アーカイブ: 2018年7月30日

こだいもじ

先週、灼熱の京都。
丸太町、川縁のとある駐車場。どう見ても入り口には見えない脇道を入って、本の家を訪れる。

縁側のある日本家屋、ミシマ社の本屋さん。

智頭のパン屋さん、タルマーリーのご一行とお会いする、がてら、お邪魔した次第。

—-

ちょうど七日前には、スタジオへ向かう灼熱の自由が丘で
同社東京オフィスの脇を歩いていたから不思議(あとから地図みて気づく)。

—-

まるで盆におばあちゃん家に帰ったような感覚。背後を走る子供達。
三方の本棚には、ずっと読んでいたくなるような本がいっぱい。

ソウルからの賢人も交えて、ちゃぶ台で先駆的な話が行き交う中、
僕は頭がサーマルスロットリングして大半は処理しきれなかったのだが、
それぐらいでよかったのだと思う。
いい加減な頭で話に向かうのも、いい加減だ。

後からじわじわきつつ、
湯の中で(なぜ湯なのだ?)思ったこと。

—-

「1984」や「THX1138」や
「銀河鉄道999」のメガロポリス、或いは「ロラックスおじさん」で描かれた
超管理、超格差、超情報統制社会

これらを、超間近に感じるにつけ

この人達はよく予言したなぁ、と思うのだけど、
これって警告であると同時に、暗示でもあり、あるいは、プレゼンでさえあったかもしれない。
「こういう手があったか!」みたいな。そういう人たちにとっては。

だが人は、想像に、ひっぱられていく。

なんでも前例主義の社会だけど、
あまりにも想像の完成度が高ければ、それは「前例」にもなってしまう。
想像の前例主義、とでも言うのかな。そんなのがあるかもしれない。

もし、ディストピアにそれだけの力があるのならば、その逆も然りで、
今を生きる僕たちは、もしかしたら、数十年後のために、違うビジョンを見せるために
想像していくべき、なのかもしれない。何度絶望しても。

そして、この瞬間もそれをやっている人たちが、いるのだな、ということ。

自分がそうなれるかは、ちゃんちゃらわからないけれども、
それでも、あきらめとったらあかんな、とは思った。

そんな感じだ。

—-

旧友とも会い、彼の頼もしさも再認識す。

—-

いくつか、ここしばらくで面白かった本のご紹介。

ミシマ社さん。

『究極の文字を求めて』松樟太郎
久々に何度も吹き出した、めっちゃおもろい本。
下から上へ読むオガム文字、UFOキャッチャーの如きグルムキー文字、
クリクリしたオリヤー文字。
自分のサインもままならない僕だが
これを読んで文字ごと作ろうという邪念が生じた。
いや、心の風が吹いている。

『あわいの力』安田登
能の世界は僕には未知だ。が、舞台芸術であるから、通じる道は当然感じる。
「心に代わる何か」というテーマ(への期待)は大きすぎて、まだ拾いきれないのだが、
安田さんが能のワキ方として、笛の修行「自分の音が出るまで」に費やした期間の心得は、深く突き刺さる。
僕が自分の声を見つけるのはいつになることやら。
人生の終わりまでには身につけたいな。
いや、そんな時間の感覚は、無用なのか。

そしてクルミド出版さんの本。

『草原からの手紙』寺井暁子
この方の文はなんとも魅力的で
なんでもないようなことが潤ってる。
東アフリカ、マサイの居住区を、
マサイの指導者エゼキエル、スコットランド人冒険家の子孫ジョン、
オランダやマサイの人々とともに歩く旅。
明け方の情景と音の描写が素敵だ。
「10年後、ともに会いに」もそうだったが
装丁からスタンスから徹底していて、宝物感が半端ない。

Calendar

2018年7月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

Category