなのを毎日見て過ごせたらと思うプールは
思いの外体力を奪う

二度目のジムの代わりに脱出して海へ
先日フィービースノウの3rd LPと共に買った鈴木茂のCDをかけながら
初めての道を南下する
曇り空 灰色の波
「みずいろの」定義は何か ふたたび

昨日は森と道路の街から
灰色の空と黒い烏を眺めていたが

灰色は実は墨のように深い表現をもっている
などと思わなくもない 灰色の朝が近いからって
慣れようとしてるのだろうか?

見返すに能う写真が撮れないのがわかっているが
シャッターを数度切る
収める以上に感じることがある
波は生きている

ときおりヤマアラシのように
左からかけてくる波がいる

正確に 不自然に 演ずることにかけては
彼らの右に出るものはないだろう そう
右には誰も出てこなかった

静止画と動画の違いをまた考えながら
この世には静止画などないのだと思い出す

二次元がないように スチルもポーズもない

巻き戻すだけ無駄な意識
勝手に巻き戻ってく水たち

小さくても 大きくても 渦をまくメダカたち

でも意識は静止画に追いつかない
あるいは通り過ぎてしまう
速すぎて

止まるためには高速で動かなくてはならない
動くためにはとめなければならない
流れに身を任せるのが嫌な自分
これからも 何十年も AI になっても

歩きのパターン認識など技術がなくても誰にでもできてしまう
顔などなくてもいいのにどうしてわざわざ写真に撮るのだろう?

わからない それは気まぐれだ

流れをおこす人など信じない
だが 流れ方にはいろいろある
せめて 魚になってみる
それが 海の一角であっても 画角に漏れた砂であっても

アウェイからのホーム

Away from Home …. ってそのままのタイトルの曲があったっけ。
例によって Copeland、Klark Kent 名義のソロ。
何度読み返しても、示唆に富んでいるとは思い難い歌詞である。

だけどこのビデオ初めて観た…

おもろい
もしかして Sting、この時の彼のプレべを使ったりしてるの?

で、Stu のことは一旦おいて
最近思ってしまうのだ。アウェイとホームってなんやねん。

どこにいたってアウェイだし、どこにいたってホームだ。
究極のところ。
音楽をやる以上。音楽に限らず、何かをやろうとしている以上。

それが、困ったことに
生きていること自体に
アウェイ感のフェーダーをどんどん上げていく
不思議な厄介な世界。
昨今、いやいつからかな。

たぶん、どこにも逃げ場なんてないですよ。
いみじくも MV の結末が表してるように。

向かい合えばどこでもホーム。アウェイを知ればそれはホームかもしれない。

生き抜こう。

それはさておいて、だ。

アウェイなんか、ホームなんか?
音に向かえばそれは常に見知らぬ、見知ったところ。

自分のやりたいこと、しりたいこと、
できそうなこと、できないこと

それに向かうことはたぶん、人生最大のアウェイ。
外から見ればどうにも逃げ場がないのに、自分の内面はつかまえられない。

だけどそれもわからないのに、外に向かえるわけもないので
落とし前をつけよう、と、する、またしてもな
夏。

毎年毎年、このあたりにはへばって停止するのだけど
今年はそうはいくまい。な
夏。

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