昨年のこの日を最後に、僕は電車に乗っていない。
色々な演奏仕事が止まったあの時から、
あれほど使った東海道線も新幹線も疎遠になった。
徒歩か、車か、自転車か。
その判断の正否は、さておくが、
この事により、僕は現在の駅の状況を知らない。
もっと具体的に言えば、構内の広告の状況を、だ。
これが何かおわかりか。
2011.6.6 撮影。
JR 浜松駅階段正面にある、大きな広告スペースである。
ここは、電車を降りた群衆が、必ず正面に見る位置にある。
最も効果の高い枠だ。
ここには何があったか。
中部電力の、浜岡原子力発電所の宣伝広告だ。
あの原発事故以来、広告は撤去され、ずっと無広告になっている。
少なくとも、昨年の3.11ではそうだった。今は、わからない。
無広告にはなったが、知る限り、広告主が変わったことはない。
つまり、ずっとここは空白で維持されてきた。
意味はおわかりか。
長年の維持費だけでも相当な額だろう。
損得を精査して、意図的に残したことがわかる。
ほとぼりがさめるまで。
ほとぼりがさめたら。どうするのか。
10年は長く、また、瞬く間でもある。
持続可能エネルギーへの転換には、短かすぎるのか?
人の記憶はどうだろう。
事故の収束には何十年、放射性廃棄物の処理には何万年かかるだろう。
明滅するニュースはいつまで続くだろう。
人々を統治するのが難しいのは、僕でも想像できる。
される側であり、主権者の一人である、僕でも。
でも、嘘で制御するエネルギーを、大事にとっておく価値は、
ない。
そう思います。
ずっとそう思ってる。
子供たちのポスターコンクールを見た、あのときから。