アーカイブ: 2025年10月20日

mariyama

夜半に帰着。

僕はといえば、ただ足を運び、音楽を感じ、いく人かの人々と話し、いくつかの食べ物を購入し、自然とまちを目にしただけだ。
段取りの悪さにも無力にもほとほと呆れている。
しかし、自分でその場にいかなければ、進まない、と思う。

ことばや写真は、情報は、あるいは音楽は、空間と時間を超越することもできる。
だけれど、それは一部。

これから自分に何ができるのか、改めて感じながらやっていきます。

能登のみなさん、ありがとうございました。
TV報道だけじゃない、多くの人がみなさんのことを思っています。

僕もきっとまた行きます。

友人、マリヤマコージの故郷だった能登に。

 

mitsuura

マリンタウンで車を拾い、誰もいない出口へ。
料金を回収する気がないのかわからないので、コイン3枚を養生テープで窓に貼り付け、まちの西側へ。みつけてくれるかいな。

光浦。ほんの数秒〜数分で四米近くも隆起した海岸。
海岸隆起は、門前町の鹿磯、黒島でも顕著だったと、後から知る。
市街地から西部への道も、後から見れば行けなくもなさそうだったのだけど、今回は断念。
本州を南へ渡る。

kalpa

もう一度朝市通りへ。
おむすびやさんが閉じていたのは残念、だが通りに一軒の店が開いている。
カウンターがあったので喫茶店も兼ねているのかと、入る。

塗師さんが故郷で建てたコーヒーハウスKALPAさん。
奇跡的に風向きが変わったことで、あの大火を免れたのだという。
その塗師、八重門さんは次のため更に修練を積み、店にはお母様が立っている。

来年か再来年、朝市は復活する。だが本当に間に合うという実感がない、
やるといったらやるんだろうけどね…

半数に減った輪島の人口。
一般の人にも沢山来てほしい。迷惑と思わなくていい…

そうですよね! と割り切れるものではないのだけど、
きさくなお話しぶりに、なんだか逆に、力をもらう。

輪島塗の製作工程が25段階で紹介されていた。最初の「木地」の段階ですでに芸術品の気がするのに、
塗っては削り、塗っては削り、珪藻土(地の粉)を混ぜたり、布を着せたり。
反復と時間と技が磨いていく漆器づくりは、音楽にも大いに通じると思うのです。

もちろん、道を極めるには、幾度気を失っても山を登り、
何度もうみに抱かれねばならない。

入り口にすら届かない自分でも、それは感じ取れるのです。

notoport

市内に入る。朝市駐車場は工事の拠点。
隣のマリンタウンに停める。

ほぼ全焼した朝市では今も撤去作業が進んでいる。一階のない建物。

神社の上の斜面が崩落し、金毘羅社の入り口も岩石とショベルカーで塞がっている。
住居は順番に撤去、または補修されている。

海岸を歩く。
岬まで、灯台のあたりまで。

輪島港に並ぶボートは、出番を待っているのだろうか。


空き地で猫はまっすぐ見つめてくる。

wajima gate

輪島への入り口はトンネル、左側に歓迎のボード。

上に目をやれば、山斜面の工事が行われている。

剥き出しになった崖に薄い網、命綱をつたう作業員。
正直怖さがないと言えないが、信じてトンネルをくぐる。

向こう側は美しい里山と家屋。鳥取の智頭あたりを思い出す光景。
だがところどころ倒壊、崖崩れ。ブルーシート。
道路の凹凸が増え、まっすぐな電柱が減っていく。

boramachi yagura

七尾北湾に面する、鹿島、根木。
かつてボラ漁に使われた「ぼら待ちやぐら」。
櫓の上、人のように見えるのは、人形。
小さな小さな道の駅的なお店で、教えてもらう。

穏やかな海辺は湖のよう。


だが損傷した船舶、潰れた家屋や施設も徐々に増えてくる。

輪島への道は大丈夫か? 工事車を塞ぐ一般車は却っては迷惑ではないか?
逡巡しながらも穴水の中心部へ。輪島行きの県道1号は、驚くほど空いていた。

yubin train

小雨。七尾、穴水、そして輪島市街へ。

のと鉄道の能登中島駅。てがみの冊子「ふみぶみ」で知った、現存する稀少な「郵便列車」。

呉 – 松本 – 浜松 – 龍野 という繋がりでこの七尾の青い列車「オユ 10 2565」に出会った。日本は広くて狭い。
駅員さんに訪ねても、中の見学はできなかった。老朽化に加えての震災、維持は相当大変なのだろうか。

(休館日だった)能登演劇堂。舞台奥の扉から自然が開くという。
紅葉が鮮やか。蝿がいるけど、動かない(ポーズしてる)のでそのまま。

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