(無責任かつ水平思考の戯言である)
入間に so-so というお店がある。
一度しか行ったことはないが、心に残っている。
また何かあそこで出来るだろうか?
今回の朝連ドラは面白い。
テンポがいい。ここ数作のようなじれったさがない。
回をまたぐ時に、いかにもその続きから始まりそうなシーンでも、すっとばしてくれるのがいい。
岐阜って、いい味出すとこだよな、と最近とみに思う。
まぁ、「どこかの町→東京」パターンは、もういい加減やめようや、とは思っているのだが。
人生、先が見える、のと、明日が見えない、のと、
どっちがどうなんだろう。昔は、明日を見ているビートが大っ嫌いだった。
置きにいっているビート。それはすぐにわかる。
明日なんか見えなくても、全部見える、と思っていた。
一瞬はすべて。静止は永遠に動くこと。
自分は先が見えているだろうか。
ここで昨年に話を戻すと、ある偉人が見ていた「先」と自分の視界にあった「先」が
あまりに枝分かれしているので、とても残念に思ったことがある。
先がないな、と見えること。
それはたぶん、自分にしかわからない、とても小さな絶望だ。
あるいは、多くの人が持っていることかもしれない。
僕にとってはこっちの方がむしろ今は尊い。静かにしていたい。
それって、扉を開くことなのかもしれない。
まぁいい。扉は開かれたまま、現実は続いている。
現実と夢の違いが、もはやあまりないまま、僕の人生は続いている。
現実はすでに嘘ばかりだし、その中に真実はあるし、残念なことも再生もたくさんある。
夢は現実のリマインドだし、二次的な沿線だし、あともどりの手がかりでもある。
りどもとあ。