配信リリースしているアルバム umi no machi について
この度最初の集計を受け取り、能登半島地震の義援金を寄付しました。
アルバム冒頭曲 “うみのまち” は、Apple Music / Spotify をはじめとする配信・販売収益の七割を災害義援金として寄付しています。
また、インストゥルメンタル曲 “sea and lake” は、Bandcamp 販売からの全額寄付を、昨年三月より継続しています。
アルバムリリース以降を含む11〜2月の集計に基づき、郵便局にて寄付金を振り込みいたしました。
まず、サブスクリプションで広く聴いてくださった皆様、そして Bandcamp で購入くださった皆様に、深く感謝申し上げます。
個人レーベルとしての配信に、今回 Friendship. さんからのサポートをいただいたことで、
今までとは比較にならないほど広く、音源を聴いてもらえています。
とはいえ、実際の収益という面では、思ったよりずっと、漣(さざなみ)であり、
これは「配信」の仕組み上、そうなのだろうけど、無力をドーンと感じるところです。
たとえば、現状の20倍再生してもらえれば、ある程度まとまった額を寄付できることになります。
…
でも、だからめちゃくちゃ僕の音源をプッシュ! しまくるべきなのかといえば、
…僕の音楽はそういうタイプではない気もしてしまいます。
もちろん広く聴いて欲しいけれど、それとは違う何か。
相互扶助を成立させるために、資本主義的に活動しまくれるのか、
マーケティング的に告知できるのか、といえば
たぶん、けっこう僕には難しい。
どうすればよいのか。
そもそも、このような形での義援金に、果たしてどれだけ意義があるのか。
実際に援助として効果があるのか。
「やってみなければわからない」ことだと思っています。
っていうか、そんなことにテンプレートがあっても、なんかそれって、ちがうやん。
援助は、意思があってそれを実行できる人が行い、それによって相互扶助となることが、さまざまな地域/境遇で暮らしている私たちにとって、大切だと思います。自然災害はいつ、どこで起こるかわからないのだから。
税金で賄う公共の福祉が十分であればよいのだけど、いろんな意味で、私たちの運命は「自助」という言葉に押し込まれていく。
援助には「気持ち」と「実際」の面があり、後者でいうなら、ある程度の金額を寄付できないことには、人を助けることはできない。そうなると結局、お金持ちをどうやって動かすのか、って話になっちゃいますよね。
一方で、ひとつのきっかけとして、より効果的なやり方の相互扶助につながれば、全くの無駄ではない、のかもしれません。
たとえば僕のやってることを見て、じゃあ、私はもっと効果のあるやり方をする、という人がいれば、それもよいと思います。
いずれにせよ、この義援金は継続します。
忘れてしまわないこと。自分のこととして、感じ取ること。自分の身の回りを見ること。
ご賛同いただける方、よろしくお願いいたします。